大森政輔
大森 政輔(おおもり まさすけ、1937年〈昭和12年〉5月11日[1] - )は、日本の裁判官、弁護士、民法学者(身分法・戸籍法)。勲等は瑞宝大綬章。八重洲法律事務所所員、第一東京弁護士会所属。過去に内閣法制局総務主幹、内閣法制局第二部部長、内閣法制局第一部部長、内閣法制次長、内閣法制局長官、国家公安委員会委員などを歴任した。 兵庫県神戸市出身[1]の裁判官である[2]。岡山地方裁判所、大阪地方裁判所、東京地方裁判所で判事を務めた。のちに法務省に出向し検事となり[3]、民事局にて第二課の課長や参事官を務めた[4]。さらに内閣法制局に再出向し[3]、総務主幹を経て[4]、第二部や第一部の部長を務めるなど[4]、要職を歴任した。1992年には内閣法制次長に就任した[4]。1996年には大出峻郎の後任として内閣法制局長官に就任し[4]、第1次橋本内閣から小渕第1次改造内閣にかけて同職を務めた[5][6]。退職後は弁護士登録し[7]、第一東京弁護士会に所属した[7]。また、ソニーや第一生命保険の監査役なども務めた。 来歴生い立ち1937年5月に生まれ[2]、兵庫県にて育った[2]。灘高等学校を経て[3]、1960年3月京都大学法学部卒業[3][4]。在学中に司法試験に合格している[3][4]。に京都大学を卒業し[4]、同年4月より司法修習生となった[4]。 裁判官・法務官僚・法制官僚として1962年4月、判事補に任命された[4]。京都地方裁判所、秋田地方裁判所大曲支部、秋田地方裁判所、東京家庭裁判所、岡山地方裁判所などで判事補を務めた。1972年4月、判事に任命された[4]。岡山地方裁判所、大阪地方裁判所、東京地方裁判所などで判事を務めた。裁判官としては、民事事件、刑事事件、家事事件、少年事件など幅広く担当した[3]。その後、法務省に出向して検事となり[3]、1978年4月に民事局の第二課にて課長に就任した[4]。1982年4月には民事局の参事官に就任した[4]。さらに、裁判所に戻ることなく、そのまま内閣法制局に再出向することになり[3]、1983年11月に内閣法制局の総務主幹に就任した[4]。1985年11月には第二部の部長に就任し[4]、1989年8月には第一部の部長に就任している[4]。1992年12月、内閣法制次長に就任した[4]。1996年1月、大出峻郎の退任に伴い、第1次橋本内閣にて内閣法制局長官に就任した[4][5]。以来、小渕第1次改造内閣に至るまで内閣法制局長官を務めた[6]。 退官後1999年に弁護士登録し[7]、第一東京弁護士会に所属した[7]。さらに、ソニーや第一生命保険にて監査役に就任した。なお、2000年から2002年にかけて、東京家庭裁判所の家事調停委員を務めていた[7]。また、度重なる警察不祥事を受けて発足した警察刷新会議にて委員を務め[7][8]、2003年には国家公安委員会の委員に任命された[7]。そのほか、2000年から2007年にかけて、早稲田大学法学部にて客員教授を兼任した[7]。 主張・意見
研究ライフワークとして民法、身分法、戸籍法の研究に取り組んでおり[3][9]、民法学者としての顔も持つ。身分法、戸籍法を研究するようになったのは、最高裁判所家庭局付判事補として家事事件を担当したことがきっかけである[9]。その後、法務省民事局に出向した際には、戸籍を所管する第二課の課長も務めている[9]。また、早稲田大学法学部では客員教授として教鞭を執っていた[7]。 人物
略歴
栄典著作
脚注出典
関連人物関連項目外部リンク
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