メラネシアメラネシア(Melanesia)は、オセアニアの海洋部の分類の一つ。 概ね赤道以南、東経180度以西にある島々の総称。オーストラリア大陸より北-北東に位置する。ギリシャ語で μέλας メラス「黒い」+ νῆσος ネソス「島」から「黒い(皮膚の黒い人々が住む)島々」の意味である。 概要メラネシアという用語は1832年、フランスの海軍提督ジュール・デュモン・デュルヴィル(Jules Dumont d'Urville)が、ポリネシアやミクロネシアとは違うこの地域の民族的・地理的分類のために使い始めた。今日では文化的・言語的・遺伝的多様性を正しく反映していないことからデュルヴィルの民族区分は不正確とされている。しかし、パプアニューギニア、フィジー、ソロモン諸島、バヌアツ、フランス領ニューカレドニアなどの国民は「メラネシア」という言葉を、植民地の歴史を共有し、共通した地域問題を抱える彼ら自身を表現するものとして使っている。 2017年の人口は推計で約1400万人である。 また、メラネシアに含まれる国と地域、人口は以下の通りである。
歴史メラネシアの民族集団は大きくオーストロネシア語族とパプア諸語の話者に分かれている。メラネシアの先住民はおそらく今日のパプア系の祖先に当たる人たちであったと考えられる。彼らは数万年前にニューギニア島を占め、放射性炭素年代測定によれば少なくとも3万5千年前にはメラネシアの島々、おそらく一番東はソロモン諸島やその東の小さな島々にまで到達した。そのことは、同時代の遺跡からニューギニア原産の有袋類(クスクス)や黒曜石などが多数発見されていることから推定できる。 約4000年前、ニューギニア北部やニューギニア東方の島々において、オーストロネシア語族の人々が先住のパプア系の人々と接触したと思われる。こうした接触は長期間にわたったため、言語や文化、遺伝形質などが複雑に交じり合う変化が生じた。また、メラネシアで生じたこれらの混血の集団の中から、少人数の集団がさらに東に海を渡り、ポリネシアを形成したと思われる。また、メラネシアの中には、ポリネシア文化を保持する地域が飛び地のように点々としており、域外ポリネシア(Polynesian Outlier)と呼ばれている。 地理赤道付近から南回帰線の海域ぐらいまで、島々が集中している。
メラネシア人→詳細は「メラネシア人」を参照
メラネシアという名前の由来の通り、肌の色はアフリカの「黒人」と同様かなり濃い色をしている。そのためかつてはアフリカとは遠く離れているものの、ネグロイド(黒人)に分類されることが多かった。 しかしながら髪の毛は「黒人」同様巻き毛ながら強く逆立ち、特徴的でまた異なった人種的特徴を持っている。現在ではオーストラロイドに分類される。遺伝学的にも黒人とは異なる集団である。 文化メラネシアでは根菜農耕でヤム芋やタロイモなどの芋類を栽培し、主食としている。 言語英語、フランス語、ピジンなどが公用語となっているほか、以下のような多様な言語が使用されている。
カヴァの儀式部族間の和解で不戦の誓いとしてカヴァの儀式が行われてきた歴史があり、歓迎の儀式となりメラネシアなどの太平洋島嶼地域に残されている[8]。 脚注
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