大樹生命保険
大樹生命保険株式会社(たいじゅせいめいほけん)は、日本生命保険グループに属する日本の生命保険会社である。 歴史1914年4月16日に東京・銀座街の商店主たちを発起人として、東京市京橋区日吉町12番地(現・東京都中央区銀座8丁目)に高砂生命保険株式会社を創業。1926年11月、同社の大株主となった三井合名会社は、團琢磨ほか6名の新役員を選んで経営権を掌握。翌1927年2月、商号を三井生命保険株式会社と改めることを決議。同年3月、その登記を完了した。 戦後、相互会社となり、1947年7月25日、三井生命保険相互会社として営業を開始する。財閥解体の影響で、同年10月から1952年6月までは中央生命保険相互会社の商号で営業していたが、その後、三井生命保険相互会社に復帰。2004年4月、相互会社から株式会社に組織変更し、三井生命保険株式会社となる。 財閥系であったものの朝日生命保険や富国生命保険と並ぶ業界中位の規模であり、平成不況期から保険料収入の減少と運用損失計上により業績は低迷を続けるようになり、2004年には財閥系生保では初となる相互会社から株式会社への転換を行った。当初は生き残りかけて財閥の枠を超えた三井住友銀行や明治安田生命保険の発足を起因とした、同じ融資系列にある住友生命保険との連携あるいは、T&Dホールディングスや第一生命のように株式上場を睨んだものとされていたが特に進展は無かった。しかしながら2008年の世界金融危機発生による運用損失の拡大により財務基盤が脆弱化したため、三井住友銀行・住友生命保険・三井住友海上火災保険・三井住友信託銀行ら三井グループ・住友グループ企業を引受先とする600億円の第三者割当増資を実施し、三井住友銀行が筆頭株主となった。なお、株式会社転換時の契約者には一定条件のもとで株式が割当てられている。 一方、投資運用を主業務とする子会社の三井生命グローバルアセットマネジメントは2002年に住友生命、三井住友海上、三井住友銀行の各子会社と統合して三井住友アセットマネジメントになった。住友生命とは2009年に医療保険を主に扱うメディケア生命保険を共同出資で設立した。 2010年に本社を三井生命大手町ビルから大手町野村ビルと三井生命御茶ノ水ビルに、2013年にはダイバーシティ東京オフィスタワーに移転(ただし、本店は大手町野村ビルに留まる)。 2015年8月、日本生命保険が買収に乗り出して交渉中であることが報道された[1][2]。同年9月11日に両社の経営統合が基本合意され、日本生命保険は同年11月9日から12月21日まで株式公開買付けを行い、同年12月29日付で普通株式の92.16%と優先株式の全てを取得し、親会社となった。その後優先株式の普通株式への転換により日本生命保険の議決権割合は96.34%に達し、株式売渡請求が行われ、2016年3月11日付で日本生命保険の完全子会社となった。この後に三井住友銀行に11%、三井住友信託銀行に2%、三井住友海上火災保険・三井物産・三井不動産に各1%、他三井グループ会社1%の計17%の株式譲渡が行われ、最終的な持株比率は日本生命保険83%、三井グループ17%となる予定であるとした[3]。 2016年4月1日、三井グループの社長会である二木会を退会[4]。三井系の77社が所属する月曜会には残り、引き続き三井グループには留まるものの、社名を使い続けることが難しくなったため、2019年4月、商号を同社が扱っている保険ブランド「大樹」(たいじゅ)から大樹生命保険株式会社(たいじゅせいめいほけん)に変更[5]。英文表記は「TAIJU LIFE INSURANCE COMPANY LIMITED」[6]。社名変更により、終戦後の一時期を除き約90年間名乗ってきた「三井」の名称に幕を下ろした[7][8]。 三井生命時代には、男女バスケットボール部も持っており、トップリーグで活躍していたが、1999年に男子、2002年に女子も休部となった。 沿革
三井グループ関連の保険会社
関連会社
番組スポンサー
CM出演者
ほか 脚注
参考文献関連項目
外部リンク |