フランク・アンリ・ピエール・リベリー (Franck Henry Pierre Ribéry、フランス語発音: [fʁɑ̃k ʁi.be.ʁi] , 1983年 4月7日 - )は、フランス ・ブローニュ=シュル=メール 出身の元サッカー選手 。元同国代表 。現役時代のポジションはMF 、FW 。
クラブ経歴
フランス時代
13歳でリール の下部組織に入団し、下部組織のブルーノ・トマソン 監督に高い評価を受けたが、学業成績不振により16歳の時に家に送り返された。2001年に地元のUSブローニュ からデビューし、2002年にはオランピック・アレス に加入するも、クラブの財政破綻によりスタッド・ブレスト29 に移籍した。この頃にはEAギャンガン のトライアルを受けて不合格になった経験がある。2004年にリーグ・アン (1部)のFCメス に移籍し、月間MVPを獲得する活躍を見せたが、首脳陣と対立したために2005年1月にはガラタサライSK に移籍した。
2005年夏にオリンピック・マルセイユ に移籍し、2005-06シーズンにはリーグ最優秀若手選手賞を受賞した。
バイエルン
2007年6月6日、4年契約でFCバイエルン・ミュンヘン に移籍した。通訳役を買って出たDFダニエル・ファン・ブイテン などの助けもあり、すぐにチームになじんだ。2007-08シーズンはレギュラーとしてリーグ戦で11ゴールを挙げ、ブンデスリーガ とDFBポカール の2冠を達成し、リーグ最優秀選手に選ばれた。
2009-10シーズンは新加入のアリエン・ロッベン とともに両サイドから攻撃を牽引し(ロベリー)、バイエルンの2シーズンぶりのブンデスリーガ優勝に貢献した。チャンピオンズリーグでもチームの決勝進出に貢献したが、準決勝1stレグのオリンピック・リヨン 戦でリサンドロ・ロペス のすねを踏みつけ1発退場となった。結局バイエルンは決勝に進んだものの、リベリーはこのファールにより3試合の出場停止が課され、決勝戦に出場することができなかった[ 3] 。シーズン終了後、バイエルン・ミュンヘンとの契約を2015年まで延長した。
2014年12月6日に行われたバイエル・レバークーゼン 戦で、マチュー・デルピエール が保持していたブンデスリーガのフランス人最多出場記録を更新した[ 4] 。また同試合でバイエルンでの100ゴールを達成した[ 5] 。
2018-19シーズンをもって長年プレーしたバイエルン・ミュンヘンを退団する事が発表された。同シーズンに優勝し、ブンデスリーガの最多優勝記録を作ると共にホームでの最終ゲームでは惜別のゴールを決めた[ 6] 。また、優勝したポカール決勝のRBライプツィヒ 戦では後半終了間際からポカール決勝最多出場者となる8回目の出場を果たした。
フィオレンティーナ
2019年8月21日、ACFフィオレンティーナ への加入が発表された[ 7] 。9月22日のアタランタ戦で移籍後初ゴールを決め[ 8] 、第6節のACミラン 戦でもゴールを決め、チームの勝利に貢献し、2019年9月のセリエA月間MVPに選出された[ 9] 。しかし11月30日セリエA第14節レッチェ 戦で悪質なタックルを受け右足首のじん帯を負傷、長期離脱したが、2020年6月23日のブレシア 戦で復帰を果たした[ 10] 。2020-21シーズン、鋭いドリブルからのチャンスメークなどでチームに貢献、年間30試合で2ゴール7アシストを記録したが、2021年6月30日に退団が発表された[ 11] 。
サレルニターナ
2021年9月6日、USサレルニターナ1919 と契約した[ 12] 。2022年10月21日、双方の合意のもとで契約を解除し、現役引退を発表した[ 13] 。
代表経歴
フランス代表時代(2008年)
ユース代表の経験は豊富で、2006年5月27日のメキシコ 戦でフランス代表 デビューした。2006年にはドイツワールドカップ のフランス代表 メンバーに選ばれ、グループリーグでは周りと噛み合わない場面もあったものの、決勝トーナメント1回戦のスペイン 戦では、逆転への足掛かりとなる同点ゴールを決めるなど、徐々に調子を上げ、フランス代表の準優勝に貢献した。
UEFA EURO 2008 では不振のフランス代表 にあって、中心選手として孤軍奮闘したが、フランスの決勝トーナメント進出を賭けたグループリーグ最終戦の対イタリア 戦の前半9分にジャンルカ・ザンブロッタ と接触した際に、負傷退場した。その後のフランスは攻撃の要であったリベリーの穴を埋めることができず、エリック・アビダル の退場処分によって人数が少なくなったこともあり、なすすべなく敗北した。フランスはわずか1得点しか挙げられず、1勝もできずに大会を去ることとなった。
2010 FIFAワールドカップ ではチームの中心選手として臨んだものの、主将のパトリス・エヴラ らとともに練習ボイコットの首謀者とされたり[ 14] 、チームメイトのヨアン・グルキュフ をいじめたと報じられるなど[ 14] [ 15] 、不振に終わったフランス代表の戦犯の1人とされ、大会終了後にはフランスサッカー連盟 から3試合の出場停止処分が課された[ 16] 。その後、2011年3月にエヴラとともにW杯後初めて代表に招集されたが[ 16] 、復帰後最初のホームでの試合となった3月29日のクロアチア 戦ではサポーターから大きなブーイングを受けた[ 14] 。2014 FIFAワールドカップ は、腰痛のため欠場した。
人物
陽気で外交的な性格であり、ドイツ移住後もすぐにチームやファンに溶け込んだ。いたずら好きであり、オリバー・カーン にバケツ一杯の水をかけたり、チームバスを運転して道路標識にぶつけたことがある。
2014年6月、アメリカの経済誌フォーブス は世界のアスリートの年収 を公表した。リベリーの年収は1830万ドル(約18億7000万円)であり、世界のアスリートの中で92位。サッカー選手の中では14位[ 24] 。
個人成績
クラブ
代表歴
出場大会
試合数
国際Aマッチ 81試合 16得点(2006年-2014年)[ 27]
フランス代表 国際Aマッチ
年 出場 得点
2006
15
1
2007
9
1
2008
9
3
2009
8
2
2010
7
0
2011
8
0
2012
14
4
2013
10
5
2014
1
0
通算
81
16
得点
タイトル
クラブ
ガラタサライ
マルセイユ
バイエルン・ミュンヘン
FIFAクラブワールドカップ :1回 (2013)
UEFAチャンピオンズリーグ :1回 (2012-13)
UEFAスーパーカップ :1回 (2013)
ブンデスリーガ :9回 (2007-08, 2009-10, 2012-13, 2013-14, 2014-15, 2015-16, 2016-17, 2017-18, 2018-19)
DFBポカール :6回 (2007-08, 2009-10, 2012-13, 2013-14, 2015-16, 2018-19)
DFLリーガポカール :1回 (2007)
DFLスーパーカップ :5回 (2010, 2012, 2016, 2017, 2018)
個人
フランス年間最優秀選手:2回 (2007, 2008)
ドイツ年間最優秀選手:1回 (2008)
UEFA年間ベストイレヴン:1回 (2008)
UEFA欧州最優秀選手賞 :1回 (2013)
FIFAクラブワールドカップ ゴールデンボール賞:1回 (2013)
セリエA月間最優秀選手賞 :(2019年9月)
脚注
出典
外部リンク
タイトル・受賞歴 1960年代 1970年代 1980年代 1990年代 2000年代 2010年代 2020年代
1950年代 1960年代 1970年代 1980年代 1990年代 2000年代 2010年代 2020年代