Softengine 、コペンハーゲン で行われた2014年大会 にて。
Saara Aalto 、リスボン で行われた2018年大会 にて。
フィンランドのユーロビジョン・ソング・コンテスト では、フィンランド におけるユーロビジョン・ソング・コンテスト について述べる。
歴史
フィンランドは1961年大会 で初めてユーロビジョン大会に参加した。フィンランドは2006年大会 にて、ローディ の「ハード・ロック・ハレルヤ 」で初めて優勝を果たした。
2006年 の優勝まで、フィンランドは1973年大会 のMarion Rung の「Tom Tom Tom 」による6位が最高順位であり、トップ5に一度もならなかった弱小国とみられていた[ 1] 。フィンランドは2020年までに9回の最下位と、3回の無得点を経験している。フィンランドの1982年大会 の参加曲、Kojo の「Nuku pommiin 」は、1975年 の投票方式の改定以降に無得点となった15曲のうちの一つである。ノルウェー は10回の最下位と4回の無得点を経験しているが、3回の優勝経験もある。2006年以前、フィンランドのユーロビジョンに関して、アラジンと魔法のランプ をモチーフにした次のようなジョークがあった。
ランプの魔神:私を自由にしてくれてありがとう! あなたの願いをかなえて差し上げよう。
男:
カレリア をフィンランド領に復してください!
ランプの魔神:その望みはあまりに大きすぎる。もう少し小さい望みはないかね?
男:わかった。フィンランドにたった1度でいいから、ユーロビジョン・ソング・コンテストでの優勝をください!
ランプの魔神:うーん…、もういちどカレリアの地図を見せてみなさい。
2006年 、フィンランドはついに優勝を成し遂げた。フィンランドの参加曲は、大会で主流であったメインストリームのユーロポップ(europop )とは大きくことなるハードロックであり、常軌を逸したモンスターの格好をした集団からなるバンドによるものであった。バンドの名はローディ 、楽曲は「ハード・ロック・ハレルヤ 」であり、史上最高得点となる292点を得ての優勝であった。この最高得点の記録は2009年にノルウェーのアリャクサンドル・ルィバーク によって打ち破られた。なお、俗に言われているように地獄 が凍結したという報告はなされていない。
1973年大会 から1976年大会 まで、及び2000年大会 から2007年大会 まで、フィンランドの参加曲の歌詞は全て英語 であった。両期間はともに、歌詞にいかなる言語も認められていた。これ以外では、1990年大会 でのBeat の「Fri? 」がスウェーデン語 であった以外は全てフィンランド語 であった。
参加者
2019年までの段階で、フィンランドは53回の参加経験があり、うち32曲はフィンランド語、19曲は英語、2曲はスウェーデン語であった。
表示
1
優勝
2
2位
3
3位
◁
最下位
X
出場曲を決定したが不参加
投票履歴
投票では、フィンランドは伝統的に、エストニア やラトビア などのバルト三国 に高得点を与え、またバルト三国から高得点を得ていた。しかし、フィンランドはまたスカンディナヴィア諸国 とも深い結びつきを有している。2004年大会 では、フィンランドからの最高得点はスウェーデン に与えられた。2005年 のフィンランドからの最高得点はノルウェーに、2006年 にはロシア にフィンランドからの最高得点が送られたが、2007年大会 にはセルビア に最高得点が送られた。逆にスウェーデンがフィンランドに最高得点である12点を送ったのは、2006年のローディの「ハード・ロック・ハレルヤ」のときが初めてであった。2007年、フィンランドのハンナ・パカリネン の「Leave Me Alone 」に対し、スウェーデンは再び最高得点を送った。フィンランドはまた、イタリア にも高得点を送ってきたが、イタリアは1997年以降2010年まで大会には参加していなかった。
フィンランドから得点が送られた国々
フィンランドに得点を送った国々
主催
脚注
注釈
出典
外部リンク
概要 各年の大会
1950年代 1960年代 1970年代 1980年代 1990年代 2000年代 2010年代 2020年代
参加国
活動中※は「BIG 5」 休止中 資格停止中 現存しない国
予選 国内選考
特別番組 ジュニア
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