味村 治(みむら おさむ、1924年2月6日 - 2003年7月25日)は、日本の官僚。東京高等検察庁検事長。第三次中曽根康弘内閣、竹下登内閣、宇野宗佑内閣の内閣法制局長官(1986年7月22日 - 1989年8月10日)、最高裁判所判事(1990年12月10日 - 1994年2月6日)。1996年(平成8年)11月3日、勲一等旭日大綬章受章[1]。
略歴
旧満洲生まれ。六高、東京帝大卒業。東京地方検察庁検事に任官。1954年以降、1989年に内閣法制局長官で退官するまでの大半を、法務省と内閣法制局で過ごす。
法務省では商法改正作業に取り組み、内閣法制局長官時代には「旧憲法下では昭和天皇に戦争責任はない」「大喪の礼は憲法の政教分離の原則に反しない」などの見解を示したほか、新元号「平成」の決定にもかかわった。
最高裁判事時代の1992年10月29日、四国電力伊方発電所1号炉訴訟および東京電力福島第二原子力発電所1号炉訴訟において原告の上告を棄却。
退官後の1998年、東芝の社外監査役に就いた。
脚注
- ^ 「96秋の叙勲受章者 勳一等・勳二等」『読売新聞』1996年11月3日朝刊
関連項目
- 清水湛・稲葉威雄編『商法と商業登記―味村最高裁判事退官記念論文集』(商事法務、1998年)
- 東芝
- 先代
- 茂串俊
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- 内閣法制局長官
- 第55代: 1986 - 1989
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- 次代
- 工藤敦夫
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