『夜の大捜査線 』(よるのだいそうさせん、原題:In the Heat of the Night )は1967年 のアメリカ合衆国 のサスペンス映画 。監督はノーマン・ジュイソン 、出演はシドニー・ポワチエ とロッド・スタイガー など。ジョン・ボール の小説『夜の熱気の中で (英語版 ) 』(アメリカ探偵作家クラブ新人賞 受賞)を原作とし、スターリング・シリファントの脚本である。音楽監督はクインシー・ジョーンズ 。有色人種 への偏見と差別が残る1960年代 の米国の小さな町を舞台に、対立しながらも殺人事件の捜査をともにすることになった白人の警察署長とアフリカ系の刑事を描いている[ 2] 。
第40回アカデミー賞 作品賞 、主演男優賞 (ロッド・スタイガー )、脚色賞 (スターリング・シリファント )、音響賞(サミュエル・ゴールドウィン撮影所サウンド部)、編集賞(ハル・アシュビー )を受賞した[ 3] 。また2002年にアメリカ国会図書館 が、アメリカ国立フィルム登録簿 に新規登記した作品である。
本作が好評だったため、『続・夜の大捜査線 』(1970)、『夜の大捜査線 霧のストレンジャー 』(1971)が製作され、1988年から同名のテレビドラマシリーズ (英語版 ) も放送された。
概要
当時盛り上がっていた公民権運動 を背景に、タイミング良く制作されたこの作品は、キャスト・スタッフ共々自発的に参加して作り上げた作品である。人種差別が厳しいミシシッピ州 にある小さな町で起きた殺人事件と偶然捜査に参加するようになった腕利きの黒人刑事、そしてことごとく捜査に対立する白人の人種差別的な町の警察署長と、その捜査の様子を白い目で見ている住民たちの緊迫した対立の関係には当時の公民権運動の緊迫感をも感じ取ることができる。
主題歌は映画の題名と同じタイトル"IN THE HEAT OF THE NIGHT"であり、レイ・チャールズ のヒット・ナンバーである。両者の功績が大きかったため60年代後半からのdetective storyのカテゴリーは今日に至るも多旋律が主流であり日本の刑事物も例外ではない。編集のハル・アシュビー は後に映画監督 になって活躍する。
ストーリー
リー・グラント 、シドニー・ポワチエ
富豪の実業家フィリップ・コルバートは、ミシシッピ州スパータに工場を建てるために引っ越してきていた。ある夜遅く、サム・ウッド巡査(ウォーレン・オーツ )は、パトロール中に通りに横たわるコルバートの他殺体を発見する。ウッド巡査は、駅の待合室でヴァージル・ティッブス(シドニー・ポワチエ )を見つけ、黒人の彼が財布にまとまった金を持っていたため、犯人に違いないと判断して逮捕するが、警察署長ギレスピー(ロッド・スタイガー )は彼がフィラデルフィアから来た殺人課の刑事であることを知る。ティッブスは旅の途中であり、次の列車で町を出ようとするが、電話に出た上司はスパータに留まって殺人事件の捜査を手伝えと言う。ギレスピー署長はスパータの多くの白人と同様に人種差別主義者だったが、ティッブスと一緒に捜査をすることにしぶしぶ同意する。
ギレスピー署長らは、被害者の財布を持って逃走したハーヴェイ・オバースト(スコット・ウィルソン )を逮捕するが、彼は無実を訴える。ティッブスは死体を検分して犯人が右利きであると判断し、オバーストが左利きであることから彼が殺人者ではないことを見抜く。被害者の妻コルバート未亡人はティッブスの有能さを感じ、彼が捜査を指揮しなければ工場の建設を中止すると主張する。
町で一番の農園主エンディコット(ラリー・ゲイツ (英語版 ) )がコルバートの工場建設に反対していたと知り、ティッブスは彼を訪ねる。被害者コルバートの車に残っていたシダの根がエンディコットの温室にもあったことから、エンディコットへの疑いが深まるが、エンディコットと話をしているうちに彼に平手打ちされたティッブスは思わず彼に平手打ちを返してしまい、その後は町の若い白人たちに狙われるようになってしまう。
それでもティッブスは捜査を進め、ウッド巡査に事件当夜と同じ時刻に同じコースでパトロールを再現するよう求める。そこにギレスピー署長も同行するが、彼が同じコースを通らなかったことをティッブスが気づくと、ギレスピー署長はウッド巡査に疑いを抱き、彼が事件の翌日に銀行に大金を預けていたことを突き止めると彼を逮捕する。しかし、彼がコースを変えたのは、外から丸見えの自宅の部屋で毎晩裸で過ごしている若い女性デロリスの姿を毎晩パトロール時に眺めていたからだと推理したティッブスは、またもやギレスピー署長の誤認逮捕を指摘する。
そのデロリスは兄ロイドを伴って警察署を訪れ、ウッド巡査と以前一夜を共にしたことで妊娠したと訴え出るが、その話に疑いを持ったティッブスは、町民が堕胎したいときに訪れる雑貨屋のママ・カレバを訪ね、誰がデロリスの相手だったのかを聞き出そうとする。そこにちょうどデロリスと男が堕胎に来る。男は町でダイナーを営んでいるラルフ・ヘンショウであった。さらにそこにロイドら白人の若者たちがティッブスに危害を加えようと集まってきたため、ティッブスはラルフがデロリスの相手であることを明らかにし、ロイドがラルフに迫ろうとしたところで逆にラルフに射殺されてしまい、ラルフは逮捕される。ラルフは警察署でコルバート殺害を自供する。彼を殴り倒して金を奪おうとして誤って殺してしまったのであった。
一連の事件は解決し、ティッブスは列車に乗り込むため駅にやって来る。見送りに来たギレスピー署長はティッブスの鞄を運んでやり、多少きまり悪い様子を見せつつも、彼と温かい別離の挨拶を交わすのだった。
キャスト
字幕翻訳 - 佐藤一公
BDにはNET版とTBS新版が収録(NET版:約95分、TBS新版:ノーカット)
上記の他に田中信夫と古川登志夫 が出演した吹替版が存在する[ 5] 。
製作
撮影
冒頭の有名な列車のロングショットは、撮影監督 ハスケル・ウェクスラー が本屋で立ち読みしていた家庭用のカメラ撮影用の本からヒントを受け、金物屋から網戸の網を買ってきて、カメラに装着し、助手と2人きりで撮影した[ 6] 。
人種差別のひどい南部をポワチエは拒否していた。実際に映画に出て来るカーチェイスの様に、何度も嫌がらせを受けた。撮影はイリノイ州 でロケ撮影を行ったが、広大な綿畑の場面はテネシー州 において撮影した。温室での場面も実在している温室を利用し、植えられていたランは15000ドルの価値があった。
州境の橋の場面では、映画史上初めてズームレンズ を装着して撮影した[ 6] 。
実力者の未亡人役だったリー・グラント は赤狩り によって映画界を干されて、この作品が復帰第1作目となった(彼女は赤狩り の最中に本当に夫を失っている)[ 6] 。
ギレスピー署長役のロッド・スタイガー は絶えずガムを噛み続けることを訝しがった。最初は嫌がっていたが、そのアイディアが良かったので噛み続けることにした。結局撮影中263箱分のガムを噛み続けていた[ 6] 。
署長宅でのポワチエとスタイガーとの会話の場面はすべてアドリブで撮影された[ 6] 。
スタイガーが演じた警察署長ギレスピーは、現在でも一般的になったカルト的な偶像になっている。この南部を代表とするステレオタイプ的な役柄は、広告などにも利用されている[ 6] 。
「“ティッブスさん”だ!(They call me Mister Tibbs!) 」という台詞は、アメリカ映画の名セリフベスト100 で第16位にランクインしている。南部では白人男性が黒人と話すときに成人であっても相手を「Boy」(坊主)と呼ぶ風習があり白人が黒人に日常的に行うマウンティングの一つとなっている、劇中でもティッブスはしばしば「Boy」と呼びかけられており、この風習に対する抗議を含んだ人種差別問題を象徴する台詞となっている。また、続編『続・夜の大捜査線 』の原題になった。
ポワチエ自身が一番大好きな映画の一本である[ 6] 。
映画ではティッブスはペンシルベニア州フィラデルフィア市警から派遣されて来ているが、ボールの原作ではティッブスが所属するのはカリフォルニア州パサデナ 市警察。共に実在の法執行機関で、パサデナ市警では、作品を記念して“公務により出張中、帰署時期未定”の扱いでティッブスを署員として登録しているという。
物語の終幕は、原作ではギレスピー署長が握手をしようか迷ったまま結局出来ずにティッブスを送り出すが、映画では二人が握手をして別れるハッピーエンドに変更されている。
音楽
作品の評価
映画批評家によるレビュー
Rotten Tomatoes によれば、83件の評論のうち高評価は95%にあたる79件で、平均点は10点満点中8.4点、批評家の一致した見解は「緊張感やユーモアとともに示唆に富んだ内容で、シドニー・ポワチエとロッド・スタイガーの力強い演技に支えられ、アメリカの小さな町における殺人と人種差別に対するノーマン・ジュイソン監督の見方は今もなお人々の心に響いている。」となっている[ 7] 。
Metacritic によれば、14件の評論のうち、高評価は12件、賛否混在は2件、低評価はなく、平均点は100点満点中75点となっている[ 8] 。
受賞歴
脚注
外部リンク
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英語版ウィキクォートに本記事に関連した引用句集があります。
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