佐伯孚治
佐伯 孚治(さえき たかはる、1927年12月15日[1] - 2018年1月13日)は、主に特撮テレビドラマ作品の映画監督・演出家である。東京府東京市本郷区西片町(現在の文京区西片)出身[1]。 来歴旧制・開成中学校から旧制・第四高等学校を経て、東京大学文学部仏文科卒業[1]。1954年に東映入社[1]。東映東京撮影所の助監督として田坂具隆に師事し[2]、1964年に『どろ犬』で監督デビューする[1]。しかし1965年、労働争議に参加していた佐伯は大川博社長の逆鱗に触れ[3][4]、テレビ映画製作専門の別会社・東映東京制作所に異動した[1][5][6]。その後、数人のスタッフとともに「目黒PR分室」に配属となり、実質的に現場で仕事が出来ない状態になっていた[2]。 1966年、佐伯の置かれた状況を心配した同期の脚本家・鈴木尚之の計らいもあって[2]、『渥美清の泣いてたまるか』(製作:国際放映)を監督[1]。この作品から、テレビドラマに携わるようになる[1]。しばらく東映以外での仕事が続いたが、1968年に『怪盗ラレロ』で東映に復帰[1]。その後『好き! すき!! 魔女先生』『刑事くん』『帰ってきたウルトラマン』などの子供向け作品、『おしどり右京捕物車』『斬り抜ける』『影同心』などの時代劇、『ザ・スーパーガール』『ミラクルガール』などのアクションドラマを手がける[1][2]。 1982年に定年を迎え、東映を退社[1]。退社後は、2時間ドラマ等を手掛けた後、1984年に東京制作所の仲間と20年ぶりの劇映画『高原に列車が走った』を作った[7]。1985年に属託として東映東京制作所に復帰[1]。東映不思議コメディーシリーズに、監督として携わる。特にブームを巻き起こした『美少女仮面ポワトリン』ではメイン監督として活躍した。また東映不思議コメディーシリーズ全作品に監督として携わった、唯一の人物でもある。 東映不思議コメディーシリーズ終了後は、ドキュメンタリー演出の分野に進出。「都市の中の農の風景」では賞も受賞している。 2018年1月13日、死去[8]。90歳没。 人物・エピソード
主な作品映画テレビ
脚注
参考文献
外部リンク
|