Madame Monsieur 。リスボン での2018年大会 にて。
ビラル・ハッサニ 。テルアビブ での2019年大会 にて。
フランスのユーロビジョン・ソング・コンテスト では、フランス におけるユーロビジョン・ソング・コンテスト について述べる。フランスはユーロビジョン・ソング・コンテストの歴史の中で最も成功した国の一つであり、1956年大会 で初出場してから2020年までに大会に62回参加している。フランスはユーロビジョンが初めて行われたときに参加した7箇国の一つであり、歴史上、欠場したのは1974年大会 と1982年大会 の2回のみである。62回の参加経歴の中で、最下位となったのは2014年大会 が初めてのことである。
フランスでのユーロビジョン大会の放送を担当する放送機関も変遷を続けている。1956年 から1973年 まではRadiodiffusion-Télévision Française (RTF)およびOffice de Radiodiffusion Télévision Française (ORTF、1964年 6月にRTFから改組)がフランスでの放送を担当した。1975年 からはTF1 がこれに代わり、1981年 に撤退した。1983年 からはフランス・テレビジョン がフランスでの放送を引継ぎ、2008年 の時点まで同局がフランスでの放送を担っている。
2004年 に準決勝が導入された際、フランス・テレビジョンの娯楽系チャンネルフランス4 が準決勝を放送する一方、総合系チャンネルフランス3 はフランス代表を選ぶ国内選考を企画し、本選の決勝も放送した。
歴史
フランスはユーロビジョンにおいて最も成功した国の一つであり、2008年までに優勝を5回、2位を4回、3位を7回経験している。さらに、1991年大会 ではアミーナ・アンナビ (Amina )は「C'est le dernier qui à parlé」で優勝まであと少しのところまで迫った。このときフランスのアミーナ・アンナビはスウェーデン と同点で並んだ。両者が得た12点の数でも同数であったが、フランスのほうが10点の数が少なかったことからスウェーデンの優勝となった。その後改正されたルールでは、同点の場合はより多くの国から得点を得たほうが勝者となり、このルールが当時適用されていたらフランスが優勝となるところであった。その1年前もフランスは優勝まであと少しのところに来た。このときはジョエル・ウルシュル (Joëlle Ursull )がセルジュ・ゲンスブール の曲「White and black blues」を歌い、2位となった。
しかし、1990年代末からフランスの成績は低迷を続ける。1998年 に電話投票が導入されてから、フランスはほぼ常に下位から10番目以内に入り、2003年大会 と2008年大会 では18位、1999年大会 では19位、2006年大会 と2007年大会 は22位、2000年大会 と2005年大会 では23位、1998年大会 では24位となっている。2014年大会 において、57回目の出場にして初めて最下位となった。
しかし、21世紀に入ってからフランスが良い結果を残した例もあり、2001年大会 ではカナダ の歌手ナターシャ・サン=ピエール (Natasha St-Pier )は「Je n'ai que mon âme 」を歌い4位となった。オッズ では優勝候補と目されていた。2002年大会 でも良好な結果となり、サンドリーヌ・フランソワーズ (Sandrine François )の「Il faut du temps 」は5位となった。また、2016年大会 ではアミール・アッダード (Amir Haddad )の「J'ai cherché 」が6位となった。
2008年大会 でのセバスチャン・テリエ (Sébastien Tellier )の参加経験から、フランスのショービジネスにおいてユーロビジョンは強力な広告となることが示された。それ以降、有名歌手をフランス代表として選ぶことが決まった。そうした野心的な試みから、2009年大会 ではフランスのスーパースター、パトリシア・カース がフランス代表としてロシア のモスクワ で行われる大会に挑むこととなった。カースは世界的な人気を誇るフランス語の歌手であり、全世界でこれまでに1600万枚以上のレコードを売り上げている[ 1] 。
不参加
1956年の初参加以降、2019年までの間にフランスが同大会に出場しなかったのは1974年と1982年のみである。1974年、大会に参加する歌手と楽曲を選んだものの、フランス共和国大統領 のジョルジュ・ポンピドゥー が大会の行われる週に死去したため参加を辞退した[ 2] 。もし大会に参加していれば、フランス代表はダニ (Dani )で、曲は「La vie à vingt-cinq ans」を歌う予定であった。
1981年 11月、TF1は1982年のユーロビジョン大会への不参加を決定し、TF1のエンターテイメントの最高責任者ピエール・ブーティエ(Pierre Bouteiller)は、「才能の欠如と楽曲の凡庸には苛立ちがこみ上げる。ユーロビジョンは虚無の記念碑だ。」と述べた[ 3] 。ユーロビジョンからの撤退を惜しむ世論に後押しされたフランス・テレビジョン がこれに代わって、1983年大会 以降、フランス代表を選ぶ国内選考の主催をはじめとする、フランスにおけるユーロビジョン関連業務を引き受けた。
参加者
表示
1
優勝
2
2位
3
3位
◁
最下位
X
出場曲を決定したが不参加
投票履歴
1998年 に電話投票が導入されて以降、フランスはトルコ 、ポルトガル 、イスラエル 、アルメニア といった、フランス国内に大規模なディアスポラ 人口のある国々に投票するようになった。1999年のポルトガルへの12点、2006年のイスラエルへの4点はそれぞれの国における唯一の加点であり、2000年のイスラエルへの6点も同国のほぼ全得点であった。
フランスから得点が送られた国々
フランスに得点を送った国々
得点早見表(得点は決勝のときのもののみであり、準決勝のものは含まない。2016年以降は上段が審査員票、下段が視聴者票を示す。12点は太字で表示)
国/年
合計
その他の国
リンク
1956
-
不明
[ 12]
1957
17
2
1
2
6
2
4
[ 13]
1958
27
6
7
1
1
9
1
1
1
[ 14]
1959
15
1
1
1
4
4
2
2
[ 15]
1960
32
5
1
2
1
4
4
1
5
3
5
1
[ 16]
1961
13
2
1
2
4
1
2
1
[ 17]
1962
26
1
2
2
3
3
2
3
3
2
1
3
1
[ 18]
1963
25
4
2
4
4
1
1
1
2
5
1
[ 19]
1964
14
3
1
3
5
1
1
[ 20]
1965
22
1
1
3
3
1
5
5
3
[ 21]
1966
1
1
[ 22]
1967
20
1
2
1
1
1
4
2
2
4
2
[ 23]
1968
20
2
2
3
3
1
6
3
[ 24]
1969
18
4
4
2
1
1
1
2
2
1
[ 25]
1970
8
3
1
2
2
[ 26]
1971
82
6
5
4
3
9
8
4
5
5
5
3
3
5
2
8
5
2
[ 27]
1972
81
5
9
3
2
6
3
2
2
5
7
4
7
2
5
6
5
8
[ 28]
1973
65
5
5
2
2
5
4
5
5
4
4
4
3
2
5
7
3
[ 29]
1975
91
12
8
7
8
8
3
8
8
1
2
12
7
7
[ 30]
1976
147
7
8
5
6
12
12
5
10
10
12
8
3
10
5
12
12
10
[ 31]
1977
136
10
6
10
10
7
8
7
12
6
10
12
3
12
4
5
4
10
[ 32]
1978
119
6
8
5
10
12
6
8
6
10
5
8
10
4
3
2
8
2
5
1
[ 33]
1979
106
6
5
10
5
12
8
10
5
3
7
1
6
6
10
12
[ 34]
1980
45
3
5
4
7
1
4
6
1
3
3
5
1
2
[ 35]
1981
125
4
1
7
12
6
7
8
12
10
2
12
5
10
3
10
4
12
[ 36]
1983
56
1
10
2
4
7
10
4
3
6
3
3
3
[ 37]
1984
61
6
7
8
12
3
4
2
2
10
7
[ 38]
1985
56
2
3
10
3
4
12
4
6
1
5
3
3
[ 39]
1986
13
7
3
3
[ 40]
1987
44
4
10
5
1
4
2
5
1
12
[ 41]
1988
64
7
2
5
3
2
2
3
3
8
1
3
2
1
12
10
[ 42]
1989
60
6
5
3
5
4
7
5
1
3
2
5
3
3
8
[ 43]
1990
132
12
8
6
2
12
7
12
5
5
5
10
4
12
12
4
4
12
[ 44]
1991
146
7
7
6
12
12
12
7
8
7
5
8
8
12
10
7
5
3
10
[ 45]
1992
73
5
12
6
6
3
12
6
3
3
10
7
[ 46]
1993
121
8
10
4
8
7
3
10
3
8
4
8
4
12
7
6
1
12
6
[ 47]
1994
74
5
2
6
7
4
3
8
7
6
2
6
8
10
[ 48]
1995
94
8
5
1
7
10
2
2
3
3
8
6
8
2
6
10
6
7
[ 49]
1996
18
1
3
4
2
7
1
[ 50]
1997
95
10
10
12
5
3
4
3
2
2
1
2
12
2
12
3
6
6
[ 51]
1998
3
2
1
[ 52]
1999
14
2
2
8
2
[ 53]
2000
5
2
3
[ 54]
2001
142
4
7
6
2
10
8
4
6
6
3
6
6
6
1
7
10
12
12
7
7
12
[ 55]
2002
104
10
7
3
3
10
8
8
3
5
6
12
10
8
2
5
4
[ 56]
2003
19
3
8
2
6
[ 57]
2004
40
1
7
4
10
2
12
4
[ 58]
2005
11
1
5
5
[ 59]
2006
5
2
3
[ 60]
2007
19
4
2
8
2
3
[ 61]
2008
47
8
4
3
2
6
4
5
1
2
1
3
8
[ 62]
2009
107
6
3
2
6
3
1
5
3
6
6
7
3
7
3
2
3
1
4
7
1
6
1
5
6
10
[ 63]
2010
82
6
6
6
2
3
1
1
3
8
3
2
3
4
7
3
4
8
3
7
2
[ 64]
2011
82
2
5
1
5
7
12
6
3
2
10
4
12
4
2
1
2
1
3
[ 65]
2012
21
6
2
6
2
2
3
[ 66]
2013
14
2
2
1
1
8
[ 67]
2014
2
1
1
[ 68]
2015
4
3
1
[ 69]
2016
148
2
3
10
12
6
8
7
1
6
7
5
7
6
8
4
8
7
5
1
8
1
7
6
5
1
7
[ 70]
109
5
4
7
12
5
2
7
1
4
6
4
2
3
3
10
2
1
1
3
8
4
2
6
1
3
3
2017
45
5
3
6
6
5
5
2
1
1
4
4
3
[ 71]
90
5
1
8
4
1
6
1
6
3
4
3
3
2
3
2
1
1
12
4
3
6
5
2
4
2018
114
3
4
7
4
12
3
5
6
5
6
2
2
7
5
5
3
5
8
10
10
2
[ 72]
59
6
5
5
6
7
1
4
4
1
4
8
3
5
2019
67
1
3
2
2
3
3
10
5
4
3
5
2
3
1
2
4
8
6
[ 73]
38
4
4
2
3
3
1
3
4
1
10
2
1
2021
248
6
12
4
10
12
8
3
10
10
7
8
12
7
7
5
6
12
12
6
12
2
12
10
12
4
7
7
6
3
4
3
5
4
[ 74]
251
7
7
2
6
5
8
1
5
7
4
6
12
5
8
8
7
10
5
6
6
12
6
10
2
3
10
4
6
10
12
5
12
3
6
3
8
8
6
2022
9
1
7
1
[ 75]
8
1
1
2
1
2
1
2023
54
5
7
3
10
5
4
6
7
1
6
[ 76]
50
4
3
10
1
2
3
3
2
3
1
8
2
2
1
1
3
1
2024
218
12
3
12
1
1
6
7
5
10
10
7
4
10
5
5
7
12
8
4
10
10
10
5
12
3
6
6
10
7
10
[ 77]
227
10
4
2
6
12
2
2
6
6
5
2
6
5
7
10
6
6
6
7
6
5
7
10
4
7
6
7
4
10
7
8
7
6
6
7
8
2
主催
脚注
注釈
出典
外部リンク
概要 各年の大会
1950年代 1960年代 1970年代 1980年代 1990年代 2000年代 2010年代 2020年代
参加国
活動中※は「BIG 5」 休止中 資格停止中 現存しない国
予選 国内選考
特別番組 ジュニア
関連作品
1950年代 1960年代 1970年代 1980年代 1990年代 2000年代 2010年代 2020年代
カテゴリ