東京都立広尾病院
東京都立広尾病院(とうきょうとりつひろおびょういん)は、東京都渋谷区恵比寿にある病院である。地方独立行政法人東京都立病院機構が運営している。 概要広尾病院は1889年(明治22年)に開設された東京市避病院を前身とし、1927年(昭和2年)に東京市立の病院となった[2]。 広尾病院の一帯は江戸時代には「広尾の原」と呼ばれて徳川家光の時代以降にはしばしば鷹狩や鶉狩に利用されていたところで、海抜は約9メートルと現在の渋谷区内では最も高度が低い場所となっている[2]。 2023年までに渋谷区のこどもの城跡地に移転し、首都災害医療センターとして開院する予定であったが[3]、移転を撤回し、同敷地内で建て替える方針へ変更された[4]。 2022年7月1日付で都立病院及び公社病院は、地方独立行政法人東京都立病院機構として再編され、これにより広尾病院の開設及び運営は同法人が担うことになった。 特色基幹災害医療センターとして都立病院の中では災害医療センターとして位置づけられており、国立病院機構災害医療センター(立川市)とともに東京都の基幹災害医療センターとなっている[5]。平時においては23区と多摩のそれぞれ中心となるとともに、発災時においてはどちらかが被災しても、相互補完的に機能しながら災害医療の中心として活動するものとされている。医師、看護師、事務職員により編成される常時2班の医療救護班をオンコール待機させておくなど、非常招集体制は都立病院のなかでも進んだレベルにある。 2011年の東日本大震災では、災害派遣医療チーム(DMAT)4名(医師1名、看護師2名、事務1名)を宮城県気仙沼市に派遣し、市内で医療救護活動に従事した[6]。 しかし、国立災害医療センターと比較すると、物資の備蓄、医師・看護師の充足、発災時の緊急登院体制等の面で改善すべき点も多い。 2004年(平成16年)、東京都が発足させた東京DMAT(東京都災害医療派遣チーム)の指定病院ともなっており、同年10月に発生した新潟県中越地震の際には他のDMAT指定医療機関とともに隊員を現場出動させている。東京DMAT指定病院としては他に日本医科大学付属病院、帝京大学医学部附属病院、杏林大学医学部付属病院等、17医療機関が指定されている。厚生労働省の主導する日本DMAT隊員養成にも協力しており、DMATの中心的医療機関のひとつである[注釈 2]。 島嶼医療の拠点として島しょ医療にも重点を置いており、病院屋上にヘリポートを保有する。主に伊豆諸島からのヘリコプター救急を受け入れ、国民健康保険町立八丈病院や大島医療センターなど島内の医療機関で対応できない重篤度の高い患者については病院屋上に直接ヘリを着陸させ、患者の収容を行っている。 東京消防庁ヘリポート(東京都江東区)を経由した搬送に比べて、20-30分程度の時間短縮効果があるとされている。他に、急患要請を受けて医師が救急車で東京ヘリポートへ向かい、ヘリに乗り換えて島嶼へ向かったのでは間に合わないほど緊急性が高い場合は、ヘリが直接病院に医師を迎えに来る「ピックアップ」も実施している。また島嶼の医療機関との間で、X線画像等をリアルタイムで共有しながら診療のアドバイス等を行える「遠隔地画像伝送システム」も備えており、同院は島嶼救急に関しては都内トップクラスと言ってもよい実力を有している。 都心に位置するため、ヘリが着陸できるのは昼間の緊急時のみであり、長らく夜間帯を含めたヘリポートの常時運用はできなかったが、2008年(平成20年)2月、東京都と近隣住民の間の合意が得られたことにより、真に急を要し、搬送の数分の遅れが命に関わる患者に限り、実質24時間体制でヘリポート運用を開始した。これにより、従来は不可能だった深夜帯の離着陸が、症例は極めて限定されるものの可能となり、これにより離島部からの救急体制のあり方に大きな一石を投じたと言える。 しかし、騒音問題等、住民の積極的協力が得られるかどうかは未知数であり、今後の検討課題となるとみられる。 東京都立墨東病院、東京都立多摩総合医療センターとともに「東京ER・広尾」を運営し、365日・24時間の外来患者受け入れに対応している。 診療科目診療科以外の病院機構医療機関の指定等(下表の出典[7])
認定専門医人数(下表の出典[7])
交通アクセス
不祥事・医療ミス・医療事故
関連項目
その他
脚注注釈出典
外部リンクInformation related to 東京都立広尾病院 |