宮島連絡船(みやじまれんらくせん)は、広島県廿日市市の宮島口桟橋と同市厳島の宮島桟橋の間を結ぶ、JR西日本宮島フェリーの航路(鉄道連絡船)である。路線名は宮島航路。
鉄道連絡船ではあるが鉄道線を挟んだ輸送を担うものではない。
概要
かつては日本国有鉄道(国鉄)の航路であり、1987年(昭和62年)4月1日の国鉄分割民営化後は西日本旅客鉄道(JR西日本)が運航していた。JR西日本は2009年(平成21年)2月2日に新設した完全子会社のJR西日本宮島フェリーへ宮島連絡船の事業を譲渡し、同年4月1日から同社での営業を開始した[1]。分社化の時点で、年間1億円ほどの赤字が10年ほど継続している状態であった[2]。
なお、事業譲渡後も本航路はこれまで通り「青春18きっぷ」など、JRグループや、JR西日本本体が運営するトクトクきっぷでの乗船も可能となっている[3]指定席券売機の乗車券購入機能で、宮島駅の表記が、「JR西日本フェリー 宮島」に変更されている。マルス券の表記は、「宮島」で変更されていない。
JR鉄道線との通し乗車券は、鉄道連絡船ということもあり、分社化後も購入可能で、一貫してJR鉄道線の運賃と航路の運賃との合算だが、JR西日本直営時代は「山陽・宮島航路」の表記だったが、分社化後は連絡運輸の扱いとなり、乗車券の経由表記が「山陽・宮島口」に表記が変更された。
航路の運航距離は2 km程度あるが、並行する宮島松大汽船との運賃のバランスを考慮して、営業キロを1.0 kmとしている。この航路は宮島松大汽船の航路と共に広島県道43号厳島公園線の一部を形成している。そのため、国鉄時代から自動車航送を取り扱っている。
歴史
宮島行きの渡船については、江戸時代より廿日市などから出港していた(詳細は宮島航路参照)。
1897年(明治30年)9月25日の山陽鉄道延伸に合わせて、広島市在住の実業家早速勝三[補足 1]が、赤崎海岸に桟橋を設置。宮島間の航路を開設した[4][補足 2]。赤崎海岸の桟橋は、現在の宮島口桟橋の始まりになり、その航路が宮島連絡船の始まりになった。
1899年(明治32年)6月に、宮島有志の共同事業として、地元有志が出資した「厳島渡津合資会社」が設立され、事業譲渡された。さらに翌年、宮島渡航株式会社が設立され[5]て、事業を継承した[補足 3][6]。
1902年(明治35年)4月に、「宮島渡航株式会社」が建造した宮島丸が就航した[補足 4]。
1903年(明治36年)に山陽鉄道が、「宮島渡航株式会社」の桟橋・船舶・航路の一切を買収、5月8日から山陽鉄道直営航路になる(山陽汽船商社も参照)。宮島駅(現在の宮島口駅)の駅長が宮島航路も兼任することになり、汽車と汽船の連絡切符を販売した。同年の7月時点で10往復していた。1905年(明治38年)11月に、より大型の厳島丸と交代した。
山陽鉄道は、1906年(明治39年)12月1日に国有化され、官設鉄道(当時。後の国鉄)航路になった。
沿革
運航形態
宮島発は5時45分から22時12分まで、宮島口発は6時25分から22時42分まで運航される。昼間時は15分間隔だが、多客日は10分間隔になる。宮島口発の便については、9時台から16時台前半の便で厳島神社大鳥居沖経由便を設定するなどのサービスも行っている(航路はJRが西側、宮島松大汽船は東側のため、松大汽船は航路干渉をおこすことから直通コースしか設定できないが、その分、所要時間も短い)。
運賃
自動車航送
- 自動車航送料金は、3 m未満が800円、3 m以上4 m未満が1,250円、4 m以上5 m未満が1,700円、5 m以上6 m未満が2,250円となっており、ドライバー1名の運賃が含まれている[15]。車両の最大高さは2.2 m以下。
- 乗船当日に自動車航送券を購入する。車検証の提示は不要だが、提示を求められる場合がある。
自転車・オートバイ航送
- 自転車・オートバイ航送自動車航送料金は、自転車が100円である他、オートバイが125 cc以下が200円、125 cc超750 cc以下が300円、750 cc超が400円となっているが[15]、運転者の運賃は含まれておらず、別途運賃が必要となる。
- 自動車航送同様に、乗船当日に自転車・バイク航送券並びに乗船券を購入する。
対応乗車カード
- 徒歩や自転車・バイク航送での乗船に限り、交通IC乗車カードのPASPY、ICOCA、Suicaなども利用できる。同じ区間を運航する宮島松大汽船も同様。ただしICOCA等を利用する場合はPASPY割引適用外である。過去にはバスカードが利用できた。交通ICカードの利用の際は、ICカードリーダーが宮島側にしかないため、宮島口から乗船する際はそのまま乗船し、宮島側で精算するようになっている。
- 自動車航送に交通IC乗車カードは利用できない。
駅一覧
- 両駅とも広島県廿日市市内に所在。
- 山陽本線宮島口駅は、宮島口桟橋から徒歩6分の距離にある。
使用船舶
現在就航している船舶
以下の3隻が就航しており、現在ではすべての船を自動車搭載可能なフェリーとしている。また、ななうら丸の3代目の入れ換えをもって所有している船舶は全て両頭船となっている。
船名 |
用途 |
総トン数 |
就航日 |
備考
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ななうら丸(3代目) |
旅客フェリー |
275t[18] |
2016年11月7日[19] |
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みせん丸(4代目) |
旅客フェリー |
218t |
1996年4月27日[20] |
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みやじま丸(4代目) |
旅客フェリー |
254t |
2006年5月23日 |
後記の事故で就航が遅れる
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現在のみやじま丸は当初2006年3月15日に就航予定だったが、試験航行中に松大汽船側の桟橋に衝突したため、2か月8日遅れて同年5月23日に就航し、これに伴い旧みやじま丸は運航を終了した。
過去就航していた船舶
船名 |
用途 |
総トン数 |
就航日 |
終航日 |
備考
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宮島丸 |
客船 |
30.32 t |
1902年4月 |
1905年11月8日 |
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厳島丸 |
客船 |
70.00 t |
1905年11月8日 |
1924年9月1日 |
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みやじま丸(初代) |
客船 |
242.08 t |
1954年10月9日 |
1970年3月20日 |
1962年車載対応 1964年転籍、大島丸(2代目)になる
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みやじま丸(2代目) |
客貨船 |
117.16 t |
1965年10月1日 |
1978年9月19日 |
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みやじま丸(3代目) |
旅客フェリー |
266.40 t |
1978年9月27日 |
2006年5月12日 |
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七浦丸 |
客船 |
188.83 t |
1920年 1954年7月 |
1946年4月24日 1955年8月25日 |
1901年5月27日に下関丸として大島航路に就役 1920年転籍時に七浦丸に改称
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ななうら丸(2代目) |
旅客フェリー |
196t |
1987年2月18日 |
2016年11月7日 |
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弥山丸 |
客船 |
188.83 t |
1920年 |
1956年3月 |
1901年5月27日に大瀬戸丸として大島航路に就役 1925年6月5日に弥山丸に改称
|
みせん丸(2代目) |
客貨船 |
117.22 t |
1965年10月1日 |
1976年7月24日 |
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みせん丸(3代目) |
旅客フェリー |
266.49 t |
1978年8月10日[21] |
1996年4月25日 |
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山陽丸 |
客貨船 |
158.20 t |
1965年7月15日 |
1978年7月31日 |
大島航路・仁堀航路の予備船兼用
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安芸丸(2代目) |
旅客フェリー |
267.03 t |
1976年 |
1987年1月28日 |
1970年3月20日に大島丸 (3代目)として就役
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五十鈴丸 |
- |
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1964年 |
1965年 |
150t魚雷運搬船を改造
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玉川丸 |
- |
- |
1964年 |
1965年 |
150t魚雷運搬船を改造
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かざし |
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- |
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みゆき |
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みさき |
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運送実績
2009年(平成21年)の運送実績は1,765,251人(船舶別宮島来場者数、「廿日市市統計書 2010年(平成22年)版」より)で、宮島松大汽船の1,596,058人を上回り首位になっている。宮島来場者総数が3,464,546人なので、約51 %のシェアである。2001年(平成13年)からの実績は、年によっては宮島松大汽船を下回る年もある。詳細は、「宮島桟橋#利用状況」を確認のこと。
参考文献
補足
- ^ 当時広島で最大の部数だった新聞芸備日日新聞の社主であった。
- ^ 書籍によっては同年6月就航開始とする物も存在するが、その時は届出を行ったのみの可能性もある
- ^ この間の経緯は不明ながら、厳島渡津合資会社は1902年5月に解散している
- ^ 「渡津株式会社」と「宮島渡航株式会社」の関係について、『鉄道連絡船再見 海峡を結ぶ"動く架け橋"をたずねて』では不明としている
脚注
外部リンク
ウィキメディア・コモンズには、
宮島連絡船に関連するカテゴリがあります。
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バス | |
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船舶 | |
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関連項目 |
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記号の凡例(関連項目以外)
- 無印:発売・払戻し・再発行等を取り扱う
- ◇:発売・払戻し・再発行等は行わない
- ◆:チャージ不可
※重複事業者は鉄道を優先した。 |