シルバーチャーム (Silver Charm) は、アメリカ合衆国の競走馬、種牡馬である。1997年のアメリカ二冠馬で、1998年のドバイワールドカップの優勝馬。2007年アメリカ競馬殿堂入り。
アメリカ・フロリダ州[1] のスコット・ダッドレイ夫妻の牧場で生まれた。主戦騎手はゲイリー・スティーヴンス[1]。
戦績
2歳となった1996年に、アメリカ合衆国でデビューした。
翌1997年5月3日、単勝2番人気で迎えたアメリカクラシック三冠緒戦のケンタッキーダービー(ケンタッキー州チャーチルダウンズ競馬場)では、迫る本命[2] 馬キャプテンボジットをアタマ差凌いで優勝し、バラのレイを授かった[3]。三冠2戦目となる同月17日のプリークネスステークス(メリーランド州ピムリコ競馬場)では、同じく芦毛のライバルであるフリーハウスに、ここでもアタマ差[1] 競り勝って二冠を達成。アファームド以来となる三冠の期待がかかった6月のベルモントステークス(ニューヨーク州ベルモントパーク競馬場)では本命に推されるもタッチゴールドの2着に終わり、三冠を逃した。しかし二冠が評価され、この年のエクリプス賞最優秀3歳牡馬に選出された。
古馬となった翌1998年3月にはアラブ首長国連邦のドバイワールドカップ(ドバイ、ナドアルシバ競馬場)へ遠征し、地元のスウェインに競り勝って世界最高額の優勝賞金を手にした。その後4戦して同年11月、アメリカ最大の競走であるブリーダーズカップ・クラシックに出走。同年のブリーダーズカップ・クラシックには他にもスキップアウェイ、スウェイン、ヴィクトリーギャロップ、コロナドズクエスト、オーサムアゲイン、ジェントルメンといった近年まれに見る豪華なメンバーが出走していたが、スキップアウェイに続く2番人気に支持された。レースでは再びスウェインとの叩き合い[4] となりスウェインには先着したが、3番人気のオーサムアゲインにコースの内側をすくわれ2着に終わった。
翌1999年3月、ふたたび遠征したドバイワールドカップは前年の優勝馬として期待されたが、競走中に鼻出血を発症して6着に敗れた。さらには同年6月の競走でも再び鼻出血を発症して4着に敗れ、この競走を最後に競走生活から引退した。
最後は燃え尽きたが、勝つ時はいつも競り合いを制してのもので、図抜けてはいなかったが実に勝負強く、フリーハウスやスウェインといったライバルと数多くの名勝負を残した。1999年に「ブラッド・ホース」誌が選出した「20世紀のアメリカ名馬100選」で第63位に選ばれた[1] ほか、2007年にはアメリカ競馬の殿堂入りを果たしている[1][5]。
競走成績・受賞歴
アメリカ合衆国(米)22戦11勝、アラブ首長国連邦(首)2戦1勝。
種牡馬時代
2000年にアメリカ・ケンタッキー州のスリーチムニーズファームで種牡馬となる[1]。2004年に日本中央競馬会 (JRA) に買い取られ[6]日本に輸出され、翌2005年から新ひだか町静内の日本軽種馬協会 (JBBA) 静内種馬場で供用される[1]。日本での供用初年度は102頭に種付けして[1][7]、のちに69頭が血統登録された[7]。
2007年、この年の種付けシーズン終了後、青森県にあるJBBA七戸種馬場に移動した[1][8]。
2008年、6月18日に旭川競馬場で行われたフレッシュチャレンジをシルバーカテリーナが制して、日本へ輸入後に誕生した内国産の産駒が初勝利を挙げた[7]。この年の種付けシーズン終了後、JBBA胆振種馬場に移動した。
2012年の種付けシーズン終了後にJBBA静内種馬場へ移動した。
2014年をもって種牡馬を引退。アメリカへ帰国し、オールドフレンズで功労馬として余生を過ごす[9]。
代表産駒
- 2001年産
- 2003年産
- スプリングワルツ / Spring Waltz(ランパートハンデキャップ〈米G2〉)
- 2006年産
- 2008年産
- マルブツシルヴァー[7](秋陽ジャンプステークス)
- 2013年産
母父としての代表産駒
血統表
脚注
外部リンク