アマンダ・クッツァー
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アマンダ・クッツァー Amanda Coetzer |
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アマンダ・クッツァー | 基本情報 |
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愛称 |
小さな暗殺者 |
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国籍 |
南アフリカ共和国 |
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出身地 |
同・ホープスタッド |
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生年月日 |
(1971-10-22) 1971年10月22日(53歳) |
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身長 |
158cm |
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体重 |
54kg |
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利き手 |
右 |
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バックハンド |
両手打ち |
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ツアー経歴 |
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デビュー年 |
1988年 |
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引退年 |
2004年 |
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ツアー通算 |
18勝 |
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シングルス |
9勝 |
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ダブルス |
9勝 |
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生涯通算成績 |
837勝556敗 |
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シングルス |
568勝337敗 |
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ダブルス |
269勝219敗 |
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生涯獲得賞金 |
$5,594,821 |
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4大大会最高成績・シングルス |
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全豪 |
ベスト4(1996・97) |
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全仏 |
ベスト4(1997) |
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全英 |
4回戦(1994) |
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全米 |
ベスト8(1994・96・98) |
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4大大会最高成績・ダブルス |
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全豪 |
ベスト8(2002) |
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全仏 |
ベスト4(1993・94) |
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全英 |
3回戦(1998・2001) |
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全米 |
準優勝(1993) |
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キャリア自己最高ランキング |
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シングルス |
3位(1997年11月3日) |
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ダブルス |
15位(1993年9月27日) |
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アマンダ・クッツァー(Amanda Coetzer, 1971年10月22日 - )は、南アフリカ共和国・ホープスタッド出身の元女子プロテニス選手。身長158cm、体重54kg。女子プロテニス界では最も小柄な体格だったが、どんな球をも粘り強く拾いまくる強靭なフットワークを最大の持ち味にした。シングルス自己最高ランキングは3位。WTAツアーでシングルス9勝、ダブルス9勝を挙げた。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。
来歴
1988年1月にプロ入り。1989年の全仏オープンで4大大会にデビューする。クッツァーは1992年全米オープンから2004年全豪オープンまで、4大大会に「46大会」連続出場記録を持っている。1993年1月の「メルボルン・オープン」決勝戦で日本の沢松奈生子を破り、WTAツアー初優勝。この年は9月に東京・有明コロシアムで開かれた「ニチレイ・レディース」でも優勝している。
1996年の全豪オープンでは、当時15歳の天才少女マルチナ・ヒンギスを準々決勝で破ったが、続く準決勝でアンケ・フーバーに 6-4, 4-6, 2-6 で敗れている。1997年の全豪オープン4回戦で、当時の世界ランキング1位だったシュテフィ・グラフを 6-2, 7-5 のストレートで破り、2年連続のベスト4に進出する。1997年に、クッツァーはグラフから年間3勝を挙げた。5月中旬の「ドイツ・オープン」準々決勝では 6-0, 6-1 で圧勝した。続く全仏オープン準々決勝でも 6-1, 6-4 のストレート勝ちを収めた。準決勝で優勝したイバ・マヨリに 3-6, 6-4, 5-7 で競り負け決勝進出を逃した。
その後もクッツァーは小さな身体に秘めた闘志でテニス・コートを走り続け、2001年の全豪オープンでベスト8に進出している(ビーナス・ウィリアムズに敗退)。
ダブルスでのクッツァーは、1993年の全米オープンでイネス・ゴロチャテギ(アルゼンチン)とペアを組んだ準優勝がある。クッツァーとゴロチャテギは、決勝でアランチャ・サンチェス・ビカリオ&ヘレナ・スコバの組に 4-6, 2-6 で敗れた。
クッツァーはオリンピックの南アフリカ共和国選手として、1992年バルセロナ五輪、1996年アトランタ五輪、2000年シドニー五輪の3大会に出場している。最高成績はシドニー五輪のシングルスベスト8である。
南アフリカでテニスの一時代を築いたアマンダ・クッツァーは、2004年6月に32歳で現役を引退した。その後映画プロデューサーのアーノン・ミルチャンと結婚した。
WTAツアー決勝進出結果
シングルス: 21回 (9勝12敗)
大会グレード
|
グランドスラム (0–0)
|
ティア I (1–3)
|
ティア II (1–5)
|
ティア III (3–3)
|
ティア IV & V (4–1)
|
結果
|
No.
|
決勝日
|
大会
|
サーフェス
|
対戦相手
|
スコア
|
準優勝
|
1.
|
1991年10月21日
|
サンフアン
|
ハード
|
ジュリー・アラール
|
5–7, 5–7
|
優勝
|
1.
|
1993年1月11日
|
メルボルン
|
ハード
|
沢松奈生子
|
6–2, 6–3
|
準優勝
|
2.
|
1993年2月28日
|
インディアンウェルズ
|
ハード
|
メアリー・ジョー・フェルナンデス
|
6–3, 1–6, 6–7(6)
|
優勝
|
2.
|
1993年9月20日
|
東京
|
ハード
|
伊達公子
|
6-3, 6–2
|
準優勝
|
3.
|
1994年2月27日
|
インディアンウェルズ
|
ハード
|
シュテフィ・グラフ
|
0–6, 4–6
|
優勝
|
3.
|
1994年5月9日
|
プラハ
|
クレー
|
アサ・カールソン
|
6–1, 7–6(14)
|
準優勝
|
4.
|
1995年8月14日
|
トロント
|
ハード
|
モニカ・セレシュ
|
0–6, 1–6
|
準優勝
|
5.
|
1995年10月16日
|
ブライトン
|
カーペット (室内)
|
メアリー・ジョー・フェルナンデス
|
4–6, 5–7
|
準優勝
|
6.
|
1996年2月19日
|
オクラホマシティ
|
ハード (室内)
|
ブレンダ・シュルツ=マッカーシー
|
3–6, 2–6
|
優勝
|
4.
|
1997年4月21日
|
ブダペスト
|
クレー
|
サビーネ・アペルマンス
|
6–1, 6–3
|
準優勝
|
7.
|
1997年9月22日
|
ライプツィヒ
|
カーペット (室内)
|
ヤナ・ノボトナ
|
2–6, 6–4, 3–6
|
優勝
|
5.
|
1997年10月20日
|
ルクセンブルク
|
カーペット (室内)
|
バルバラ・パウルス
|
6–4, 3–6, 7–5
|
優勝
|
6.
|
1998年4月5日
|
ヒルトン・ヘッド
|
クレー
|
イリナ・スピールリア
|
6–3, 6–4
|
準優勝
|
8.
|
1999年2月7日
|
東京
|
カーペット (室内)
|
マルチナ・ヒンギス
|
2–6, 1–6
|
準優勝
|
9.
|
1999年2月22日
|
オクラホマシティ
|
ハード (室内)
|
ビーナス・ウィリアムズ
|
4–6, 0–6
|
準優勝
|
10.
|
2000年5月8日
|
ベルリン
|
クレー
|
コンチタ・マルティネス
|
1–6, 2–6
|
優勝
|
7.
|
2000年5月15日
|
アントワープ
|
クレー
|
クリスティナ・トレンス・バレロ
|
4–6, 6–2, 6–3
|
優勝
|
8.
|
2001年2月26日
|
アカプルコ
|
クレー
|
エレーナ・デメンチェワ
|
2–6, 6–1, 6–2
|
準優勝
|
11.
|
2001年4月9日
|
アメリアアイランド
|
クレー
|
アメリ・モレスモ
|
4–6, 5–7
|
準優勝
|
12.
|
2003年2月16日
|
メンフィス
|
ハード (室内)
|
リサ・レイモンド
|
3–6, 2–6
|
優勝
|
9.
|
2003年2月24日
|
アカプルコ
|
クレー
|
マリアナ・ディアス=オリバ
|
7–5, 6–3
|
ダブルス: 23回 (9勝14敗)
結果
|
No.
|
決勝日
|
大会
|
サーフェス
|
パートナー
|
対戦相手
|
スコア
|
優勝
|
1.
|
1992年4月27日
|
ターラント
|
クレー
|
イネス・ゴロチャテギ
|
レイチェル・マッキラン ラドカ・ズルバコバ
|
4–6, 6–3, 7–6(0)
|
準優勝
|
1.
|
1992年7月6日
|
キッツビュール
|
クレー
|
ヴィルトルート・プロブスト
|
アレクシア・デショーム フロレンシア・ラバト
|
3–6, 3–6
|
準優勝
|
2.
|
1992年9月28日
|
台北
|
ハード
|
キャミー・マグレガー
|
ジョー=アン・ファウル ジュリー・リチャードソン
|
6–3, 3–6, 2–6
|
優勝
|
2.
|
1992年10月26日
|
サンフアン
|
ハード
|
エルナ・ライナッハ
|
ジジ・フェルナンデス キャシー・リナルディ
|
6–2, 4–6, 6–2
|
準優勝
|
3.
|
1993年4月5日
|
アメリアアイランド
|
クレー
|
イネス・ゴロチャテギ
|
マニュエラ・マレーバ=フラニエール レイラ・メスヒ
|
6–3, 3–6, 4–6
|
準優勝
|
4.
|
1993年9月12日
|
全米オープン
|
ハード
|
イネス・ゴロチャテギ
|
アランチャ・サンチェス・ビカリオ ヘレナ・スコバ
|
4–6, 2–6
|
準優勝
|
5.
|
1993年9月26日
|
東京
|
ハード
|
リンダ・ワイルド
|
リサ・レイモンド チャンダ・ルビン
|
4–6, 1–6
|
準優勝
|
6.
|
1993年11月1日
|
オークランド
|
カーペット (室内)
|
イネス・ゴロチャテギ
|
パティ・フェンディック メレディス・マグラス
|
2–6, 0–6
|
準優勝
|
7.
|
1994年4月4日
|
アメリアアイランド
|
クレー
|
イネス・ゴロチャテギ
|
ラリサ・ネーランド アランチャ・サンチェス・ビカリオ
|
2–6, 7–6(6), 4–6
|
優勝
|
3.
|
1994年5月16日
|
プラハ
|
クレー
|
リンダ・ワイルド
|
クリスティ・ボーグルト ローラ・ゴラルサ
|
6–4, 3–6, 6–2
|
優勝
|
4.
|
1995年4月3日
|
アメリアアイランド
|
クレー
|
イネス・ゴロチャテギ
|
ニコル・アレント マノン・ボーラグラフ
|
6–2, 3–6, 6–2
|
優勝
|
5.
|
1995年5月25日
|
ベルリン
|
クレー
|
イネス・ゴロチャテギ
|
ラリサ・ネーランド ガブリエラ・サバティーニ
|
4–6, 7–6(3), 6–2
|
準優勝
|
8.
|
1995年9月23日
|
東京
|
ハード
|
リンダ・ワイルド
|
リンゼイ・ダベンポート メアリー・ジョー・フェルナンデス
|
3–6, 2–6
|
優勝
|
6.
|
1996年9月22日
|
東京
|
ハード
|
マリー・ピエルス
|
朴晟希 王思婷
|
6–1, 7–6(5)
|
優勝
|
7.
|
1997年4月27日
|
ブダペスト
|
クレー
|
アレクサンドラ・フセ
|
エバ・マーティンコバ エレナ・ワグナー
|
6–3, 6–1
|
準優勝
|
9.
|
1998年5月10日
|
ローマ
|
クレー
|
アランチャ・サンチェス・ビカリオ
|
ビルヒニア・ルアノ・パスクアル パオラ・スアレス
|
6–7(1), 4–6
|
準優勝
|
10.
|
1999年2月22日
|
オクラホマシティ
|
ハード (室内)
|
ジェシカ・ステック
|
リサ・レイモンド レネ・スタブス
|
3–6, 4–6
|
準優勝
|
11.
|
1999年4月26日
|
ハンブルク
|
クレー
|
ヤナ・ノボトナ
|
ラリサ・ネーランド アランチャ・サンチェス・ビカリオ
|
2–6, 1–6
|
準優勝
|
12.
|
1999年9月26日
|
東京
|
ハード
|
エレナ・ドキッチ
|
コンチタ・マルティネス パトリシア・タラビーニ
|
7–6(5), 4–6, 2–6
|
準優勝
|
13.
|
2000年5月14日
|
ベルリン
|
クレー
|
コリーナ・モラリュー
|
アランチャ・サンチェス・ビカリオ コンチタ・マルティネス
|
6–3, 2–6, 6–7(7)
|
優勝
|
8.
|
2001年9月19日
|
オクラホマシティ
|
ハード (室内)
|
ロリ・マクニール
|
ジャネット・リー ウィニー・プラクシャ
|
6–3, 2–6, 6–0
|
準優勝
|
14.
|
2001年5月21日
|
ストラスブール
|
クレー
|
ロリ・マクニール
|
シルビア・ファリナ・エリア イロダ・ツルヤガノワ
|
1–6, 6–7(0)
|
優勝
|
9.
|
2001年9月10日
|
バイーア
|
ハード
|
ロリ・マクニール
|
ニコル・アレント パトリシア・タラビーニ
|
6–7(8), 6–2, 6–4
|
4大大会シングルス成績
- 略語の説明
W
|
F
|
SF
|
QF
|
#R
|
RR
|
Q#
|
LQ
|
A
|
Z#
|
PO
|
G
|
S
|
B
|
NMS
|
P
|
NH
|
W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加, Z#=デビスカップ/BJKカップ地域ゾーン, PO=デビスカップ/BJKカッププレーオフ, G=オリンピック金メダル, S=オリンピック銀メダル, B=オリンピック銅メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, P=開催延期, NH=開催なし.
外部リンク
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