世田谷代田駅(せたがやだいたえき)は、東京都世田谷区代田二丁目にある、小田急電鉄小田原線の駅である。駅番号はOH 08。
歴史
年表
- 当駅 - 京王井の頭線新代田駅間には、第二次世界大戦 - 戦後にかけて井の頭線に車両を運び込むための連絡線(代田連絡線)が敷設されていた。地上駅であった頃上りホーム裏側に連絡線跡地が残っていたが、複々線化工事に伴い痕跡は消滅、完成後は駐輪場となっている(#駅周辺参照)。
駅名の由来
開設時の「世田ヶ谷中原」は、駅所在地の地名である代田村の小字()から。その後、1946年に「代田村」が細分化されたため、「世田谷代田」に改称する。
駅構造
地下2階の緩行線上に島式ホーム1面2線を有する地下駅。その直下(地下3階)をホームのない急行線が通過している。ホームにはホームドアが設置されており、ホームと地上間は階段の他、エレベーター・エスカレーターで連絡している。
地上部に駅施設があり、改札口はコンコースの両側に設置されているが、地下化工事に伴って現在の駅舎が設置された当時は西側(有人改札)のみであった。2021年3月に設置された東側改札はICカード専用無人改札である(精算機・ICカードチャージ機未設置)。コンコース及びホームにはそれぞれ天窓が設置されている。地上のコンコースには2017年3月24日に、小田急電鉄の環境保全対応や当駅付近地下化工事紹介(模型など)を展示した「小田急環境ルーム」が設置された[15](2021年5月時点では設置されていたが[16]、後に撤去)。
トイレは多目的トイレを併設した男女別の水洗式で、小田急環境ルームの隣に設置されている。また、多目的トイレはオストメイト対応型と子供用便器併設型(オストメイト非対応)が1室ずつ、合計2室の設置となっている。
改札横にはストリーマーコーヒーカンパニーの店舗が入居している[17]。
のりば
変遷
地下化工事前
相対式ホーム2面2線を有する地上駅であった。改札は下りホームに直結したものだけであるが、2009年7月24日までは臨時改札口(無人)が上りホーム上にあった。ホーム間は跨線橋で結ばれていたが、天気が良い日には富士山を見ることが出来たことから「富士見窓」と言う名前の窓が設置されていた。この窓は仮駅舎にも引き継がれていた。
また、プラットホームは古くからの駅構造がそのまま残っている箇所が多かった。駅の柱や車両増結に伴いホームを延伸して行った様子、木造のホーム壁面と一体になっているベンチなど、2000年代の駅においてはあまり見かけられなくなったものも見られた。
- 工事前の駅舎(2004年1月3日)
急行線工事完了前
小田急は東北沢駅 - 梅ヶ丘駅間で連続立体交差化(地下化)および複々線化工事に着手し、2006年3月26日 - 2013年3月22日までは仮設橋上駅に移設され、同時に下りホーム側の改札口も従来より20 m程新宿寄りに移動された。2009年7月24日までは上りホームの臨時改札口も設置されていたが、翌日より1か所に統合された。
- 工事中の仮駅舎(2007年10月8日)
緩行線工事完了まで
2013年3月23日に地下3階を通過する急行線が先行開通し、この線路沿いに仮設の相対式ホーム(8両編成対応)が設置された。地下化から2015年8月28日までは、地下2階の緩行線ホーム予定地に改札口を始めとする仮の駅施設が置かれた。地下化時点では地上から地下2階の改札口まで106段の階段が仮設された[19]。
2015年8月29日、地上部の駅舎が供用開始となり、改札・駅事務室が移設された。この時点で地上と地下2階の間にはエスカレーター・階段・エレベーターが設置されたが、地下2階とホーム間にはエレベーター・階段のみで、エスカレーターは設置されていなかった[20]。
2018年3月3日の複々線化工事完成に伴い、地下2階の緩行線ホーム(10両編成対応)が使用開始された。同時に地下3階の急行線仮設ホームは廃止され、ホームなどの旅客用設備は撤去された。
-
急行線(地下3階)に設置された仮設ホーム(2013年4月20日)
-
急行線地下化時点の地下2階・改札(2013年4月20日)
-
急行線の新宿寄りは掘削に使用したシールドマシンの外殻がトンネル構造物の一部になっている。
利用状況
2023年度(令和5年度)の1日平均乗降人員は9,543人である[小田急 1](小田急線全70駅中61位)。
近年の1日平均乗降・乗車人員推移は以下の通り。
年度別1日平均乗降・乗車人員[21]
年度
|
1日平均 乗降人員[22]
|
1日平均 乗車人員[23]
|
出典
|
1956年(昭和31年)
|
|
4,371
|
[* 1]
|
1957年(昭和32年)
|
|
4,206
|
[* 2]
|
1958年(昭和33年)
|
|
4,478
|
[* 3]
|
1959年(昭和34年)
|
|
4,038
|
[* 4]
|
1960年(昭和35年)
|
8,519
|
3,869
|
[* 5]
|
1961年(昭和36年)
|
7,973
|
3,909
|
[* 6]
|
1962年(昭和37年)
|
8,128
|
4,026
|
[* 7]
|
1963年(昭和38年)
|
8,611
|
4,266
|
[* 8]
|
1964年(昭和39年)
|
8,712
|
4,301
|
[* 9]
|
1965年(昭和40年)
|
8,772
|
4,347
|
[* 10]
|
1966年(昭和41年)
|
8,458
|
4,148
|
[* 11]
|
1967年(昭和42年)
|
8,787
|
4,349
|
[* 12]
|
1968年(昭和43年)
|
9,183
|
4,523
|
[* 13]
|
1969年(昭和44年)
|
9,535
|
4,814
|
[* 14]
|
1970年(昭和45年)
|
9,070
|
4,630
|
[* 15]
|
1971年(昭和46年)
|
9,496
|
4,770
|
[* 16]
|
1972年(昭和47年)
|
10,150
|
5,084
|
[* 17]
|
1973年(昭和48年)
|
9,938
|
4,937
|
[* 18]
|
1974年(昭和49年)
|
10,426
|
5,223
|
[* 19]
|
1975年(昭和50年)
|
10,495
|
5,175
|
[* 20]
|
1976年(昭和51年)
|
10,119
|
5,009
|
[* 21]
|
1977年(昭和52年)
|
9,841
|
4,811
|
[* 22]
|
1978年(昭和53年)
|
9,938
|
4,905
|
[* 23]
|
1979年(昭和54年)
|
9,536
|
4,803
|
[* 24]
|
1980年(昭和55年)
|
8,937
|
4,707
|
[* 25]
|
1981年(昭和56年)
|
9,665
|
4,696
|
[* 26]
|
1982年(昭和57年)
|
9,616
|
4,645
|
[* 27]
|
1983年(昭和58年)
|
9,711
|
4,706
|
[* 28]
|
1984年(昭和59年)
|
10,401
|
4,925
|
[* 29]
|
1985年(昭和60年)
|
11,017
|
4,997
|
[* 30]
|
1986年(昭和61年)
|
[注 1]11,405
|
5,139
|
[* 31]
|
1987年(昭和62年)
|
11,322
|
5,094
|
[* 32]
|
1988年(昭和63年)
|
11,213
|
5,093
|
[* 33]
|
1989年(平成元年)
|
10,873
|
4,919
|
[* 34]
|
1990年(平成02年)
|
10,720
|
4,934
|
[* 35]
|
1991年(平成03年)
|
10,475
|
4,940
|
[* 36]
|
1992年(平成04年)
|
10,282
|
4,842
|
[* 37]
|
1993年(平成05年)
|
10,010
|
4,689
|
[* 38]
|
1994年(平成06年)
|
9,773
|
4,546
|
[* 39]
|
1995年(平成07年)
|
9,655
|
4,485
|
[* 40]
|
1996年(平成08年)
|
9,661
|
4,469
|
[* 41]
|
1997年(平成09年)
|
8,732
|
4,455
|
[* 42]
|
1998年(平成10年)
|
8,689
|
4,464
|
[* 43]
|
1999年(平成11年)
|
8,614
|
4,380
|
[* 44]
|
2000年(平成12年)
|
8,537
|
4,306
|
[* 45]
|
2001年(平成13年)
|
8,571
|
4,258
|
[* 46]
|
2002年(平成14年)
|
8,449
|
4,220
|
[* 47]
|
2003年(平成15年)
|
8,492
|
4,251
|
[* 48]
|
2004年(平成16年)
|
9,050
|
4,214
|
[* 49]
|
2005年(平成17年)
|
9,017
|
4,227
|
[* 50]
|
2006年(平成18年)
|
9,001
|
4,203
|
[* 51]
|
2007年(平成19年)
|
8,853
|
4,257
|
[* 52]
|
2008年(平成20年)
|
8,566
|
4,151
|
[* 53]
|
2009年(平成21年)
|
8,339
|
4,041
|
[* 54]
|
2010年(平成22年)
|
8,162
|
3,962
|
[* 55]
|
2011年(平成23年)
|
8,133
|
3,937
|
[* 56]
|
2012年(平成24年)
|
8,289
|
4,027
|
[* 57]
|
2013年(平成25年)
|
8,093
|
3,894
|
[* 58]
|
2014年(平成26年)
|
7,934
|
3,869
|
[* 59]
|
2015年(平成27年)
|
7,886
|
3,862
|
[* 60]
|
2016年(平成28年)
|
8,150
|
4,006
|
[* 61]
|
2017年(平成29年)
|
8,343
|
4,112
|
[* 62]
|
2018年(平成30年)
|
8,828
|
4,384
|
[* 63]
|
2019年(令和元年)
|
9,348
|
4,653
|
[* 64]
|
2020年(令和02年)
|
7,061
|
3,542
|
[* 65]
|
2021年(令和03年)
|
[小田急 2]7,983
|
|
|
2022年(令和04年)
|
[小田急 3]9,041
|
|
|
2023年(令和05年)
|
[小田急 1]9,543
|
|
|
駅周辺
代田地区は下北沢(代沢)周辺から続く低層住宅地で、大規模な商業施設や公共施設は存在しない。下北沢や新宿に近いこともあり、近年は住宅地としての人気が高まり、住宅の販売価格や家賃が上昇している。
かつて存在していた施設
- 「代田四丁目」は現在、環七通り上のバス停となっており、東急バス森91系統が発着している(2013年3月31日までは都営バスの宿91系統も発着していた)。
ドラマ作品
- silent(フジテレビ 2022年)
- 放映中より「ゆかりの地」として訪問する客が増え、2022年11月の定期乗車券を除く乗降客数は放映開始前の9月より22.7%も増加した[27]。小田急電鉄では、2022年4月より車両や駅構内のロケーションサービスを開始し、本作についてはテレビ局側の「下北沢付近」という要望に対して「ロケーションが良くてきれいで、乗降客が意外と少ない」という理由から当駅を候補地の1つに提案したと報じられている[28]。放映期間中には駅構内でドラマのBGMや主題歌を放送するタイアップも行われた[27]。2023年4月には小田急電鉄が制作したロケ地マップ(限定4万部)が、小田急線全駅と当駅の周辺施設で配布された[29]。
隣の駅
- 小田急電鉄
- 小田原線
- ■快速急行・□通勤急行・■急行・□通勤準急・■準急
- 通過
- ■各駅停車
- 下北沢駅 (OH 07) - 世田谷代田駅 (OH 08) - 梅ヶ丘駅 (OH 09)
脚注
注釈
出典
- 小田急電鉄の1日平均利用客数
- 東京都統計年鑑
関連項目
ウィキメディア・コモンズには、 世田谷代田駅に関連するカテゴリがあります。
外部リンク
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