岸信千世
岸 信千世(きし のぶちよ、1991年〈平成3年〉5月16日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(2期)。デジタル大臣政務官兼内閣府大臣政務官。 元衆議院議員で防衛大臣(第21-23代)を務めた岸信夫の長男。曽祖父は元内閣総理大臣(第56・57代)の岸信介。 来歴当時、住友商事に勤めていた父・岸信夫の赴任先のアメリカ合衆国に生まれ、東京都港区で育つ[1][2]。 松濤幼稚園、慶應義塾幼稚舎、慶應義塾中等部、慶應義塾高等学校を経て、2014年3月、慶應義塾大学商学部を卒業[3][4]。同年4月、フジテレビに就職。報道局社会部記者として警視庁、宮内庁、皇室、国土交通省、気象庁などを担当した[3]。 2020年9月16日、父親の岸信夫が防衛大臣に就任。同年11月、信夫の政務秘書官となる[3]。 2022年7月8日、伯父の安倍晋三が奈良市で暗殺される事件が発生(安倍晋三銃撃事件)[5]。事件の直後、安倍の母の安倍洋子は「後継者は孫がいい」と清和政策研究会(安倍派)の幹部らに語った[6]。 同年7月21日、安倍の妻の安倍昭恵は自民党本部で開かれた安倍派の総会に出席し、晋三の死去に伴う山口4区の補欠選挙について「立候補する考えはない」と話した[7][8]。これを受けて安倍の後援会は「3人の孫」にあたる安倍の兄の安倍寛信の長男、岸信夫の長男の信千世、信夫の次男のいずれかの擁立を目指したが、寛信の長男は政界入りの意思がなく、岸家も打診を断った[9]。 同年8月10日、信夫は防衛大臣を退任。退任に伴い、信千世は政務秘書官ではなくなり、信夫の議員秘書となる[3]。 同年12月11日、健康面に不安を抱える信夫は後援会の会合で「このあたりで信千世に譲りたい」と発言。会合に同席した信千世も「地域のために頑張りたい」と発言し、父が地盤としていた山口2区から立候補する意欲を示した[10][11]。同月中旬、信夫と信千世は、渋谷区富ケ谷にある安倍晋三邸を訪問。安倍洋子と3人でテーブルを囲み、信千世は洋子に「2区から出たい。おやじの跡を継ぎます」と告げた[12]。 山口2区補選への立候補表明2023年2月7日、信夫が衆議院議員を辞職。同日、岸信千世は岩国市内で記者会見し、4月23日に投開票される衆議院山口2区補選(兄の晋三の死去に伴う山口4区補選も同日実施予定)に後継として立候補する意向を正式に表明。自民党県連の候補者公募に応募すると述べた[13]。 同年2月8日、信千世は、父親のホームページのURL(https://kishi-jpn.com/)をそのまま引き継ぎ、自身のホームページ「岸信千世(きしのぶちよ)公式サイト」を開設した[14]。信千世は、岸がホームページに掲げた「誇りうる国造り」「こころ豊かな社会づくり」「夢あふれる町づくり」の3つの政策について、文言を変えずに、自身のホームページに掲載した[15]。また、トップページに自身の略歴と並べて、安倍寛、岸信介、佐藤栄作、安倍晋太郎、安倍晋三、岸信夫の6人の名が記された「家系図」を掲載した[3]。ところが「世襲制が当然のものになっている」「女性(母親)がまったく出てこない」「単性生殖なのか」などの批判の投稿が相次ぎ、2月13日午後12時ころ、信千世はサイトから「家系図」の文言を削除した。さらに同日16時ころまでに家系図自体を削除し、その後、ホームページ自体が「メンテナンス中」として閲覧できなくなった[16][17][14][18]。メンテナンスが終わると、「https://kishi-jpn.com/」は岸信夫の公式サイト「岸信夫 / Official Web Site」として復活した[19]。同月25日、自民党は信千世の公認を正式に決定した[20]。公認決定に伴い、信千世は新たなURL(https://nobuchiyo.kishi-jpn.com/)を取得し、ホームページを開設した。トップページは入力フォーム形式のページでつくられており、後援会入会申込フォームに個人情報を入力して送信ボタンを押すと閲覧が可能となる設定だった[21][18][22]。2月28日、ホームページは真っ白となり、再び閲覧不能となった[18][22][23]。 同年3月5日、岸田文雄首相は、安倍昭恵の推薦により擁立された山口4区補選候補者の吉田真次[6][24]の集会に参加。その後、岩国市へ移動し、信千世の集会にも参加し、支援を呼びかけた。信千世は、岸信夫にゆかりのある後援会や事務所関係者らが残ってくれたとして「(この形で)戦えることをありがたく思います」と発言。血縁、地縁の価値を強調した[25][26]。3月19日、信千世は岩国市で事務所開きをした。父親の後援会連合会を引き継ぐこと、同連合会長の柏原伸二が続いて会長を担うことが明らかとされた。信千世は「父の思い、昨年亡くなった伯父の思いを背負って、全力で働く」と決意を述べた[27]。3月24日発売の『月刊Hanada』5月号に「山口補選、大型新人独占緊急対談 われら、安倍晋三元総理の遺志を継ぐ!」と題した信千世と吉田真次の対談記事が掲載された[28]。3月27日、千代田区永田町にあるザ・キャピトルホテル東急で、政治資金パーティーを開催。マスコミに非公開で行われ、会費は1人2万円、出席者は約500人で満員だった。安倍派会長代理の塩谷立、麻生太郎元首相のほか、松野博一官房長官、加藤勝信厚労相、西村明宏環境相などの現職大臣が出席した。新人候補が東京で大規模なパーティーを開くのは異例とされる。信千世は「私は、伯父と父の背中を見て育った。それを生かしていきたい」と挨拶した[29][30]。 衆議院議員同年4月11日、山口2区と山口4区の補選が公示。山口2区には信千世と民主党政権の元法相で、無所属で立候補した(立憲民主党の党籍を保有[31])元議員の平岡秀夫の2人が立候補した。信千世は新たなURL(https://kishi-nobuchiyo.jp/)を取得し、「岸のぶちよ オフィシャルウェブサイト」を開設した[32]。 同年4月23日の選挙投開票に於いて61,369票を獲得して当選を果たした[33]。当選確定後の4月25日に山口県選挙管理委員会からの当選人告示を受けて正式に衆議院議員となった[34]。4月27日、衆議院補選で当選した信千世、吉田真次、参議院補選で当選した白坂亜紀の3人は清和政策研究会(安倍派)に入会した[35]。 平成生まれの国会議員で土田慎・馬場雄基(ともに2021年の第49回衆議院議員総選挙で初当選)に次いで3人目となり、土田に代わり自由民主党の最年少国会議員になり、西日本が選挙区では初の平成生まれ国会議員となった[36]。 2024年10月27日実施の第50回衆議院議員総選挙に立候補し、再選[37]。同年11月、第2次石破内閣にてデジタル大臣政務官兼内閣府大臣政務官に就任[38]。 人物
家族・親族
太字は内閣総理大臣経験者。 系譜→詳細は「岸信介」を参照
選挙
脚注
外部リンク
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