多良間村(たらまそん)は、沖縄県の先島諸島東部の宮古列島に位置する多良間島及び水納島の2島からなる村[1]。これらの島は宮古島と石垣島のほぼ中間に位置しており隆起サンゴ礁により形成された島である[2]。宮古郡に属する唯一の町村である。
地理
北緯24度39分、東経124度42分に位置しており、多良間島(面積19.75km2)と、その北西約10kmにある水納島(面積2.15km2)からなる[2]。村の最高点は多良間島北部にある八重山遠見台(34.19m)である[2]。気候は海洋亜熱帯性気候に属する[2]。
字
人口
高齢化率30.3%と高く、若年層の流出が激しい[3]。
|
多良間村と全国の年齢別人口分布(2005年)
|
多良間村の年齢・男女別人口分布(2005年)
|
■紫色 ― 多良間村 ■緑色 ― 日本全国
|
■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性
|
多良間村(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年)
|
2,286人
|
|
1975年(昭和50年)
|
1,805人
|
|
1980年(昭和55年)
|
1,667人
|
|
1985年(昭和60年)
|
1,632人
|
|
1990年(平成2年)
|
1,463人
|
|
1995年(平成7年)
|
1,409人
|
|
2000年(平成12年)
|
1,338人
|
|
2005年(平成17年)
|
1,370人
|
|
2010年(平成22年)
|
1,231人
|
|
2015年(平成27年)
|
1,194人
|
|
2020年(令和2年)
|
1,058人
|
|
|
総務省統計局 国勢調査より
|
歴史
行政
多良間村では1994年(平成6年)を最後に職員採用試験が実施されていない。採用試験を実施していないのは沖縄県の30町村で唯一であり(2017年時点)、縁故採用が横行しているとの指摘がある[12]。
姉妹市村
安政6年(1859年)に多良間島に漂着した岩手県宮古の商船の乗組員が、島民から手厚い看護を受けて全員無事に帰還したという史実が1974年(昭和49年)に発見されたことから交流が始まり、1996年(平成8年)2月6日に姉妹市村締結の調印が行われた[13]。
経済
国勢調査(平成27年)によると、多良間村の産業区分別就業者数・生産額は、第3次産業が44.9%、第1次産業が41.5%、第2次産業が21.7%である[2]。サトウキビの生産や畜産などの第一次産業が盛んで、特に黒糖(サトウキビ原料)は沖縄県内の生産量シェアの約40%で全国一の生産量である[1]。
- JAおきなわ - 営農に関する諸活動、金融、購買を行っている。
- 宮古製糖多良間工場 - 村内産サトウキビからの製糖作業を行っている。沖縄県内でも数少ない含蜜糖(黒糖)製糖である[14]。
- 日本郵政グループ
- 日本郵便 多良間郵便局(塩川) - 郵便窓口は土曜・日曜・祝日休。局内設置のゆうちょ銀行ATMは日曜・祝日休[15]。
- 多良間村の郵便番号は「906-0601」(字塩川)、「906-0602」(字仲筋)、「906-0603」(字水納)である。
- 沖縄電力
教育
幼稚園・保育園
小学校
中学校
文化
祭事
- スツウプナカ[16][17][18]
- スツウプナカは「節祭」を意味し、5月20日ころの「壬辰(みずのえたつ)」と「癸巳(みずのとみ)」の2日間にわたって行われる。豊年の感謝と豊穣を祈願する伝統祭祀である。祭場では、魚料理や神酒を供えて豊年を祈願する。
- 八月踊り[19][20]
- 旧暦8月8日から3日間にわたって催される。かつては、「八月お願」「皆納祭」と呼ばれていた。この行事は、1637年に先島諸島で実施された人頭税によって苦しみを味わった人々が、神に人頭税をすべて納め終えたことを報告するとともに翌年の豊年を祈願することを年中行事としたことから始まったものと言われる。
御獄・神社
- 字塩川嶺間区の北方に隣接した小高い丘にあり、嶺間按司(みねまあじ)を祭る。嶺間御獄の祭神である嶺間按司は、成化年間(1470年頃)の人である。
- 長い参道沿いには、胸高直径20-40cm、高さ8-10mのフクギの並木があり、沖縄県によって天然記念物に指定されている[4]。
- 当時の小学校長が主唱し、1902年(明治35年)1月に社殿を完成させ、鎮座祭を行った[4]。島で唯一の神社である。
交通
航空
船舶
- 多良間港
- 普天間地区(普天間港) - 多良間島南東部[21]。平良航路のフェリーが発着。
- 前泊地区(前泊港) - 多良間島北部。夏場は平良航路のフェリーたらまゆうが発着するほか、水納島への連絡船も発着。2015年(平成27年)4月27日に浮桟橋の供用が開始された[22]。
- 水納港 - 水納島
- 航路
- 平良港 - 多良間港(多良間海運)1日1往復、日曜日運休
- 多良間島 - 水納島間には定期航路はないが、チャーター船を依頼することができる[23]。
バス
道路運送法第78条に基づく自家用自動車有償旅客運送の村営路線バスがある[24]。多良間港に発着するフェリー及び多良間空港に発着する飛行機の時刻に合わせ、多良間港(普天間地区・前泊地区)・多良間空港と村中心部の間に運行される。
道路
国道・主要地方道はなし。かつては沖縄県道233号塩川仲筋線があったが、県道としては廃止された。
- 交通教育目的を兼ね、交通信号機が島内に1か所のみ設置されている[25]。
放送
ラジオ
- ラジオ中継局周波数一覧
- 周波数単位はMHz、出力は民放AM3W、NHKFM30W、FMみやこ10W
テレビジョン
- テレビ中継局周波数一覧
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
名所・旧跡
- 2007年(平成19年)4月、多良間村の宮古遠見、八重山遠見、水納遠見を含む宮古島・八重山諸島の10の遠見番所(火番盛)が、国の史跡に指定された。
- 仲筋集落の北西、標高約30mの丘の上にある。底面の周囲約22.7m、高さ約2.5mに石が積み上げられ、頂上は円形で、昇降路は螺旋階段になっている。島で最も高い場所にあり、景勝の地でもある[4]。近くには、鉄筋コンクリート製の展望台が造られている。
- 泊御嶽から南方150mほどの道路沿い、南に向かって右側の小高い丘にある。底面の周囲約28.0m、高さ約3.7mに石が積み上げられ、頂上は直径約2mの円形で、昇降路は螺旋階段である[4]。周囲には木が生い茂っている。
- 昔は、飲み水を得ることが大切な仕事だった。多良間に水道設備ができたのは昭和の初めで、それまでは、自然洞穴の内にある泉が生活のための水源地になっていた。洞穴の入口から泉まで下っていく。奥に行くにしたがって暗くなるので、足で探って水を汲んだという。
- アマガー
- シュガーガー 夢パティオたらまの東側にある。
- ナガシガー - 仲筋集落の南方、フクギ抱護林の近くにあり、開削年代は不明。入口は北向きで、水つぼ周囲の石垣造りは堅固で、今でも原状を保つ。多良間島の民謡「多良間世」にも歌われ、古く人々の生活に密着していた[4]。
- フシャトゥガー
- 夢パティオたらま - 村営の宿泊施設。
- すまむぬたらま - 多良間村地域振興拠点施設。島の特産品や土産品等を販売する直売所で、地元食材を使った料理を提供する食堂もある。外壁にはラテンバンド・ディアマンテスのメンバーであるアルベルト城間らによる壁画が描かれている[26][27][28][29]
- 里子之墓 - 処刑された平敷屋朝敏の長男が水納島に流され、次男が多良間島に流された[6]。その次男の子孫一族の墓で、後に平敷屋朝敏の遺骨もここに納められたと伝えられる[30]。
著名な出身者
脚注
参考文献
関連項目
外部リンク
ウィキメディア・コモンズには、
多良間村に関連するカテゴリがあります。