競走馬におけるミュージックタイムとは、
- 日本の、1979年生まれの競走馬[1]。生涯6戦未勝利に終わっている。
- アメリカ合衆国生産で、日本で走った1987年生まれの競走馬、種牡馬。本項にて記述。
ミュージックタイム(欧字名:Music Time J.、1987年5月5日 - 1999年5月13日)は、アメリカ合衆国で生産された日本の競走馬、種牡馬[2]。主な勝ち鞍に1990年のニュージーランドトロフィー4歳ステークス。
馬名について
この馬の名前の欧字表記はMusic Time J.で登録されている[2]。この表記は生産国(アメリカ合衆国)で登録されたもので、日本に輸出される際、この国における馬名の規定(カタカナ9文字以内)に反するため、「ミュージックタイムジェイ」としたかったところを「ミュージックタイム」に縮めたものである。
競走馬時代
デビューは少し遅れ、1990年1月28日、東京競馬場第7競走の4歳新馬戦で岡部幸雄を鞍上にデビュー。1番人気に支持されたものの、8着に敗れた。2ヶ月後の未勝利戦を1番人気に応え勝利すると、続く4歳以上500万下条件も1番人気で挑むが1着に2馬身差の2着。その後の八重桜賞(500万下)では再び勝利。そして、重賞初参戦となる翌月のニュージーランドトロフィー4歳ステークスでは、後にマイルチャンピオンシップを2連覇する1番人気のダイタクヘリオスを破り勝利。重賞初制覇を挙げた。この後1年間の休養に入った。
その後、1991年6月1日のパラダイスステークスより復帰。1番人気に支持されたが応えられず6着。続く吾妻小富士賞は3着と健闘したが、5ヶ月後のキャピタルステークスは11着と惨敗してしまう。しかし、ディセンバーステークスではカネハボマイをアタマ差退け勝利し、1年4ヶ月ぶりの勝利を手にした。さらに年末の有馬記念にも出走することとなるも13番人気の13着、12着のメジロライアンに6馬身もつけられる惨敗であったが、ツインターボとオースミシャダイには辛うじて先着している。
年明け1992年はアメリカジョッキークラブカップ、バレンタインステークスと2戦したが、どちらも5着に終わり、その後引退となった。
競走成績
以下の内容は、netkeiba.com[3]およびJBISサーチ[4]に基づく。
競走日 |
競馬場 |
競走名 |
格 |
距離(馬場) |
頭 数 |
枠 番 |
馬 番 |
オッズ (人気) |
着順 |
タイム (上り3F) |
着差 |
騎手 |
斤量 [kg] |
1着馬(2着馬) |
馬体重 [kg]
|
1990.01.28
|
東京
|
4歳新馬
|
|
芝1800m(良)
|
15
|
7
|
12
|
001.60(1人)
|
08着
|
R1:52.0(51.2)
|
-1.8
|
0岡部幸雄
|
55
|
トウショウスペリア
|
528
|
0000.03.31
|
中山
|
4歳未勝利
|
|
ダ1800m(稍)
|
16
|
6
|
12
|
001.60(1人)
|
01着
|
R1:54.5(39.6)
|
-0.5
|
0岡部幸雄
|
55
|
(ダイヤモンドシチー)
|
518
|
0000.04.22
|
東京
|
4歳500万下
|
|
ダ1400m(重)
|
7
|
1
|
1
|
001.40(1人)
|
02着
|
R1:24.3(36.5)
|
-0.3
|
0岡部幸雄
|
55
|
レオシャトル
|
510
|
0000.05.12
|
東京
|
八重桜賞
|
500万下
|
芝1600m(良)
|
6
|
2
|
2
|
001.50(1人)
|
01着
|
R1:35.0(36.8)
|
-0.3
|
0岡部幸雄
|
55
|
(アマミシーザー)
|
506
|
0000.06.03
|
東京
|
NZT4歳S
|
GII
|
芝1600m(良)
|
16
|
4
|
8
|
004.50(3人)
|
01着
|
R1:34.9(36.7)
|
-0.2
|
0岡部幸雄
|
56
|
(ダイタクヘリオス)
|
508
|
1991.06.01
|
東京
|
パラダイスS
|
OP
|
芝1400m(稍)
|
9
|
2
|
2
|
002.30(1人)
|
06着
|
R1:24.9(35.6)
|
-1.1
|
0岡部幸雄
|
56
|
ダイワゲーリック
|
504
|
0000.06.23
|
福島
|
吾妻小富士賞
|
OP
|
芝1800m(稍)
|
8
|
4
|
4
|
002.30(1人)
|
03着
|
R1:48.5(36.9)
|
-0.3
|
0岡部幸雄
|
56
|
センゴクヒスイ
|
506
|
0000.11.23
|
東京
|
キャピタルS
|
OP
|
芝1400m(良)
|
17
|
1
|
2
|
009.70(4人)
|
11着
|
R1:23.3(34.8)
|
-1.0
|
0岡部幸雄
|
56
|
キオイドリーム
|
508
|
0000.12.01
|
中山
|
ディセンバーS
|
OP
|
芝2000m(良)
|
6
|
2
|
2
|
006.00(4人)
|
01着
|
R2:00.7(35.5)
|
-0.0
|
0坂井千明
|
56
|
(カネハボマイ)
|
502
|
0000.12.22
|
中山
|
有馬記念
|
GI
|
芝2500m(良)
|
15
|
2
|
2
|
072.2(13人)
|
13着
|
R2:33.0(38.1)
|
-2.4
|
0岡部幸雄
|
57
|
ダイユウサク
|
504
|
1992.01.26
|
中山
|
AJCC
|
GII
|
芝2200m(良)
|
11
|
4
|
4
|
016.30(6人)
|
05着
|
R2:13.4(35.3)
|
-0.6
|
0坂井千明
|
57
|
トウショウファルコ
|
506
|
0000.02.15
|
東京
|
バレンタインS
|
OP
|
芝1800m(良)
|
12
|
2
|
2
|
003.70(2人)
|
05着
|
R1:49.0(34.8)
|
-0.3
|
0坂井千明
|
57
|
イズミサンシャイン
|
506
|
種牡馬時代
引退後は社台スタリオンステーションで種牡馬となり、初年度産駒より南関東二冠(東京ダービー、東京王冠賞)を制し交流重賞で活躍したサプライズパワーを出したが、引退から7年後の1999年5月13日に疝痛のため死亡した[5]。12歳没。
主な産駒
ブルードメアサイアーとしての主な産駒
血統表
脚注
注釈
出典
外部リンク