Ryan O'Shaughnessy 、リスボン での2018年大会 にて。
Bambie Thug 、マルメ での2024年大会 にて。
アイルランドのユーロビジョン・ソング・コンテスト では、アイルランド におけるユーロビジョン・ソング・コンテスト について述べる。アイルランドは、1965年大会 で初めてユーロビジョンに参加した以降、参加しなかったのは1983年大会 と2002年大会 の2回のみであった[ 1] 。
アイルランド放送協会 (Radio Telefís Éireann; RTÉ )は、大会のアイルランドでの業務を担当しており、アイルランド向けに大会を中継している。準決勝はRTÉ Two にて、決勝はRTÉ One で放送される[ 2] 。アイルランド代表として大会に参加した楽曲の歌詞は、1曲を除いて全て英語 であり、1972年大会 の「Ceol an Ghrá 」のみがアイルランド語 の歌詞であった。
アイルランドは過去に合計7回の優勝を果たしており、国別のユーロビジョンでの優勝回数は最多である。1990年代 には、前例のない3連続優勝を含む4回の優勝を経験している他、2度は2位に入賞しており、最もユーロビジョンで成功を収めた国となっている[ 1] 。また7回の大会を主催しており、うち1回を除いては首都のダブリン で開催された。この例外は1993年大会 であり、前年の1992年大会 でのLinda Martin の優勝によってアイルランドが主催権を獲得し、コーク県 西部の人口1500人の町・ミルストリート で大会が行われた[ 3] 。
歴史
アイルランドは、ナポリ で行われた1965年大会 で初めてユーロビジョンに参加した。その後2019年に至るまでに、参加しなかったのはミュンヘン で行われた1983年大会 とタリン で行われた2002年大会 の2回のみであった。1983年は、アイルランド放送協会 でのストライキによって、大会に参加する資金が不足したためであり、アイルランドでは英国放送協会 の実況による映像をそのまま放映した。アイルランドが大会参加を認められなかったのは2002年の1度であり、2001年にGary O'Shaughnessyの「Without Your Love 」が21位に終わったため、翌年の参加は不可能となった。
アイルランドからの延べ51曲の大会参加のうち、優勝は7回、上位5位以内は18回に上る。アイルランドが初めて大会で優勝したのは1970年大会 でのことであり、このときのアイルランド代表はDana Rosemary Scallon が「All Kinds of Everything 」であった。2019年までの時点で、アイルランドは合計7回の優勝を果たしており、国別のユーロビジョンでの優勝回数は最多である。1990年代 には、前例のない3連続優勝を含む4回の優勝を経験している他、2度は2位に入賞しており、最もユーロビジョンで成功を収めた国となっている。
2000年代にはアイルランドの大会での順位は低迷している。2007年大会 、アイルランド代表で参加したのは民俗音楽グループのDervish による楽曲「They Can't Stop The Spring 」であり、前年順位によって自動的に決勝への進出が認められたものの、決勝ではアルバニア からの5得点を獲得するに留まり、最下位となった。2008年大会 ではパペット のDustin the Turkey が楽曲「Irelande Douze Pointe 」で「12点をアイルランドへ」を連呼したにもかかわらず、アイルランドは決勝に進むことができず、準決勝で敗退した。2009年大会 でもSinéad Mulvey とBlack Daisy の楽曲は準決勝敗退に終わった[ 4] 。
6つのアーティストが複数回にわたってアイルランド代表に選ばれており、ジョニー・ローガン (1980年大会 、1987年大会 。両大会で共に優勝した)、Linda Martin (1984年大会 、1992年大会 。1992年に優勝)、Tommy and Jimmy Swarbrigg (1975年大会 、1977年大会 にはThe Swarbriggs Plus Twoの一部として)、Maxi (1973年大会 にソロとして、1981年大会 にSheeba の一員として)、ジェドワード (2011年大会 、2012年大会 )が複数回のアイルランド代表経験を持っている。また、Brendan Graham (1976年大会、1985年大会、1994年大会、1996年大会)、ジョニー・ローガン(1984年大会、1987年大会、1992年大会)、Tommy and Jimmy Swarbrigg(1975年大会、1977年大会)、Liam Reilly(1990年大会、1991年大会)、Joe Burkett(1972年大会・作曲, 1981年大会・作詞)の6人が複数のアイルランド代表の楽曲の作詞や作曲に携わった経験を持っている[ 5] 。
1998年大会 以前のアイルランドの参加曲のほとんどで指揮を担当したのはNoel Kelehan である。この例外となるのは、1965年(Gianni Ferrio)、1970年(Dolf van der Linden )、1972年から1975年(Colman Pearce)、1979年(Proinnsias O'Duinn)、1994年(指揮者なし)、1997年(Frank McNamara )であった。
アイルランドは他国の楽曲作成にも関与しており、1997年に大会の司会を務めたローナン・キーティング はデンマーク の2009年の参加曲を製作している[ 6] 。
参加者
表示
1
優勝
2
2位
3
3位
◁
最下位
X
出場曲を決定したが不参加
投票履歴
アイルランドは例年イギリス から多くの得点を得ている(2007年、2008年、2009年はいずれもイギリスからの得点はなく、そのうち後2者はアイルランドが参加する準決勝でイギリスは投票できなかったことによる)。アイルランドで電話投票が始まる前は、アイルランドの審査員がイギリスに与える得点は、およそ他国からイギリスへのものと同様であった。電話による視聴者投票が始まってからは、イギリスとアイルランドは他国よりも高い得点を相互に与え合っており、例年およそ8得点ほどを相互に付けている。
また近年ではアイルランドは、国内に住む移民の祖国(ラトビア やリトアニア 、ポーランド など)への投票傾向が高く、2008年にはアイルランドは8得点をイギリスに、10得点をポーランドに、12得点をラトビアに与えている。
統計的に、アイルランドは8番目に優勝の見込みの高い国であり(モンテネグロ 、セルビア・モンテネグロ 、オランダ 、スイス 、スウェーデン 、ポーランド 、ハンガリー に次ぐ)、現行の投票方式になってからの25回の参加大会では平均して8.56得点を優勝国に与えている。アイルランドが優勝国に1得点も与えなかったのは2003年大会 のトルコ に対してのみである[ 9] 。
アイルランドから得点が送られた国々
アイルランドに得点を送った国々
得点早見表(得点は決勝のときのもののみであり、準決勝のものは含まない。2016年以降は上段が審査員票、下段が視聴者票を示す。12点は太字で表示)
国/年
合計
その他の国
リンク
1965
11
5
3
3
[ 10]
1966
14
3
5
3
3
[ 11]
1967
22
2
1
3
2
4
2
3
1
2
1
1
[ 12]
1968
18
4
1
4
1
1
6
1
[ 13]
1969
10
1
1
3
1
1
3
[ 14]
1970
32
4
5
6
3
2
1
9
2
[ 15]
1971
79
6
6
7
5
3
2
5
4
4
4
7
3
4
6
6
5
2
[ 16]
1972
72
4
3
4
5
3
5
4
4
6
3
3
4
4
6
5
3
6
[ 17]
1973
80
5
4
5
6
5
5
7
4
6
3
4
7
2
6
5
6
[ 18]
1974
11
1
1
2
2
2
1
2
[ 19]
1975
68
6
4
6
7
10
3
4
1
6
12
4
4
1
[ 20]
1976
54
10
3
12
2
8
5
1
3
6
1
3
[ 21]
1977
119
12
12
8
5
1
10
8
12
4
5
12
10
3
1
8
8
[ 22]
1978
86
6
10
7
8
5
10
12
3
5
10
10
[ 23]
1979
80
4
3
5
10
6
8
5
6
5
6
10
5
7
[ 24]
1980
143
12
1
10
6
12
12
7
7
12
12
12
8
8
12
5
7
[ 25]
1981
105
10
7
10
12
10
1
7
5
12
6
3
6
1
5
10
[ 26]
1982
49
7
3
5
6
5
3
5
3
1
2
1
8
[ 27]
1984
137
8
12
10
7
10
12
12
10
3
10
10
4
7
3
12
2
5
[ 28]
1985
91
3
8
12
10
7
5
7
4
3
4
5
3
1
3
8
8
[ 29]
1986
96
8
6
12
7
12
12
5
2
8
3
2
8
8
3
[ 30]
1987
172
12
4
12
12
12
8
12
12
10
5
6
10
8
12
1
12
8
6
10
[ 31]
1988
79
3
6
6
4
7
12
7
7
2
7
2
4
5
5
2
[ 32]
1989
21
4
7
3
3
2
2
[ 33]
1990
132
8
10
12
10
7
5
12
10
8
7
5
8
4
7
7
6
6
[ 34]
1991
47
4
1
3
1
3
7
2
4
2
5
4
3
8
[ 35]
1992
155
7
8
2
10
10
5
12
6
10
1
10
10
12
7
10
7
4
12
2
10
[ 36]
1993
187
3
12
5
12
8
10
7
6
6
12
12
10
12
6
5
1
12
3
10
2
8
6
12
7
[ 37]
1994
226
12
10
10
10
12
8
12
12
10
10
6
12
12
10
7
8
8
10
12
5
10
8
12
[ 38]
1995
44
3
4
10
3
5
1
1
5
1
1
5
5
[ 39]
1996
162
12
7
12
6
10
12
7
7
12
12
10
10
6
3
12
12
8
4
[ 40]
1997
157
12
10
8
10
4
8
6
7
10
6
1
10
8
6
3
8
10
7
8
10
5
[ 41]
1998
64
8
2
7
2
2
1
4
1
2
8
4
6
2
1
6
8
[ 42]
1999
18
4
1
1
12
[ 43]
2000
92
2
10
2
4
4
3
7
5
8
4
3
5
7
6
1
4
4
10
1
2
[ 44]
2001
6
5
1
[ 45]
2003
53
2
12
1
7
4
2
5
6
1
7
5
1
[ 46]
2004
7
7
[ 47]
2006
93
1
3
4
8
2
6
4
2
3
5
1
5
4
7
4
1
2
5
4
10
4
6
2
[ 49]
2007
5
5
[ 50]
2010
25
7
6
2
1
6
2
1
[ 53]
2011
119
4
12
4
5
12
7
8
12
8
10
3
7
1
2
6
8
10
[ 54]
2012
46
4
1
10
5
3
5
4
4
1
4
5
[ 55]
2013
5
1
2
2
[ 56]
2018
74
4
3
5
4
4
3
1
6
4
5
10
8
1
3
2
1
1
5
4
[ 61]
62
7
10
8
4
4
3
1
4
4
7
4
2
3
1
2024
142
7
10
7
10
10
12
3
8
7
10
10
1
2
7
7
6
4
1
10
7
3
[ 66]
136
3
4
2
10
3
8
2
8
2
6
2
2
5
2
4
4
7
2
7
6
3
1
4
5
2
6
5
4
2
3
5
7
主催
アイルランドは、複数年にわたって連続して大会を主催した唯一の国であり、1993年から1995年まで3年連続で主催国となった。7回の主催のうち6回の首都のダブリン で開催され、うち3回はPoint Depot で、2回はRDS で、1回はGaiety Theatre で開催された。このほかに1993年大会はコーク県 のミルストリート (Millstreet )で開催された。1994年大会では、舞踊団・リバーダンス が幕間の演技でデビューを飾った。
脚注
注釈
出典
概要 各年の大会
1950年代 1960年代 1970年代 1980年代 1990年代 2000年代 2010年代 2020年代
参加国
活動中※は「BIG 5」 休止中 資格停止中 現存しない国
予選 国内選考
特別番組 ジュニア
関連作品
1960年代 1970年代 1980年代 1990年代 2000年代 2010年代 2020年代
カテゴリ