タップダンスシチー(欧字名:Tap Dance City、1997年3月16日 - )は、日本の競走馬、種牡馬[1]。アメリカ合衆国で生産された外国産馬である。
2003年のジャパンカップ(GI)、2004年の宝塚記念(GI)を優勝した。ジャパンカップは、1984年カツラギエース以来19年ぶり2例目となる逃げ切り完遂。2着ザッツザプレンティとの差9馬身は、JRA-GIにおける史上最大着差記録を樹立した。宝塚記念は、1970年スピードシンボリ以来34年ぶり2例目となる7歳以上の身[注釈 1]での優勝。また、2003年から2005年にかけて金鯱賞(GII)を優勝し、1956年から1958年にかけて鳴尾記念を優勝したセカイオー以来、47年ぶり2例目となるJRAサラ系平地同一重賞3連覇。連覇の2004年金鯱賞は、1998年サイレンススズカの走破タイムを0.3秒上回り、コースレコードを樹立した。
その他の成績に、2003年の京都大賞典(GII)優勝、2002年の朝日チャレンジカップ(GIII)優勝、2002年および2004年の有馬記念(GI)2着、2003年宝塚記念3着などがある。通算12勝、重賞7勝2着3回などで獲得した賞金は、引退時点でテイエムオペラオー、スペシャルウィークに次いでJRA史上第3位。外国産馬として初めて獲得賞金10億円越えを果たした。
デビューまで
誕生までの経緯
オールダンスは、ノーザンダンサーの産駒であり、フランスと北アメリカで24戦1勝[9]。繁殖牝馬として1985年に初仔を生産、1989年産4番仔のカレッツァ(父:カロ)は、アメリカG3競走2着となっていた[10][11][12]。1995年産9番仔の牡馬(父:クリプトクリアランス)は、愛馬会法人株式会社友駿ホースクラブが購買。オールダンスの産駒で初めて日本に輸入された[10]。友駿の冠名「シチー」を含む「クリプトシチー」という名が与えられ、栗東トレーニングセンターの佐々木晶三厩舎から競走馬デビューを果たしていた[注釈 2][13]。
1997年3月16日、11番仔となる鹿毛の牡馬(後のタップダンスシチー)が生産される。11番仔の父はプレザントタップであった。プレザントタップは、競走馬としてアメリカで走り32戦9勝[14]。1992年のジョッキークラブゴールドカップ(G1)勝利を含むG1競走2勝のほか、ダート1400メートルから2000メートルの重賞勝ち鞍があり、1991年のブリーダーズカップスプリント(G1)でシェイクアルバドゥ(英語版)に次ぐ2着、1992年のブリーダーズカップクラシック(G1)でエーピーインディに次ぐ2着となっていた[14][15]。
幼駒時代
11番仔は、クリプトシチーと同様に友駿ホースクラブが購買。1歳秋に日本に輸入された[16]。愛馬会法人株式会社友駿ホースクラブ愛馬会にて、総額3000万円(全500口、一口6万円)で出資会員の募集を実施[17]。冠名「シチー」を用いて「タップダンスシチー」という競走馬名が与えられた。友駿は、クリプトシチーの弟を日本に導入したことを佐々木に報告した[18]。それに応じて検分に訪れた佐々木は、タップダンスシチーを一目見て感じるものがあり、管理を友駿の社長に申し出ている[注釈 3][19][18]。タップダンスシチーは、兄同様に佐々木厩舎に入厩し、競走馬としてデビューした[18]。
競走馬時代
騎手10人起用、鞍上流動期
3歳 - 5歳前半(2000年3月 - 2002年7月)
3歳だった2000年3月4日、阪神競馬場の新馬戦(芝2000メートル)でデビュー。同19日の2戦目の新馬戦で初勝利を挙げた[20]。重賞初挑戦となった4戦目、5月の京都新聞杯(GIII)ではアグネスフライトに約3馬身差の3着[21]。条件戦4連敗を挟んだ12月、格上挑戦となった900万円以下、天竜川特別で2勝目を挙げる。それから4歳となった2001年は、オープン、準オープン、1000万円以下で6戦するもすべて敗れた[20]。5歳となった2002年は、1月の日経新春杯(GII)で格上挑戦し、トップコマンダーに1馬身半以内の3着となると、2月の春日特別で1000万円以下、3月の御堂筋ステークスで1600万円以下を連勝で突破し、オープンクラスに昇格した[20]。
昇格初戦、3月23日の日経賞(GII)ではアクティブバイオにアタマ差の2着でさらに収得賞金を加算。その後3戦したものの、勝利には至らなかった[20]。ここまで22戦して4勝、京都新聞杯3着など能力は見込まれていたが、出世は遅かった[22]。佐々木によれば、タップダンスシチーの気性が原因だったという。入れ込む様子は佐々木に「タップダンス」していると例えられ、出走直前のパドックでは「タップダンス」を防ぐために「二人引き」をしており、その気性からレースで出遅れたり、外側への逃避癖を見せて敗退を繰り返していた[22]。それに加えて谷川善久は、騎手を固定することができず最適な騎乗法を見出せなかったこと[22]、父とその産駒たちが短距離から長距離まで、若い時から年をとっても勝利を挙げていたために、タップダンスシチーの最適距離、活躍時期を明確にできなかったことを指摘している[22]。
騎手11人目佐藤哲三、主戦固定期
5歳後半(2002年9月 - )
9月7日、朝日チャレンジカップ(GIII)で重賞6度目の出走。これまでタップダンスシチーに騎乗していた四位などは、札幌に赴いたり、先約があるなどして誰も騎乗できず「たまたま[23]」(谷川善久)空いていた佐藤哲三に白羽の矢が立った[23][24]。テン乗りの佐藤を配して、当日は5番人気の支持だった[25]。
スタートから先行して3番手を追走、直線で抜け出したが、後方内から2番人気イブキガバメント、1番人気トゥルーサーパスに接近された[26]。3頭での先頭争いとなったが、差し返してクビ差だけ先着。重賞初勝利を挙げた[27][26]。走破タイム1分58秒1は、2000年朝日チャレンジカップのミッキーダンス、1分58秒3[注釈 4]を0.2秒上回り、コースレコードを樹立した[27]。これ以降タップダンスシチーが引退するまで、鞍上は佐藤で固定されることとなる[26]。その後、京都大賞典(GII)アルゼンチン共和国杯(GII)京阪杯(GIII)とすべて入着したものの、勝利には至らなかった。
ファン投票第50位となる6025票を背負い[28]、12月22日の有馬記念(GI)でGI初挑戦[29]、単勝式はブービー13番人気という支持で出走した[30]。5枠8番からスタートし先手を主張するも、外からファインモーションに制されて2番手を追走[31]。ファインモーションがペースを落としたが、タップダンスシチーは逆らって向こう正面でファインモーションをかわして先頭を得た[31]。
以降、佐藤が促してペースアップ。後方との差を大きく広げて最終コーナーを通過した[31]。後方のほとんどが余力なく伸びを欠き、直線に入ってもしばらく先頭をキープしていたが、ただ1頭天皇賞(秋)優勝馬の1番人気シンボリクリスエスが末脚を発揮。かわされたものの粘り、半馬身差の2着を確保した[32]。外国産馬のワンツーフィニッシュは、有馬記念史上初めての出来事だった[33]。
6歳(2003年)
金鯱賞優勝 - 京都大賞典優勝
4月26日の東京競馬場リニューアル記念(OP)[注釈 5]で始動。GI2着の後、二段階以上格を落として参戦したものの、単勝7番人気の支持だった[34]。4番手で直線に向き、追う前々年の優駿牝馬(オークス)優勝馬レディパステルに2馬身差をつけて勝利[34]。続く5月31日の金鯱賞(GII)は、前年同競走優勝馬ツルマルボーイ、3歳GII2勝の4歳馬バランスオブゲーム、前々年の牝馬二冠を含むGI3勝のテイエムオーシャンに続く4番人気で出走[35]。台風通過後の稍重馬場での開催だった[36]。
スタートからダイタクフラッグが逃げ、それに次ぐ2番手を追走していたが、第3コーナーで代わって先頭となった[36]。以後早めに仕掛けられて、後続との差を広げた[36]。直線では、大外に持ち出したツルマルボーイなどが接近してきたが、半馬身先着。重賞2勝目を挙げた[36]。佐藤は「離して行ったほうが力が出せる馬で、今回は持ち味を出したレースだと思います。[37]」と述べている。
ファン投票第12位、24180票を背負い[38]、6月29日の宝塚記念(GI)に出走。シンボリクリスエス、春のクラシック二冠を果たした3歳馬ネオユニヴァース、GI級競走6勝のアグネスデジタルに次ぐ4番人気に推された[39]。8枠16番からスタートして内の先行馬にハナを譲り、中団外を進んだ[40]。
外を回り続け、最終コーナーで先頭となる場面も見られたが、外から追い込んだ6番人気ヒシミラクル、8番人気ツルマルボーイにかわされた[41]。ゴール板手前では余力はなかったが粘り、ネオユニヴァースやシンボリクリスエスを4、5着に押しのけて3着を確保する[40][42]。夏は、北海道浦河町の日進牧場で休養、軽種馬育成調教センター(BTC)で調整された[43]。
10月12日、京都大賞典(GII)で始動、単勝1番人気に推される。天皇賞(春)、宝塚記念と連勝中のヒシミラクルの始動戦であったが、ヒシミラクルを2番人気に押しのけた[44]。スタートからハナを奪い逃げることに成功。しかし、ヒシミラクルに背後を取られてマークされる展開となった[23][44]。
スローペースで逃げ、先頭のまま最終コーナーを通過。ヒシミラクルが接近してきたものの、仕掛けられ次第突き放した[44]。1馬身4分の1差をつけて先頭で入線、重賞3勝目。1998年セイウンスカイ以来となる逃げ切り勝利を果たした[45]。レース後佐々木は、タップダンスシチーに東京競馬場芝2000メートルは向いていないと考え、天皇賞(秋)出走を見送った[44]。
ジャパンカップ優勝
11月30日、ジャパンカップ(GI)に出走。サンクルー大賞連覇に加えて、香港ヴァーズを勝利したフランスのアンジュガブリエル、ブリーダーズカップターフ勝利から臨むアメリカのジョハー(英語版)、コックスプレートを勝利したオーストラリアのフィールズオブオマー(英語版)、前年のジャパンカップ2着のサラファンなど外国調教馬9頭に、日本調教馬9頭を加えた18頭が集結した[46]。外国調教馬はアンジュガブリエルの3番人気12.1倍が最高であった。1番人気は天皇賞(秋)で連覇を果たしたシンボリクリスエスが1.9倍、ネオユニヴァースが7.0倍。アンジュガブリエルを挟んだ4番人気13.8倍がタップダンスシチーであった[47]。前日から雨が降った影響で当日は不良馬場で始まり、第9競走で1段階回復[48]。第10競走ジャパンカップは、11年ぶりに重馬場での開催となった[48]。
1枠1番からスタート次第飛ばし、後方との差を広げて単騎で逃げた。2コーナーで後方に「4馬身から5馬身」のリードを作り、向こう正面から第3コーナーを経ると、リードは10馬身まで拡大した[49]。先頭を保ったまま直線コースに進入。残り600メートル地点からのタップダンスシチーは、37.4秒の末脚を発揮した[50]。一方後続は、例えば最速のネオユニヴァースでも37.0秒に留まり、リードはそれほど縮まらなかった[49]。菊花賞優勝から臨んだ5番人気ザッツザプレンティに9馬身差をつけて先頭で入線する[51]。
GI初優勝。1984年カツラギエース以来19年ぶり、レース史上2例目となる逃げ切り勝利[53]。またザッツザプレンティと9馬身差の決着は、1998年優勝のエルコンドルパサー、2着エアグルーヴの「2馬身半」を上回る、レース史上最大着差記録[53]。さらに、JRA-GI史上最大着差記録[注釈 9]を樹立した[53]。加えて、友駿ホースクラブは、ゴールドシチーの1986年阪神3歳ステークス以来17年ぶりのGI勝利[54]、佐藤はマイネルマックスの1996年朝日杯3歳ステークス以来7年ぶりのGI勝利[49]。1994年厩舎開業の佐々木は、10年目でGI勝利となった[51]。
ジャパンカップは、佐藤及び佐々木にとって縁のあるレースであった。佐々木は、アメリカ調教馬メアジードーツが制した1981年、第1回ジャパンカップを見て以来、騎手時代に最も騎乗したかったレースだったが、叶わず引退しており[18]、調教師となってからも、最も管理馬を出走および勝利させたい、東京優駿(日本ダービー)よりも出走および勝利させたいレースと志し、それを初出走で勝利まで叶えた[29][55]。一方の佐藤は中学生の頃、前述のカツラギエースが逃げて制した1984年、第4回ジャパンカップをテレビで見て騎手を志しており、その19年後に同じ戦法で勝利を叶えた[17][29]。佐藤は、この逃げ戦法について、発走直前の返し馬の際に、この重馬場で2、3番手追走すれば「ノメってしまう[17]」と考えたためであった[49]。
その後は、12月28日の有馬記念(GI)に出走。ファン投票では第5位となる8万852票を集めた[56]。2.6倍のシンボリクリスエスに次ぐ、3.9倍の2番人気に支持された[57]。シンボリクリスエスが9馬身差、タップダンスシチーの史上最大着差記録タイで優勝する一方、13馬身以上後れをとる8着となった[58]。
7歳(2004年)
金鯱賞連覇 - 宝塚記念優勝
有馬記念後は休養し、5月29日の金鯱賞(GII)で始動[59]。出走12頭のうち、9頭が重賞優勝経験、4頭がGI優勝経験があるメンバーの中、2.3倍の1番人気に推される[60][61]。以降人気は、ザッツザプレンティ、重賞4勝のマグナーテン、前年のエリザベス女王杯優勝馬アドマイヤグルーヴ、前年の牝馬三冠馬スティルインラブが続いていた[61]。
スタートから、タマモヒビキとマグナーテンが飛ばし、それに続く3番手、好位に位置した[60]。向こう正面から第3コーナーにかけてまくりを開始。最終コーナーを先頭で通過し差を広げた[60]。後方大外から追い込む6番人気ブルーイレヴンに迫られたが、アタマ差逃げ切り優勝[60]。レース史上初となる連覇達成[注釈 10][19]。走破タイム1分57秒5は、1998年金鯱賞で大差勝ちを果たしたサイレンススズカの1分57秒8を上回る、コースレコードを樹立した[19]。
続いて、6月27日の宝塚記念(GI)に出走、ファン投票では第6位となる4万6178票を集めた[62]。単勝オッズ3.5倍の1番人気の支持、同じ3倍台に天皇賞(春)2着のゼンノロブロイ、5倍台に菊花賞2着および有馬記念2着のリンカーン、7倍台に安田記念優勝から臨むツルマルボーイと続き、15頭が揃った[63]。
大外枠8枠15番からスタート、内のローエングリンやホットシークレットに前を譲り、3番手を追走した[64]。ローエングリンが飛ばして、前半の1000メートルを58.5秒で通過するハイペースとなった[65]。それからローエングリンは、長く持たせるためにペースを落としにかかったが、タップダンスシチーはそれに抗った[64]。第3コーナー手前でかわして先頭となり、早めのスパートを開始した[66]。直線では背後にいたシルクフェイマスが接近。一時「シルクフェイマスが交わすような勢い[67]」(『優駿』編集部)があったが、タップダンスシチーはそれからもう一伸びして突き放した[67]。後方に2馬身差をつけて入線[68]。
GI2勝目、7歳馬の宝塚記念優勝は、1970年スピードシンボリ以来34年ぶり2例目であった[69]。また、走破タイム2分11秒1は、1994年ビワハヤヒデの2分11秒2を上回るレースレコード[注釈 11]を樹立した。佐藤は「よほど強くないとできない乗り方[70]」だったと評している。また佐々木はレース前、競馬人生3回目の「負ける気がしなかった[70]」状態だった振り返っている。
凱旋門賞遠征 - 有馬記念2着
宝塚記念優勝後の6月30日に、日進牧場へ放牧[注釈 12][71]。次なる目標は、フランスの凱旋門賞に定まっていた。凱旋門賞挑戦は、前年秋のジャパンカップ優勝直後に佐々木が「凱旋門賞へ行きたい」と言い出したことで検討されはじめた[注釈 13][72]。そしてこの年の春、金鯱賞をレコードで勝利したことで正式に参戦が決定した[72][73]。放牧から1週間程度でBTCへ移動し、凱旋門賞への調整を開始した[16]。佐々木は、日本で十分に仕上げてから、直前で輸送する方式を採用し、9月26日に出国、翌27日に現地着。10月3日の凱旋門賞に出走するという遠征計画が立てられた。9月7日、北海道での放牧から栗東に帰厩し、調整が更なる調整が施された[注釈 15][74]。9月20日には、栗東の検疫厩舎に入厩、23日に追い切りを行った。この後は、26日に関西国際空港から出国し27日に到着、現地ではジョン・ハモンド(英語版)厩舎に滞在する予定であった。しかし、タップダンスシチーが納まるはずだったカーゴ便が故障、さらに代替便も用意することができなかった[75]。26日の次の便は29日であったが、陣営はうまく調整できないと判断、出走断念を発表した[76]。
ところが、出走を望むファンの声が大きかったことから、陣営は一転して出走目指し、予定を再構築して実行[42]。29日に栗東で最終追い切り、10月1日に成田国際空港から出国し同日午後に到着、ハモンド厩舎に入厩した[76]。レース前日となる2日、馬体重は宝塚記念と比べて3キロ減に留まり、輸送の疲労は見られなかった[76]。フランスに来ていた厩舎未開業の調教師矢作芳人は、その姿を「入厩したばかりというのに、しっかりと常足で落ち着いて歩いている[77]」と評しており「これならやってくれるかも!」と考えていたと振り返っている[77]。開催されるロンシャン競馬場の下見に訪れた佐々木は、馬場状態を「向正面が小倉の開幕週、直線は札幌の開幕週[76]」、佐藤は「JC(ジャパンカップ)や宝塚(記念)の時の方がしんどそうな馬場やったし、大丈夫[76](カッコ内補足加筆者)」と捉えていた。
10月3日、凱旋門賞(G1)に出走、この年は有力馬の回避があって「大混戦[78]」(石川ワタル)と見られていた。そんな中タップダンスシチーは、現地で12.6倍の7番人気に支持される[78]。前日まで良い状態を保っているように見えたタップダンスシチ―は、当日の輸送を経てテンションが高くなってしまい、パドックでは以前のように二人引き、悪癖「タップダンス」を披露してしまった[79]。矢作によればその姿は「昨日の馬とは別馬のような印象[77]」だったという。
スタートから先行し、直線で逃げ馬に並びかけたが失速。勝利した現地6番人気のバゴに17馬身後れを取る17着となった[78]。佐々木はこの遠征を振り返り、「またチャンスがあるとすれば、この馬に限っては最初のプラン[注釈 16]でスケジュールを組むよ。今度は6時間以内に代替機が用意できる保険もかけてね」と振り返っている[79]。
帰国後、日進牧場で検疫[80]。年内で引退することが決定し、有馬記念を引退レースとすることが発表された[80]。11月25日に帰厩[81]、「七分(中略)あと2週ぐらい欲しい[82]」状態で26日の有馬記念(GI)に参戦。有馬記念4日前の22日には、引退宣言を撤回、次年度も現役を続行することが発表された[83]。天皇賞(秋)とジャパンカップを連勝していたゼンノロブロイが2.0倍、皐月賞およびジャパンカップ2着のコスモバルクが7.0倍、タップダンスシチーはそれに次ぐ8.8倍の3番人気であった[83]。スタートから単騎で逃げ、最終コーナーを後方との差を広げながら通過[83]。しかし直線でゼンノロブロイがかわし、芝2500mのJRAレコード(当時、現在も中山芝2500mのコースレコード)を樹立して優勝。一方のタップダンスシチーも粘り続け、その0.1秒後、半馬身差の2着となった[84][85]。
8歳(2005年)
金鯱賞3連覇
5月28日の金鯱賞に出走、単勝オッズ1.4倍、シルクフェイマスやアドマイヤグルーヴを押しのける1番人気に推される[86]。大外枠からスタート、ハナを奪取しスローペースを刻んだ。第3コーナーあたりで促されて押し切り体制に突入する[86]。
直線では、後続勢の追い上げを封じて逃げ切り、後方から追い込んだヴィータローザに2馬身半差をつけて重賞3勝目[86]。金鯱賞3連覇を果たした。1956年から1958年にかけて鳴尾記念を優勝したセカイオー以来、47年ぶり史上2頭目となるJRAサラ系平地同一重賞3連覇達成[注釈 17][87]。獲得賞金は10億8422万1000円に上り、ナリタブライアンを抜き、テイエムオペラオー、スペシャルウィークに続くJRA史上第3位となった[87]。
その後は、宝塚記念7着。秋は古馬の王道路線、天皇賞(秋)、ジャパンカップ、有馬記念で着外となり、競走馬を引退した。有馬記念12着敗退後の中山競馬場にて引退式が行われ、ジャパンカップ優勝時の1番ゼッケン姿が披露された[88]。佐々木は「憧れのジャパンカップに勝つなど、僕の夢をすべてかなえてくれました[88]」と述べている。2006年1月6日付で、JRAの競走馬登録を抹消される[2]。
種牡馬時代
引退後は、北海道門別町のブリーダーズ・スタリオン・ステーションで種牡馬となった[88]。シンジケートは組まれず、競走馬時代と同じく友駿ホースクラブの所有馬として供用された[89]。初年度は163頭の繁殖牝馬を集めたが、これをピークに右肩下がりで減少[90]。3年目には三桁を割り、5年目には二桁を割った[90]。6年目、1頭の繁殖牝馬と交配を行った後に、種牡馬を引退[90]。競走馬ふるさと案内所は減少の理由について、初年度産駒の成績が振るわなかったことを挙げている[91]。
産駒は、2009年7月3日の浦和競馬場にて、アールパラダンス(母父:リアルシャダイ)が産駒初勝利[92]。11月15日の東京競馬場にて、ケイアイツバキ(母父:アフリート)が産駒中央競馬初勝利を挙げた[93]。3年目産駒のタッチデュール(母父:フレンチデピュティ)が2011年ジュニアクラウン、プリンセス特別、2013年兵庫クイーンカップ、2014年くろゆり賞を優勝[94]。4年目産駒のフレアリングメテオ(母父:リアルシャダイ)が2013年北日本新聞杯を優勝した[95]。
種牡馬引退後
種牡馬引退後は、去勢されて乗用馬に転用されている[96]。ノーザンホースパークでの訓練を経て、2011年10月からは福島県天栄村のノーザンファーム天栄でスタッフの乗馬訓練用の練習馬となった[97]。2014年時点では、茨城県のポニーパークあるふぁに移り、余生を過ごしている[98]。この2014年には、金鯱賞当日の12月6日に中京競馬場に来場。パドック供覧が行われた[99]。
競走成績
以下の内容は、netkeiba.com[100]およびJBISサーチ[20]の情報に基づく。
競走日
|
競馬場
|
競走名
|
格
|
距離(馬場)
|
頭 数
|
枠 番
|
馬 番
|
オッズ (人気)
|
着順
|
タイム (上がり3F)
|
着差
|
騎手
|
斤量 [kg]
|
1着馬(2着馬)
|
馬体重 [kg]
|
2000.03.04
|
阪神
|
4歳新馬
|
|
0芝2000m(稍)
|
13
|
7
|
11
|
011.8(06人)
|
09着
|
02:10.5 (38.5)
|
-2.2
|
0四位洋文
|
55
|
ミラーダ
|
516
|
0000.03.19
|
阪神
|
4歳新馬
|
|
0芝2200m(良)
|
9
|
7
|
7
|
015.6(04人)
|
01着
|
02:18.4 (35.5)
|
-0.0
|
0四位洋文
|
55
|
(カガミパラダイス)
|
512
|
0000.04.15
|
阪神
|
若草S
|
OP
|
0芝2200m(良)
|
12
|
8
|
11
|
019.2(07人)
|
05着
|
02:18.7 (35.1)
|
-0.3
|
0四位洋文
|
55
|
アグネスフライト
|
508
|
0000.05.06
|
京都
|
京都新聞杯
|
GIII
|
0芝2000m(良)
|
14
|
4
|
5
|
013.7(05人)
|
03着
|
02:00.3 (35.6)
|
-0.5
|
0四位洋文
|
55
|
アグネスフライト
|
504
|
0000.06.04
|
中京
|
白百合S
|
900万下
|
0芝1800m(良)
|
13
|
6
|
9
|
004.0(02人)
|
07着
|
01:49.2 (36.3)
|
-0.9
|
0熊沢重文
|
55
|
ジンワラベウタ
|
496
|
0000.06.18
|
阪神
|
野苺賞
|
500万下
|
0芝2200m(良)
|
13
|
5
|
7
|
004.5(02人)
|
05着
|
02:17.2 (34.7)
|
-0.7
|
0熊沢重文
|
55
|
ホワイトハピネス
|
496
|
0000.10.29
|
京都
|
4歳上500万下
|
|
0芝2400m(重)
|
14
|
4
|
5
|
008.6(05人)
|
04着
|
02:27.3 (36.5)
|
-0.4
|
0四位洋文
|
55
|
ハートランドヒリュ
|
498
|
0000.11.18
|
京都
|
八瀬特別
|
900万下
|
0芝2400m(良)
|
8
|
7
|
7
|
006.9(04人)
|
02着
|
02:28.4 (35.0)
|
-0.2
|
0幸英明
|
52
|
ホワイトハピネス
|
494
|
0000.12.09
|
中京
|
天竜川特別
|
900万下
|
0芝2500m(良)
|
10
|
8
|
10
|
003.0(02人)
|
01着
|
02:31.4 (36.2)
|
-0.3
|
0松田大作
|
53
|
(ボヘミアンチェリー)
|
500
|
2001.01.08
|
京都
|
万葉S
|
OP
|
0芝3000m(稍)
|
10
|
2
|
2
|
005.2(03人)
|
05着
|
03:09.3 (35.4)
|
-0.6
|
0四位洋文
|
54
|
トシザブイ
|
504
|
0000.02.18
|
小倉
|
関門橋S
|
1600万下
|
0芝2000m(良)
|
12
|
6
|
10
|
004.1(02人)
|
03着
|
02:02.8 (36.6)
|
-0.2
|
0中舘英二
|
53
|
ファイトコマンダー
|
496
|
0000.03.25
|
阪神
|
但馬S
|
1600万下
|
0芝2000m(良)
|
11
|
6
|
7
|
004.6(03人)
|
02着
|
02:00.0 (35.5)
|
-0.4
|
0安藤勝己
|
54
|
ファイトコマンダー
|
490
|
0000.04.07
|
阪神
|
大阪-ハンブルクC
|
OP
|
0芝2500m(良)
|
11
|
7
|
9
|
004.7(02人)
|
05着
|
02:33.8 (34.8)
|
-0.5
|
0四位洋文
|
53
|
メジロサンドラ
|
496
|
0000.12.08
|
阪神
|
3歳上1000万下
|
|
0芝2000m(良)
|
9
|
5
|
5
|
009.7(04人)
|
04着
|
02:01.3 (35.6)
|
-0.6
|
0四位洋文
|
57
|
ダイタクバートラム
|
502
|
0000.12.23
|
阪神
|
江坂特別
|
1000万下
|
0芝2500m(良)
|
16
|
4
|
7
|
005.1(03人)
|
02着
|
02:33.5 (35.5)
|
-0.2
|
0四位洋文
|
57
|
シャープキック
|
504
|
2002.01.13
|
京都
|
日経新春杯
|
GII
|
0芝2400m(良)
|
12
|
3
|
3
|
016.1(06人)
|
03着
|
02:26.6 (34.4)
|
-0.2
|
0川原正一
|
52
|
トップコマンダー
|
502
|
0000.02.09
|
京都
|
春日特別
|
1000万下
|
0芝1800m(良)
|
12
|
1
|
1
|
001.9(01人)
|
01着
|
01:46.9 (35.0)
|
-0.2
|
0武豊
|
57
|
(アスカツヨシ)
|
504
|
0000.03.02
|
阪神
|
御堂筋S
|
1600万下
|
0芝2200m(良)
|
11
|
4
|
4
|
001.8(01人)
|
01着
|
02:12.3 (35.7)
|
-0.6
|
0O.ペリエ
|
57
|
(アクティブバイオ)
|
506
|
0000.03.23
|
中山
|
日経賞
|
GII
|
0芝2500m(良)
|
8
|
5
|
5
|
009.6(03人)
|
02着
|
02:37.0 (34.5)
|
-0.0
|
0勝浦正樹
|
57
|
アクティブバイオ
|
500
|
0000.04.21
|
東京
|
メトロポリタンS
|
OP
|
0芝2300m(稍)
|
11
|
8
|
11
|
003.7(01人)
|
03着
|
02:21.2 (36.8)
|
-0.5
|
0勝浦正樹
|
56
|
ツルマルボーイ
|
508
|
0000.05.18
|
東京
|
目黒記念
|
GII
|
0芝2500m(重)
|
18
|
1
|
1
|
018.4(08人)
|
05着
|
02:32.4 (37.8)
|
-0.6
|
0勝浦正樹
|
56
|
トシザブイ
|
506
|
0000.07.21
|
函館
|
函館記念
|
GIII
|
0芝2000m(良)
|
16
|
5
|
10
|
011.9(07人)
|
08着
|
02:06.2 (38.9)
|
-1.1
|
0四位洋文
|
56
|
ヤマニンリスペクト
|
508
|
0000.09.07
|
阪神
|
朝日チャレンジC
|
GIII
|
0芝2000m(良)
|
10
|
2
|
2
|
009.6(05人)
|
01着
|
01:58.1 (35.2)
|
-0.0
|
0佐藤哲三
|
56
|
(イブキガバメント)
|
494
|
0000.10.06
|
京都
|
京都大賞典
|
GII
|
0芝2400m(良)
|
8
|
5
|
5
|
008.9(03人)
|
03着
|
02:24.0 (34.5)
|
-0.4
|
0佐藤哲三
|
57
|
ナリタトップロード
|
498
|
0000.11.03
|
中山
|
アルゼンチン共和国杯
|
GII
|
0芝2500m(良)
|
11
|
5
|
5
|
003.5(02人)
|
03着
|
02:31.4 (35.4)
|
-0.8
|
0佐藤哲三
|
57
|
サンライズジェガー
|
494
|
0000.11.23
|
京都
|
京阪杯
|
GIII
|
0芝1800m(良)
|
15
|
8
|
14
|
013.6(06人)
|
05着
|
01:45.7 (35.3)
|
-0.4
|
0佐藤哲三
|
57
|
サイドワインダー
|
508
|
0000.12.22
|
中山
|
有馬記念
|
GI
|
0芝2500m(稍)
|
14
|
5
|
8
|
086.3(13人)
|
02着
|
02:32.7 (35.9)
|
-0.1
|
0佐藤哲三
|
57
|
シンボリクリスエス
|
500
|
2003.04.26
|
東京
|
東京競馬場リニューアル記念
|
OP
|
0芝2400m(良)
|
13
|
7
|
10
|
011.3(07人)
|
01着
|
02:23.7 (34.6)
|
-0.3
|
0佐藤哲三
|
58
|
(レディパステル)
|
502
|
0000.05.31
|
中京
|
金鯱賞
|
GII
|
0芝2000m(稍)
|
14
|
7
|
11
|
005.8(04人)
|
01着
|
01:58.9 (35.8)
|
-0.1
|
0佐藤哲三
|
57
|
(ツルマルボーイ)
|
502
|
0000.06.29
|
阪神
|
宝塚記念
|
GI
|
0芝2200m(良)
|
17
|
8
|
16
|
009.3(04人)
|
03着
|
02:12.2 (37.0)
|
0.2
|
0佐藤哲三
|
58
|
ヒシミラクル
|
500
|
0000.10.12
|
京都
|
京都大賞典
|
GII
|
0芝2400m(良)
|
9
|
8
|
10
|
002.2(01人)
|
01着
|
02:26.6 (34.0)
|
-0.2
|
0佐藤哲三
|
58
|
(ヒシミラクル)
|
502
|
0000.11.30
|
東京
|
ジャパンC
|
GI
|
0芝2400m(重)
|
18
|
1
|
1
|
013.8(04人)
|
01着
|
02:28.7 (37.4)
|
-1.5
|
0佐藤哲三
|
57
|
(ザッツザプレンティ)
|
502
|
0000.12.28
|
中山
|
有馬記念
|
GI
|
0芝2500m(良)
|
12
|
5
|
6
|
003.9(02人)
|
08着
|
02:32.8 (37.8)
|
-2.3
|
0佐藤哲三
|
57
|
シンボリクリスエス
|
506
|
2004.05.29
|
中京
|
金鯱賞
|
GII
|
0芝2000m(良)
|
12
|
8
|
11
|
002.3(01人)
|
01着
|
01:57.5 (35.3)
|
-0.0
|
0佐藤哲三
|
59
|
(ブルーイレヴン)
|
508
|
0000.06.27
|
阪神
|
宝塚記念
|
GI
|
0芝2200m(良)
|
15
|
8
|
15
|
003.5(01人)
|
01着
|
2:11.1 (36.1)
|
-0.3
|
0佐藤哲三
|
58
|
(シルクフェイマス)
|
510
|
0000.10.03
|
ロンシャン
|
凱旋門賞
|
G1
|
0芝2400m(良)
|
19
|
|
6
|
|
17着
|
2:27.8
|
-2.8
|
0佐藤哲三
|
59.5
|
Bago
|
計不
|
0000.12.26
|
中山
|
有馬記念
|
GI
|
0芝2500m(良)
|
15
|
5
|
9
|
008.8(03人)
|
02着
|
02:29.6 (35.7)
|
-0.1
|
0佐藤哲三
|
57
|
ゼンノロブロイ
|
504
|
2005.05.28
|
中京
|
金鯱賞
|
GII
|
0芝2000m(良)
|
10
|
8
|
10
|
001.4(01人)
|
01着
|
01:58.9 (33.8)
|
-0.4
|
0佐藤哲三
|
59
|
(ヴィータローザ)
|
510
|
0000.06.26
|
阪神
|
宝塚記念
|
GI
|
0芝2200m(良)
|
15
|
8
|
15
|
001.9(01人)
|
07着
|
02:12.7 (37.3)
|
-1.2
|
0佐藤哲三
|
58
|
スイープトウショウ
|
512
|
0000.10.30
|
東京
|
天皇賞(秋)
|
GI
|
0芝2000m(良)
|
18
|
3
|
6
|
014.1(06人)
|
09着
|
02:00.6 (33.9)
|
-0.5
|
0佐藤哲三
|
58
|
ヘヴンリーロマンス
|
520
|
0000.11.27
|
東京
|
ジャパンC
|
GI
|
0芝2400m(良)
|
18
|
1
|
2
|
017.2(07人)
|
10着
|
02:23.1 (37.3)
|
-1.0
|
0佐藤哲三
|
57
|
アルカセット
|
510
|
0000.12.25
|
中山
|
有馬記念
|
GI
|
0芝2500m(良)
|
16
|
5
|
9
|
019.7(05人)
|
12着
|
02:33.3 (36.9)
|
-1.4
|
0佐藤哲三
|
57
|
ハーツクライ
|
512
|
種牡馬成績
以下の内容は、JBISサーチの情報に基づく[90]。
種付年度
|
種付頭数
|
生産頭数
|
血統登録頭数
|
出走頭数
|
勝馬頭数
|
重賞勝馬頭数
|
AEI
|
CPI
|
2006
|
163
|
114
|
107
|
95
|
59
|
0
|
0.30
|
|
2007
|
127
|
84
|
79
|
69
|
49
|
0
|
0.31
|
|
2008
|
77
|
55
|
54
|
45
|
25
|
1
|
0.25
|
|
2009
|
50
|
33
|
31
|
25
|
12
|
1
|
0.17
|
|
2010
|
6
|
3
|
3
|
2
|
1
|
-
|
0.12
|
|
2011
|
1
|
1
|
1
|
0
|
-
|
-
|
-
|
|
合計
|
275
|
236
|
146
|
2
|
0.27
|
0.74
|
主な産駒
母の父として主な産駒
血統表
叔母にWinning Colors(牝、1985年生、父:Caro(1988年サンタアニタオークス、サンタアニタダービー、ケンタッキーダービー)がいる。
脚注
注釈
- ^ スピードシンボリの時代は、旧年齢表記で8歳以上。
- ^ 後に競走馬としてデビューし、18戦3勝。1600万円以下まで出世した。
- ^ 友駿ホースクラブ代表の塩入満洋によれば、佐々木は「一目惚れ、絶対走ると確信」していたという。
- ^ 佐藤哲三の騎乗によるもの。佐藤は他にも、1992年レットイットビーでも勝利を挙げており、チャレンジカップ3勝目であった。
- ^ 当日は東京競馬場の馬場改修後初めての開催であった。この年に限り、メトロポリタンステークスから記念競走に取って代わられた。
- ^ グレード制導入1984年以降のサラブレッド系平地競走。2003年11月30日時点。
- ^ 旧年齢表記。
- ^ 日夏雄高によれば、限定戦は差が開きやすい傾向にあるという[52]。このうち、桜花賞、菊花賞、東京優駿は、3歳限定。阪神3歳ステークスは、2歳限定[注釈 7]。加えて桜花賞は、牝馬限定競走である。
- ^ グレード制導入1984年以降のサラブレッド系平地競走。2003年11月30日時点。
- ^ 騎手佐藤、調教師佐々木も同様にレース史上初となる連覇[19]。
- ^ 阪神競馬場開催に限る[70]。代替地として用いられる京都競馬場芝2200メートルでは、1995年ダンツシアトルの2分10秒2が参考記録として存在する。
- ^ 同じ日の栗東では、JRAが企画したイベント「タップダンスシチー号に会いませんか!」が開催され、競争率10倍から選り抜かれた30人が、タップダンスシチーと交流している[71]。
- ^ 佐々木は、最初に国外遠征を「少しだけ意識」したのは、シンボリクリスエスに半馬身差の2着となったときだと振り返っている[72]。
- ^ 平成16年台風第18号を指す。
- ^ 佐々木によれば「もう1日遅かったら台風[注釈 14]で予定が狂っていた」という[74]。
- ^ カーゴ故障前に考えていた、1週間前に出国する予定。
- ^ 障害競走の重賞では、1977年から1979年にかけて中山大障害(秋)を3連覇したバローネターフ。地方交流重賞では、2002年から2004年にかけてJBCクラシックを3連覇したアドマイヤドンがいる[87]。
出典
参考文献
- 『優駿』(日本中央競馬会)
- 2002年11月号
- 「【Play-back the Grade-Races 2002 Sep.7~Oct.6】第53回朝日チャレンジカップ(GIII) タップダンスシチー」
- 「【重賞データファイル】第53回朝日チャレンジカップ(GIII) タップダンスシチー」
- 2003年1月号
- 「【さあっ、有馬記念だ!】第47回有馬記念ファン投票最終結果 ファン投票1位はナリタトップロード!」
- 2003年2月号
- 優駿編集部「【Play-back the Grade-I Races 2002】第47回有馬記念(GI) 風を切り裂く強烈な末脚で"現役最強"の座をつかんだ 」
- 2003年7月号
- 「【今年の宝塚記念は何かが違う!?】ここが違うぞ!今年の宝塚記念 その5 ファン投票上位馬が大挙出走予定」
- 「【Play-back the Grade-Races 2003 MAY.17-JUN.8】早め先頭から堂々と押し切った 第39回金鯱賞(GII) タップダンスシチー」
- 「【重賞データファイル】第39回金鯱賞(GII)タップダンスシチー」
- 2003年8月号
- 優駿編集部「【Play-back the Grade-I Races 2003】第44回宝塚記念(GI) 得意ではない小回りコースを向正面から追い通しで競り勝ち 天皇賞に続き春二冠を達成」
- 2003年9月号
- 優駿編集部「【有力馬の次走・近況報告】古馬中長距離 タップダンスシチー」
- 2003年11月号
- 優駿編集部「【第128回天皇賞(秋)特集】ステップレース・リポート 第38回京都大賞典(GII) タップダンスシチー」
- 2003年12月号
- 「【重賞データファイル】第38回京都大賞典(GII) タップダンスシチー」
- 2004年1月号
- 「【優駿ヘッドライン】9馬身差と4センチ差。――ジャパンCはタップダンスシチー、ジャパンCダートはフリートストリートダンサーが優勝」
- 石田敏徳「【有馬記念で盛り上がろう 有力馬の勝算・徹底分析】タップダンスシチー」
- 優駿編集部「【Play-back the Grade-I Races 2003】第23回ジャパンカップ(GI)19年ぶりの逃げ切りV ジャパンC史上最大、9馬身差の完封劇」
- 「【重賞データファイル】第23回ジャパンカップ(GI)(国際招待) タップダンスシチー」
- 2004年2月号
- 日夏雄高「【特別企画 Look Back 2003】2003年数字で振り返る競馬シーン」
- 2004年3月号
- 優駿編集部「【杉本清の競馬談義】第226回 ゲスト佐々木晶三調教師」
- 藤井正弘(サラブレッド血統センター)「【世界の名馬】"大器晩成"は産駒に受け継がれた Pleasant Tap」
- 2004年7月号
- 「【今月のトピックス】春のグランプリは強豪が勢揃い!——宝塚記念(GI)、6月27日に迫る」
- 「【Play-back the Grade-Races 2004 May.15~Jun.9】第40回金鯱賞(GII)タップダンスシチー」
- 「【重賞データファイル】日本中央競馬会創立50周年記念 第40回金鯱賞(GII) タップダンスシチー」
- 2004年8月号
- 「【優駿クローズアップ 今月の馬】勇躍、凱旋門賞へ!——第45回宝塚記念(GI)を制したタップダンスシチー」
- 優駿編集部「【Play-back the Grade-I Races 2004】第45回宝塚記念(GI)"最強馬"の座は渡さない 強気のレースで他馬を制圧」
- 優駿編集部「【優駿インタビュー】佐々木晶三調教師 憧れの『世界』へ向かって」
- 優駿編集部「【杉本清の競馬談義】第231回 ゲスト佐藤哲三騎手」
- 岡本光男「【トラックマン・リポート】宝塚記念優勝で盛り上がったタップダンスシチーのファン招待イベント」
- 「【重賞データファイル】第45回宝塚記念(GI) タップダンスシチー」
- 2004年9月号
- 篠原美穂子「【秋競馬開幕! 路線別オープン馬近況報告】古馬牡馬 タップダンスシチー」
- 2004年10月号
- 岡本光男「【凱旋門賞直前情報】タップダンスシチーが世界の舞台へ」
- 2004年11月号
- 河村清明「【第83回凱旋門賞(仏GI)】アクシデントを乗り越え参戦したタップダンスシチーは17着」
- 石川ワタル「【海外ニュース】第83回凱旋門賞 フランスのバゴが大混戦を制す」
- 矢作芳人「【競作ノンフィクション・シリーズ】凱旋門賞への熱き思い~現役調教師が現地で抱いたこのレースへの情熱~」
- 2005年1月号
- 石田敏徳「【アナタの想いが叶う瞬間 第49回有馬記念】タップダンスシチ― 有終の美に向けた"春の王者"の状態」
- 岡本光男「【第49回有馬記念 応援&意気込みメッセージ集】佐々木晶三厩舎 中原照美厩務員」
- 2005年2月号
- 優駿編集部「【Play-back the Grade-I Races 2004】第49回有馬記念(GI) 圧巻のレコードタイムを叩き出し 秋GI3連勝の偉業を達成」
- 「【重賞データファイル】第49回有馬記念(グランプリ)(GI) ゼンノロブロイ」
- 2005年7月号
- 「【重賞プレイバック】第41回金鯱賞(GII) タップダンスシチー」
- 2006年2月号
- 「【ニュース&トピックス 引退式】タップダンスシチー、スティルインラブが引退式を挙行——2頭とも繁殖生活へ」
- 2010年11月号
- 谷川善久「【サラブレッド・ヒーロー列伝】タップダンスシチー 常識破りのレコードメイカー」
- 2013年12月号
- 谷川善久「【重賞レースすごい逃げ切り&すごい追い込み BEST30】第5位 2003年ジャパンカップ タップダンスシチー 世界を相手に9馬身差のワンマンショー」
外部リンク