アル・アンサー
アルフレッド・「アル」アンサー(Alfred "Al" Unser, 1939年5月29日 - 2021年12月9日)はアメリカの元レーシングドライバー。アメリカ合衆国ニューメキシコ州アルバカーキ生まれ。ボビー・アンサーの弟であり、アル・アンサーJr.の父親でもある。息子アルJr.のデビュー後は、アル・アンサーSr.(シニア)として紹介されるようになり、またビッグ・アル(Big Al)の愛称で親しまれた。 彼はインディ500で4度の優勝(1970年、1971年、1978年、1987年)を遂げた4人のうちの1人であり、また兄弟(ボビー)息子(アルJr.)とともに同レースに勝利した唯一のドライバーである。アンサーはインディ500において通算646ラップリーダーを誇り、2005年現在の最高記録を保持している。彼はインディ500の連続優勝経験者5人のうちの1人でもある。 アンサーは1970年、1983年、1985年にチャンプカー(当時CART)でチャンピオンに輝いた。 1998年には国際モータースポーツ殿堂入りを果たした。 生い立ちおよび家族アンサーはニューメキシコ州アルバカーキで生まれた。父親のジェリー・アンサーJr.と二人のおじ、ルイスとジョーはレーシングドライバーであった。コロラド州で毎年開催されていたパイクスピーク・インターナショナル・ヒルクライムには1926年から参加していたという。 ジョー・アンサーはアンサー家の中で競技中に死亡した最初の人物であった。彼は1929年にデンバーの高速道路でFWDのコールマン・スペシャルを試乗中に事故死した。 アルの長兄、ジェリーは一家の中で初めてインディアナポリス・モーター・スピードウェイを走行した。1958年のインディ500で予選23位、決勝31位を記録する。しかしながら、翌年のプラクティスでクラッシュ、その負傷が原因で死亡した。 次兄のボビーは1963年に初めてインディ500に出場、1968年には優勝を果たし、一家の中で初めてインディ500を制した。 1983年、息子のアル・アンサーJr.が初めてインディ500に出場した。 2021年12月9日、同年5月に死去した兄・ボビーの後を追うように82歳で死去[1]。 レース経歴とインディ500
アルは1957年、18歳でレースを始める。当初は改造したロードスター、スプリントカー、ミジェットカーで競争した。1965年に初めてインディ500に参戦し、9位でフィニッシュした。 1967年にはUSACストックカー・ディヴィジョンに参戦し、ルーキーオブザイヤーを獲得した。 兄・ボビーの優勝の2年後である1970年、アルはインディ500を制した。レースでは200ラップ中190ラップをリードし、平均速度は155.749マイル毎時 (250.654 km/h)であった。迅速なピットストップが勝利の要因であった。そのシーズン、彼はオーバル、ロード、ダートコースで10勝を挙げ、USACナショナル・チャンピオンシップを獲得した。翌1971年もインディ500を制し、5位からスタートして平均速度は157.735 mphであった。 1972年は3連覇を狙ったが、マーク・ダナヒューが優勝し2位に終わった。 1987年のインディ500では練習走行中にクラッシュし、負傷したダニー・オンガイスの代役で出場し、4度目の優勝を遂げた[2]。 1992年のインディ500では予選でクラッシュし、負傷したネルソン・ピケの代役で出場し、3位に入った(優勝は息子のアル・アンサーJr.)[3]。 1994年のインディ500の予選中に現役引退を表明した。 記録インディカーでの成績
インディ500での成績
インディ500での予選結果
脚注
関連項目外部リンク
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