劇団文化座
劇団文化座(げきだんぶんかざ)は、1942年に「井上正夫演劇道場」のメンバーだった女優鈴木光枝・俳優山村聡・演出家佐佐木隆らで結成された劇団。2020年現在の代表は女優の佐々木愛。日本芸能マネージメント事業者協会会員。 2008年(平成20年)度(第63回)文化庁芸術祭(演劇部門・関東参加公演の部)大賞を受賞している。 沿革1942年4月の第1回旗揚げ公演は、国民新劇場(旧称「築地小劇場」)での梅本重信作「武蔵野」[2]。1944年12月の第7回公演の和田勝一作「牛飼いの歌」まで国民新劇場で公演[3]。1945年3月10日の東京大空襲で同劇場が焼失後、拠点を失い、同年6月、旧満州(中国東北部)へ渡る。かねてから日本移動演劇連盟の傘下に入っていたが、東京を拠点とした演劇にこだわっていた同劇団に、同連盟から提示された派遣先は佐々木愛の講演によれば「沖縄、広島、満州」[4]の三つの選択肢しかなかったという。 満州で敗戦を迎えた劇団は、日本に引揚げ、三好十郎作「その人を知らず」、「炎の人 ゴッホ小伝」、山代巴原作「荷車の歌」、長塚節原作「土」等の上演に取り組む[2]。 1967年10月、佐佐木隆死去[2]。1975年、鈴木光枝が「三人の花嫁」で芸術優秀賞(演出部門)を受賞[2]。 1982年、水上勉作・木村光一演出「越後つついし親不知」により、文化庁芸術祭大賞を受賞。また、主演の佐々木愛が紀伊國屋演劇賞を受賞。 1998年、鈴木光枝の代表作「おりき」が500ステージを達成[2]。 佐佐木隆について日外アソシエーツ現代人物情報より。 演出家。明治42年4月4日(1909年)-昭和42年10月30日(1967年)。 出生地:秋田県秋田市。拓殖大学商科〔昭和7年〕卒業。昭和9年築地小劇場表方、11年井上正夫演劇道場文芸部員となり、17年山村聡、妻の鈴木光枝らと文化座を結成。死去するまで文化座の全演目の演出を担当した。女優の佐々木愛は一人娘。 上演作品代表作
過去に在籍した俳優脚注
関連項目
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