アントキの猪木
アントキの猪木(アントキのいのき、本名小松原 裕(こまつばら ゆたか)、男性、1973年6月8日 - )は、アントニオ猪木のものまね芸を主体とする日本茨城県かすみがうら市出身のものまね芸人である。マセキ芸能社所属。 来歴デビューまで千代田村立下稲吉東小学校、下稲吉中学校、茨城県立土浦工業高等学校建築科卒業。中学・高校時代は野球部に所属。専門学校中央工学校建築科卒業。二級建築士資格を有する。 中央工学校卒業後、当時の千代田町職員として町役場に勤務する。建築課・土木課を経て、23歳の時、高齢福祉課に異動。二級建築士の資格を持ちながら高齢福祉課へ配属されたことに本人は不満だったが、高齢者の話相手を続けるうちその仕事が楽しくなり、やがて敬老会、カラオケ大会などイベントの司会も務める。 この時期「アントニオ猪木に似ている」と言われたことをきっかけに司会などで余興ながらものまねを始めるようになったが、上司や市民との喧嘩などが問題視され、主に草刈りなどが仕事の施設管理業務に異動となった後、28歳で退職した[1]。 退職後3年半の間パチプロとして生活しており、他にも合コンのセッティングなど多くの職業を経験。その後、茨城県・土浦のものまねパブ「歌芸夢者」でスタッフとしても働いていたが、ある時にものまねもやってみるように勧められた。当時、ものまねに対して乗り気ではなく、渋々と始めた[2]。 『笑っていいとも!』で関係者の目に留まる『笑っていいとも!』の期間限定コーナー「身内自慢コンテスト」にて、猪木のそっくりさんとして出場し関係者の目に止まったことをきっかけとしてデビュー。以後、『笑いの金メダル』『爆笑レッドカーペット』などで活躍。また、そのかたわら2007年7月11日にハッスルハウスvol.26においてプロレスデビューも果たす。ニックネームは『燃える合コン』。 2007年、飲み会がきっかけで30代実業家と意気投合。1年半に及ぶ交際の末、結婚。猪木の決め台詞「1、2、3ダァーッ!」に引っ掛け2009年1月23日に婚姻届を提出した。 偽ジャパン2015年に、自らが代表を務める「偽ジャパン」(いつわりジャパン)という団体を設立した。他のスポーツ選手のモノマネを得意とするタレントを集め、スポーツを通じた青少年育成やボランティア活動を行う慈善団体として活動している。また、「偽ジャパン」として、茨城県境町の観光親善大使にも任命されている。2017年からはニッポン放送ショウアップナイター応援ユニット、有楽町ベンチーズ監督に就任。背番号は「123」[3]。 2019年4月、同年からベースボール・チャレンジ・リーグのリーグ戦に参加する茨城アストロプラネッツの「球団公認選手兼PRアンバサダー」(登録選手外のスタッフ)として入団[4]。4月6日におこなわれたシーズン開幕戦(ひたちなか市民球場)ではマイクパフォーマンスを披露した[5]。2022年8月29日、茨城初の地区優勝がかかった試合の開始前にパフォーマンスを披露[6]、その試合で茨城は地区優勝を達成した[7]。 芸風
人物出演テレビ
他 ドラマ
映画ミュージックビデオ
映像作品
ラジオゲーム
CM
Web
脚注注釈出典
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