国鉄ホキ5200形貨車 (2代)
国鉄ホキ5200形貨車(こくてつホキ5200がたかしゃ)は、かつて日本国有鉄道(国鉄)及び1987年(昭和62年)4月の国鉄分割民営化後は日本貨物鉄道(JR貨物)に在籍したホッパ車である。 本形式落成前に同様の任務に従事していたセム3700形についても本項目で解説する。 概要1958年(昭和33年)から1961年(昭和36年)にかけて、日立製作所でホキ1800形として20両(ホキ1800 - ホキ1819)が製作された。ホキ1800形は、1963年(昭和38年)7月26日の称号規程変更によりホキ5200形に改められた。ホキ5200形としては2代目にあたる。ホキ5200形(初代)は、同日ホキ5600形へ変更になった。所有者は土佐石灰工業の1社のみであり、斗賀野駅を常備駅として運用した。 ホキ5205、ホキ5206の2車は、車掌室のように見える操作室を備えていた。操作室では、編成全車の底扉の開閉を行うためのエアーシリンダーの操作を行う部屋であった。操作室付きではあるがホッパ自体のサイズは他車と同一である。 車体塗色は黒で、1968年(昭和43年)10月1日ダイヤ改正では高速化不適格車とされて最高速度55km/hの指定車となり、識別のため記号に「ロ」が追加され「ロホキ」となり黄色(黄1号)の帯を巻いている。 荷役方式はホッパ上部よりの上入れ、底扉による下出しであった。 全長は9,000 mm、全幅は2,590 mm、全高は3,220 mm、台車中心間距離は5,100 mm、実容積は20.0 m3、換算両数は積車4.5、空車1.4である。落成時の台車は、日立C-1台車であったが後にベッテンドルフ式のTR41Dに変更した。 1992年(平成4年)10月に土佐石灰工業の貨車輸送廃止によって、最後まで在籍した17両(ホキ5200 - ホキ5202、ホキ5204 - ホキ5214、ホキ5216 - ホキ5218)が廃車になり形式消滅した。
年度別製造数各年度による製造会社と両数は次のとおりである。
セム3700形
1943年(昭和18年)2月下旬に12両(セム3700 - セム3711)が汽車製造にて土佐石灰工業所有車として製造された。 当時の車両規定では私有石炭車、私有ホッパー車(そもそもホッパー車なる車種が存在しなかった)が鉄道省より認められていないため、国鉄線路上を運用することは不可能であった。このため全車を鉄道省に無償譲渡した。この際形式名セム3700形が与えられた。 専属貨車として斗賀野駅を常備駅とし、当駅 - 多ノ郷駅間にて運用された。また専属車掌車としてセムフ1000形4両(セムフ1010、セムフ1078、セムフ1088、セムフ1103)が充当された。 その後車両規定が改訂され私有ホッパー車が認められ、1958年(昭和33年)にホキ1800形が製作された。同形式落成後、本形式は九州(船尾駅)へ移動になったが、戦争中の酷使により疲弊しきっており、また少数車であったため保守に手間がかかり、1963年(昭和38年)8月12日に全車が一斉に廃車となり、同時に形式消滅となった。 参考文献
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