小矢部市(おやべし)は、富山県西部にある市。1962年(昭和37年)市制施行。
歴史
令制国としては越中国礪波郡に属した。西端にある倶利伽羅峠で加賀国に接し、古来から北陸道の要衝であった。
江戸時代は加賀藩領。加賀藩やその支藩の城下町などであった現在の富山市や高岡市、石川県金沢市に近く、北陸街道の宿場町として栄えた。現在は通勤時間が30分圏内の隣接する高岡市や金沢市への通勤・通学率が高く、高岡市や県境を跨いで金沢市のベッドタウンを形成している。あいの風とやま鉄道と3つの高速道路(能越自動車道、東海北陸自動車道、北陸自動車道)が通る交通の便が良い地域として工業化が進み、市内にはLIXIL、伊藤ハム等の企業の工場がある。市内の中心部には小矢部川が流れている。市内には主にヨーロッパの有名建築を模した保育所、小学校、中学校が立ち並び、「メルヘンの街」として有名である。
地理
北部・北西部から南西部にかけては山地または中山間地。東部から南部にかけては砺波平野の一角を成し、石動・津沢の両市街地を除いて全般に散居村ののどかな景観が広がる。
隣接する自治体
沿革
- 合併計画自体は10年前から存在していて、1962年6月20日に富山県議会で合併が採決されるが、前日の6月19日、これに反対する津沢・水島地区(旧砺中町)の住民500人が富山県庁に押しかけて吉田実知事(当時)を軟禁する騒動もあった。さらに同年6月28日には砺中町役場で助役を3時間缶詰にし、町議会が津沢小学校下と水島小学校下の一部を砺波市へ分町編入合併を議決し、同年9月11日には津沢地区の反対派が砺中支所に私設の『津沢自治役場』の看板を掲げた。紛争は1964年2月27日の県庁でも調印でようやく収まることになった[1]。
人口
|
小矢部市と全国の年齢別人口分布(2005年)
|
小矢部市の年齢・男女別人口分布(2005年)
|
■紫色 ― 小矢部市 ■緑色 ― 日本全国
|
■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性
|
小矢部市(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年)
|
35,367人
|
|
1975年(昭和50年)
|
35,791人
|
|
1980年(昭和55年)
|
36,497人
|
|
1985年(昭和60年)
|
36,711人
|
|
1990年(平成2年)
|
36,374人
|
|
1995年(平成7年)
|
35,785人
|
|
2000年(平成12年)
|
34,625人
|
|
2005年(平成17年)
|
33,533人
|
|
2010年(平成22年)
|
32,067人
|
|
2015年(平成27年)
|
30,399人
|
|
2020年(令和2年)
|
28,983人
|
|
|
総務省統計局 国勢調査より
|
行政
- 市長:桜井森夫(2006年12月7日就任、5期目)
- 父の桜井与蔵は第2代市長
歴代市長
特記なき場合「令和元年度版 小矢部市統計書」による[2]。
代 |
氏名 |
就任 |
退任 |
備考
|
1 |
住田立 |
1962年(昭和37年)9月2日 |
1966年(昭和41年)9月1日 |
|
2 |
桜井与蔵 |
1966年(昭和41年)9月2日 |
1968年(昭和43年)6月14日 |
|
3 |
住田立 |
1968年(昭和43年)7月21日 |
1972年(昭和47年)7月20日 |
|
4 |
松本正雄 |
1972年(昭和47年)7月21日 |
1986年(昭和61年)10月20日 |
|
5 |
大家啓一 |
1986年(昭和61年)12月8日 |
2006年(平成18年)12月6日 |
|
6 |
桜井森夫 |
2006年(平成18年)12月7日 |
現職 |
|
市役所
- 小矢部市役所
- 津沢コミュニティプラザ(旧砺中支所)
その他
| この節には独自研究が含まれているおそれがあります。 問題箇所を検証し出典を追加して、記事の改善にご協力ください。議論はノートを参照してください。(2011年7月) |
- 基本的に砺波地区に属する一方で、高岡地区広域圏事務組合(高岡市・氷見市と構成)にも属する。この他、高岡地区のカテゴリーに含まれるところは以下のとおりである。
- 富山県高岡土木センター
- 富山県高岡農林振興センター(高岡農地林務事務所と高岡農業普及指導センターとの合併により発足)
- 高岡区検察庁
- 富山県観光連盟砺波地区会には属していない。
- 高岡地区行政相談委員連絡会(高岡市・射水市・氷見市と共に加盟)
- 電話の市外局番(高岡MAの0766)
- ただ、同じく旧西砺波郡の高岡市戸出地区・福岡地区とともに市内局番が60番台のため、事実上「西砺波MA」ともいえる。
- 「平成の大合併」では、前市長の大家啓一が旧西砺波郡福岡町との1市1町合併を所望していたが、福岡町及び当時の町長の石澤義文は元々高岡市志向が強いこともあり高岡市との合併の意志が強く、小矢部市は形勢不利であった(福岡町は既に火葬場建設組合事業、ケーブルテレビ事業などでも高岡市と提携していた)。また、福岡町及び石澤町長は合併にあたり「砺波地区とは一緒にやれない」として、砺波地区からの離脱の意向も示していた。やがて高岡市・福岡町サイドから、2市1町による高岡広域圏内での合併案を持ち掛けられるも、今度は逆に小矢部市サイドに砺波市志向が強い背景もあって誘いを拒否。単独市制の道を選んだ。これにより「となみ野」の一員としての面目を保つこととなった。
- 最近では富山県内の消防本部の再編への動きが本格的に進みつつあるが、この小矢部市でもあくまでも砺波医療圏(砺波市・小矢部市・南砺市)での統合を求める声と、高岡広域圏での統合を望む声とに分かれていたが、結果的に2011年4月1日、砺波医療圏での統合により「砺波地域消防組合」を設立することになった。
姉妹都市・提携都市
国内
- 2001年8月24日姉妹都市提携
- 2006年2月20日高岡市・小矢部市災害時相互応援協定締結
- 2012年4月18日北秋田市・小矢部市災害時相互援助協定締結
- 2014年2月19日大府市・小矢部市災害時相互援助協定締結
経済
産業
- 小矢部市に本社を置く企業
- 主な事業所
- 農業協同組合
商業
公共機関
警察
- 小矢部警察署(富山県警察)
- 水島駐在所
- 津沢駐在所
- 若林駐在所
- 正得駐在所
- 北蟹谷駐在所
- 宮島駐在所
- 南谷駐在所
- 薮波駐在所
- 小矢部検問所
消防
医療機関
教育
小学校
中学校
高等学校
- 過去に存在した学校
交通
鉄道路線
北陸新幹線は市内を通るが、駅は設けられていない。
1972年までは加越能鉄道加越線も市内を通っており、石動駅を起点として南砺市方面へ向かっていた。
バス路線
- 加越能バス
- かつては石動小学校近くにあった石動営業所は廃止され、跡地は斎場「オークスセレモニーホール小矢部」になっている。
- 小矢部市営バス(愛称「メルバス」、市が石動タクシー(金沢市の「金城タクシー」グループ)に運行を委託)
道路
マスメディア
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
メルヘン建築
1972年から1986年にかけて市長を務めた松本正雄(一級建築士でもあった)は、「公共施設に文化的価値を持たせたい」[6][7]「子供たちに夢を与えたい」と、市内の公共建築をヨーロッパや東京の有名な洋風建築物に模すことを発案。1976年から1992年にかけて、35か所が建設された。これらは「メルヘン建築[注釈 2]」と呼ばれるようになり、現在では市や市観光協会もそう呼んで観光客誘致に活用している[8]。コスプレ撮影の背景として人気がある。
ただし当時から、小矢部との関連の乏しさ、割高な建設費への批判はあり[9]、1~2割増しの建設コストが問題視され1992年にストップがかかった。これらの建築物は市の観光スポットとなっているが、老朽化と利用者数の減少、市の行財政改革により2018年から徐々に解体されることになった[10]。
倶利伽羅峠の戦い
治承・寿永の乱(いわゆる源平合戦)で、倶利伽羅峠の戦いが行われた。倶利伽羅峠は県定公園になっており、古戦場がある。源義仲(木曾義仲)が使ったと伝承される火牛の計にちなんだ源平火牛まつりが7月下旬に開催される[11]。 源氏ヶ峰城は源平合戦に遡る城跡である。倶利伽羅峠とその周辺にはこのほか埴生護国八幡宮、医王院、倶利伽羅不動寺といった社寺がある。
その他
銘菓
郵便番号・電話番号
- 郵便番号 932-00XX、932-08XX(旧・石動町域)
932-01XX (旧・砺中町域)
- 電話番号 0766-67/68-XXXX(石動・南谷・子撫・宮島・荒川・若林・松沢・埴生・北蟹谷の一部)、0766-61-XXXX (津沢・水島・薮波)、0766-69-XXXX (北蟹谷・東蟹谷)
著名な出身者
名誉市民
脚注
注釈
出典
外部リンク
ウィキメディア・コモンズには、
小矢部市に関連するカテゴリがあります。