国鉄ホキ600形貨車
国鉄ホキ600形貨車(こくてつホキ600がたかしゃ)は、かつて日本国有鉄道(国鉄)に在籍したホッパ車である。 概要1930年(昭和5年)に浅野造船所で、浅野セメント向け石灰石輸送用 25t 積[1]鉱石車が16両が製造された。私有二軸ボギー鉱石車で、ヲキ1形(ヲキ1 - ヲキ16)と称した。ヲキ1 - ヲキ8は武蔵野鉄道に、ヲキ9 - ヲキ16は青梅電気鉄道に車籍を置いた。武蔵野鉄道置籍車は、1942年(昭和17年)7月に南武鉄道に移籍している。 このうちヲキ1 - ヲキ4は、1940年(昭和15年)から根古屋運用に転用され、東武鉄道に貸し出されている。 南武鉄道と青梅電気鉄道は、戦時買収により1944年(昭和19年)4月1日に国有化されたが、5両(ヲキ1 - ヲキ5)は日本高炉セメントに構内専用車として移管され、残りの11両(ヲキ6 - ヲキ16)が石炭車に類別[2]され、セキ4000形(セキ4000 - セキ4010)に改められた。 1957年(昭和32年)に石炭車よりホッパ車に改められ、形式もホキ4000形(ホキ4000 - ホキ4010)に変更された。 更に1963年(昭和38年)7月26日の称号規程変更によりホキ600形(ホキ600 - ホキ610)に変更された。 このように本形式は車種区分が3回変わり、形式を4回変えた車である。 私有貨車を含む、国鉄に在籍した「ホキ」車(積載重量 25 t 以上のホッパ車)の中で最も全長の短い形式である。 全鋼製鋲接構造の無蓋ホッパ車で、国鉄セキ1000形を一回り小型化した構造である。荷役方式はホッパ上部よりの上入れ、側開き式による取出しであった。 車体塗色は黒で、全長は7,710 mm、全幅は2,722 mm、全高は2,588 mm、台車中心間距離は3,910 mm、実容積は18.2 m3、自重は13.5 t、換算両数は積車4.0、空車1.4である。台車は、アーチバー式のTR20であった。 1969年(昭和44年)度に最後まで在籍した車が廃車になり形式消滅した。 武蔵野鉄道・青梅電気鉄道ヲサフ1形同系車としては、本形式を基本としてホッパ長を6,040 mmに短縮し、一端に木造の車掌室(制動手室)を設けたヲサフ1形(ヲサフ1 - ヲサフ4)があった。これも1930年(昭和5年)浅野造船所製で浅野セメント所有の私有貨車で、23t積[3]であった。当初の車籍は、ヲサフ1, ヲサフ2が武蔵野鉄道、ヲサフ3, ヲサフ4が青梅電気鉄道であったが、武蔵野鉄道置籍車は1942年(昭和17年)7月に南武鉄道へ移籍した。このうちヲサフ1は、1940年(昭和15年)から根古屋運用に転用され、東武鉄道に貸し出されている。 1944年(昭和19年)の国有化後は、全車がセサフ1形(セサフ1 - セサフ4)となったが、セキ4000形と同様の経緯で1957年(昭和32年)にホッパ車に類別変更され、ホサフ1形(ホサフ1 - ホサフ4)となった。 本形式は1966年(昭和41年)に廃車され、ホサフ1およびホサフ2は1967年(昭和42年)6月に福井鉄道に払い下げられた。両車は車掌室を撤去してホサ1形(ホサ1, ホサ2)となり、砕石輸送・散布用として使用された。1999年(平成11年)のお別れ運転後、2001年(平成13年)3月に廃車となり、ホサ1は2003年(平成15年)に三重県いなべ市の貨物鉄道博物館に寄贈され、同館で保存されている。 脚注参考文献
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