上土方旦付新田
上土方旦付新田(かみひじかただんづくしんでん、英語: Kamihijikatadanzukushinden)は、静岡県掛川市にある大字。 地理静岡県掛川市の南部に位置する。合併前の旧大東町においては北西部に位置していた。菱形のような形状の大字である。小笠山の山麓に位置していることから、西から中央にかけてほとんどが山地となっている。東に僅かながら平地が広がり田畑や人家がみられる。東端は静岡県道249号掛川大東大須賀線に沿って細長く回廊状に伸びており、下小笠川にまで達している。その結果、大字である入山瀬と上土方落合の間に上土方旦付新田が割り込むような形状となっている。 なお、集落としては、隣接する大字とともに「落合」として扱われている。掛川市の自治区としては上土方区に属している[2]。 山岳湖沼
歴史上土方旦付新田と呼ばれている地は、もともとは自然村である遠江国城東郡今滝村の一部であった[3]。その後、今滝村から旦付新田が分離独立した[3][4][† 1]。旦付新田は、当初は幕府領となり[5]、のちに横須賀藩領となった[5]。溝口家が庄屋を務めていた[5]。内山真龍の『遠江国風土記伝』によれば当時の旦付新田の石高は16石4斗5升4合であったとされている[4]。農業が盛んであり、米をはじめとする五穀[5]、蕎麦[5]、胡麻[5]、牛蒡[5]、蕗[5]、萵苣[5]、藍[5]、木綿などが栽培されていた[5]。明治元年には駿府藩領となり[5]、明治2年には静岡藩領となった[5]。この旦付新田がのちの上土方旦付新田に該当する[3]。旦付新田は1875年(明治8年)に落合村、嶺向村と合併することになり[5]、新たに上土方村が発足した[5]。 町村制が施行された1889年(明治22年)時点では、この地は静岡県城東郡土方村の一部となっていた。その後の度重なる市町村合併を経て、1973年(昭和48年)4月よりこの地は大東町の一部となった[3]。さらに大東町が掛川市、大須賀町と合併することになり、2005年(平成17年)4月よりこの地は掛川市の一部となった。 地名の由来「上土方旦付新田」と呼ばれている地は、かつては土形郷の一部であり[4]、時代が下ると「旦付新田」を形成していた[3]。その後、旦付新田は落合村、嶺向村と合併し「上土方村」が設置された[5]。「上土方旦付新田」はそれらの名前に因んでいる。 沿革
世帯数と人口2024年(令和6年)11月末日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
事業所2021年(令和3年)現在の事業所数と従業員数は以下の通りである[6]。
小・中学校の学区
交通道路その他郵便
警察警察の管轄区域は以下の通りである[9]。
消防消防の管轄区域は以下の通りである[10]。
脚注註釈
出典
関連項目
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