梅小路蒸気機関車館(うめこうじじょうききかんしゃかん、英語: Umekoji Steam Locomotive Museum)は、京都府京都市下京区観喜寺町にあった蒸気機関車専門の鉄道博物館。西日本旅客鉄道(JR西日本)が所有し、公益財団法人交通文化振興財団が運営していた。
2015年(平成27年)8月30日をもって一旦閉館し、拡張を伴うリニューアルにより2016年(平成28年)4月29日に京都鉄道博物館として新たにオープンした。本項目では京都鉄道博物館については該当記事に譲り、「梅小路蒸気機関車館」時代について記載する。また、リニューアル前の梅小路運転区についても記述する。
概要
1968年(昭和43年)3月26日の日本国有鉄道(国鉄)常務会で、1世紀にわたり日本の鉄道輸送を支え続けた蒸気機関車が1960年代後半以降は急速に姿を消していくことに対し、貴重な産業文化財と位置づけをした上で動態保存を目的とした日本初の施設を設置することが正式決定された。
上述決定を受けて1972年(昭和47年)10月10日に国鉄により日本の鉄道開業100周年を記念して京都市下京区にある梅小路機関区の扇形庫を活用して開設された。
- 当初は東京に近いということで栃木県小山駅構内にあった小山機関区が保存機関区の最有力候補であったが、「日本の中央部に立地」「周辺に集客力の大きい名所旧跡がある」「大型蒸機の保守実績がある」「蒸機運転可能な路線が近くにある」という観点から、1970年(昭和45年)に梅小路機関区(当時)が保存機関区に正式に選定された。
保存対象車両は原則としてその当時現存していた最若番車(できれば1号機)を選定するものとして当初12形式[注 1]が選定されたが、その後、小山機関区より車両収容力が大きいため再検討が重ねられた結果、16形式17両に拡大された。
- 保存選定の過程でC62 2はスワローエンゼル人気で選定されたほか、当初案では選定されていたC59 1(小倉工場 → 九州鉄道記念館保存)・D52 1(広島工場保存)のようにSL動態保存の基本構想のため当時現役の車両に変更されたケースもある。
1987年(昭和62年)の国鉄分割民営化によりJR西日本に承継された。また本施設自体が(閉館・京都鉄道博物館への改組後も)現役の車両基地(梅小路運転区)であり、蒸気機関車のほか嵯峨野観光鉄道で使用するDE10形ディーゼル機関車が所属し、検査・修繕も行なわれている。
なお、隣接して京都市の梅小路公園(総面積117,133 m2)があり、京都市電の車両が8両保存されている。このうち狭軌1形電車27号(旧京都電気鉄道車両の復元車)が動態展示され、他に7両が静態保存されている。
2014年(平成26年)10月25日放送NHK総合テレビ『妻たちの新幹線』をはじめ、ドラマ撮影などにも使用されることがあった[1][2][3][4]。
年末には鉄道友の会京都支部の手により、機関車への「しめ縄飾り」が行なわれ、京都新聞に毎年掲載されていた。
国鉄公認の後援団体として「梅小路の蒸機を守る会」が設立されており、第三展示館入り口横で日曜等に入会受付のテーブルをだしていた。年会費400円で会員書と記念メダルが貰えて、会員は団体料金で入館できた。会の行事としては毎月の「プレートみがき」があり、保存機関車の前面ナンバープレートをピカールで磨いた。参加会員には会員有志から提供された自家製焼付け写真がもらえる事があった。一般参加の行事として毎年秋に「京都市教育委員会公認・サクラクレパス他協賛」の写生大会(記念品有)を主催している。入会会員の減少と、スタッフ不足(無給のボランティアだった)そして唯一の収入源であった絵葉書(6枚1セット100円)の売り上げ低迷のため昭和末期に活動停止・解散となっている。
歴史
施設
閉館時点で、旧梅小路機関区の扇形庫および転車台を活用した「蒸気機関車展示館」と、旧二条駅舎を移築・復元した「資料展示館」からなっていた。
扇形庫は1914年(大正3年)に建設された鉄筋コンクリート造で、2004年(平成16年)12月10日に5t電動天井クレーン(1915年(大正4年)完成)、引き込み線とともに国の重要文化財指定[12]ならびに土木学会選奨土木遺産に選奨された。
2006年(平成18年)にはJR西日本により、旧二条駅舎(展示館)と扇形車庫・保存されている蒸気機関車一式・点検修理の工具一式などが、準鉄道記念物に指定された。
旧二条駅舎は、1904年(明治37年)に京都鉄道が本社社屋を兼ねて建設した日本現存最古の木造2階建和風駅舎で、景観に配慮しながら平安神宮を模して造られた。
- 京都鉄道は1907年(明治40年)に国有化され、以後は国鉄 → JR西日本の駅舎として利用されたが、1996年(平成8年)の山陰本線(嵯峨野線)二条 - 花園間高架化に伴って駅舎としての役目を終え、1997年(平成9年)に本館敷地内に移築・復元して玄関口として使用、内部は昔の切符売り場などを残し、資料展示館として活用していた。
1996年4月に京都市の有形文化財に指定された。
扇形庫には、蒸気機関車18形式20両(開館当初は16形式17両)が収容・展示されていた。
- 開館当初は動態保存が原則であり、梅小路への搬入前から静態保存されていたC53 45・C51 239の2両を除き15両は1979年(昭和54年)まで車籍をもった動態保存(書類上)であった[注 2]。
- その後保存対象車両の見直しが何度か行なわれ2008年(平成20年)現在、動態保存機は7形式7両となった。うち5形式5両はその時点でも車籍を有しC57 1・C56 160の2両は、山口線の「SLやまぐち号」や北陸本線の「SL北びわこ号」など本線上での列車牽引に充当されていた。この2両は一度も廃車(車籍抹消)になっていない日本で唯一の蒸気機関車である。
- 上述2両以外の動態保存機は車籍こそあるものの、全般検査を受けていないため本線上での走行はできないが、館内展示用の動態保存機の牽引による「SLスチーム号」が館内の展示運転線で運転されていた。
車両基地としての機能を有し、営業線とも接続されていた。さらに1997年からは蒸気機関車の検査・整備を鷹取工場より移管している[13]。
- 開館当初は検査担当工場として長野工場(現・JR東日本長野総合車両センター)が指定されていたが、営業用蒸気機関車が全廃されたことによって保存機の保守継続が問題となったため、1979年になって動態保存機の両数を削減するとともに、検査担当工場を鷹取工場へと変更した。
- 前記のとおり営業線と接続していることを生かして、開館段階では週末に臨時列車などの形で周辺路線を使用した動態保存列車の運行が企図されていた[注 3]。実際には『SL白鷺号』(京都 - 姫路間、1972年 - 1974年運行、C62形・C61形)や奈良線・関西本線・草津線の臨時列車(1972年 - 1973年運行、D51 1。区間は複数あり)など数例にとどまり、特に1976年の京阪100年号事故の発生以降、国鉄時代には周辺線区での実施はなかった[注 4]。
余談
施設の中央に位置している転車台(ターンテーブル)は第二次世界大戦期間中に原子爆弾の投下目標になっていた。
- 大都市の割に空襲の被害をほとんど受けなかった京都市だが、広島市と並び原子爆弾投下の最有力候補で、原爆の性能を確認しやすいように投下まで町を無傷にしていた。最終的には古都の破壊が永遠に日本人の反感を買ってしまい、戦後政策に重大な影響を与えることが懸念されたため投下目標を変更したことがアメリカの文書から明らかになっている。詳しくは日本への原子爆弾投下を参照のこと。
配置車両の車体に記される略号
「梅」…梅小路を意味する「梅」に由来する。
SLスチーム号
梅小路機関車館内にある片道500 mの展示運転線を用いたSL列車で蒸気機関車が専用の客車2両をけん引して往復し、牽引機はC62形 (C62 2) 、C61形 (C61 2) 、D51形 (D51 200) 、8620形 (8630) のいずれかが担当していた(D51 200は2014年10月に本線復帰が発表されて以降、8630は2015年2月に担当後、C61 2は2015年4月に担当後、整備のためそれぞれ担当から離脱している)。またこの指定牽引機以外の他の機関車がSLスチーム号の牽引を担当することがあった。
運転時刻は11時・13時半・15時半であるが人が多い場合は何度も往復する事があり、3回目の運転後には機関車に石炭や水を補給するため、ターンテーブルで蒸気機関車が回転する姿を見ることができた。ちなみに梅小路からの出発時は配線の関係から推進運転となるため、注意喚起ブザーを数回鳴らしながら発車していた。
京都鉄道博物館でも引き続き運行が行なわれているが、客車については再オープンに際してリニューアルされている。
展示運転線
梅小路蒸気機関車館の一角に設けられた延長500mの展示線で、SLスチーム号の構内運転に使用されていた。この展示線はこれまでに3回程位置と線形が変化しており、変化は以下のとおりである。
- 開館時
- 開館当初は展示運転として機関車のみの運行であり、乗車はできなかった。
- 扇形庫12番の後方に線路が150m延びており、そこを利用して展示運転を行なっていた[14][6][15]。線路沿いには広場が作られ、そこから展示運転を見学できた。内容は蒸気機関車単機による展示運転が11時と13時30分の二回行なわれた。広場には売店・休憩室が設置されている
- 11時は150 mの往復だけだが、13時30分では往復後に転車台の使用と、石炭・水の補給のための移動運転があった。(ただし、給炭作業自体は見ることができなかった。これは現役時代の設備を継続使用していたので、入館立ち入りエリアからは死角になる場所にあったため)
- 展示運転は単機が基本だが、まれに重連運転や客車(12系)を牽引して無料乗車を行なったこともある。それらは機関車館内や京都駅で「手書きポスター」にて告知された。
- 広場ではミニSL(ライブスチーム)の運転が時折行なわれた。
- 売店・休憩室裏には梅小路機関区職員食堂があり、1980年代中ごろまで使用されていた。ただし、職員専用である。
- 扇形庫の南側から南東に向かって伸びる線路に展示線を変更した[16][17][6]。
- 長い直線をもち、複線であることを活かして蒸気機関車の三重連や並走などといった展示運転をしていた。
- 9月23日、第11回全国都市緑化フェア開催に合わせて梅小路公園南端を嵯峨野線を潜り併走する形に移転され、同時にSLスチーム号の運用が開始された。
- 移転当初は400 m(往復800 m)だったが、1996年から始まった同博物館の大規模リニューアル工事(1997年完成)の一環として1996年10月10日に展示線が100 m延伸されて往復1,000 mとなった[18]。
- 京都鉄道博物館へのリニューアルに向け、SLスチーム号の客車を後述の車両に置き換える関係で展示線の一部の線形が改良された[19]。
配置車両
ほとんどの車両が、1972年に前所属機関区から現役車両として転属の手続きがとられている[注 5]が、一部は当初から無車籍・静態保存だった。
1976年(昭和51年)に指定されていたC62 1、2009年(平成21年)に譲り受けた1080を除く全車が、2006年に車歴簿・保守用工具とともに準鉄道記念物に指定されている。2014年に交通科学博物館から移設された7105(義経号)も、それ以前の2004年に鉄道記念物に指定されている。
閉館時点での配置車両
2015年8月30日現在の配置車両は以下の7両である[20]。
蒸気機関車
ディーゼル機関車
-
C56 160
(SL北びわこ号)
-
C61 2
-
C62 2
-
D51 200
(SLスチーム号)
-
C57 1
(SLやまぐち号)
保存車両
蒸気機関車
B20 10と8630の2両が、車籍は有しないが動態保存されていた。7105も2014年10月10日に動態復元された。
「◎」は、入館当初から静態保存であったもの。
-
8630
-
9633
-
B20 10
-
C11 64
-
C51 239
-
C53 45
-
C55 1
-
C58 1
-
D51 1・C62 1
-
C62 1
-
D50 140
-
D52 468
-
1080
-
7105
その他の車両
- 初代「SLスチーム号」用客車(番号なし2両)
- 1990年(平成2年)に大阪市鶴見緑地で開催された「国際花と緑の博覧会」で運行された7105「義経」牽引のSL列車に使用するために製造された窓ガラスのないトロッコ風客車で、黄・緑・ベージュ色をしていた。同博覧会終了後に館内で運行するSL列車「SLスチーム号」に3両のうち2両(黄と緑)が転用され、その際に屋根や側面部分が改装され、2号車(緑)には推進運転用の前照灯や簡易運転台(主に緊急時用)が設置された。また客車間は棒連結器で連結されているが、機関車と連結する側や推進運転時に先頭になる側には牽引する蒸気機関車の連結器に対応した簡易連結器(7105「義経」では不使用)を装備している。梅小路蒸気機関車館閉館まで使用され、後に解体された。
- なお転用されなかった1両は亀岡市の「保津川ライブスチームクラブ」で保存されている。
- 2代目「SLスチーム号」用客車(オハテ321-1・オハテフ310-1)
- 京都鉄道博物館開業に伴う観光客増加を見越して投入されるSLスチーム号用の新たな客車で、レール運搬貨車からの改造[25]で、初代と違って固有の形式が車体記載されている。
- 改造は三東株式会社で[26][27]、陸送の際に車体を2つに分割していることが確認されている[28]。
- デザインコンセプトは「レトロ」、京都の歴史・優美さと「人が集まって楽しむ」雰囲気の演出という設計思想に基づき、けん引する蒸気機関車と同年代に製造されて活躍していた客車イメージを取り入れ、レトロ感を演出する。
- SL(蒸気機関車)の走行音や煙が間近に感じられる様にするため、セミオープン形式の客車となっているのも特徴で、連結器は種車由来の自動連結器である。7105「義経」と連結可能な簡易連結器に対応しているかは不明。台車は種車由来のTR223Fを装備している[注 6][29]。
- 当初の車体色は「聚楽(じゅらく)ぶどう色」に桜・富士・ウサギといったロゴを全体に散りばめられ、車内には往年の特急車両のヘッドマーク図柄をモチーフとしたデザインをボックス席ごとに配置したものだったが、2024年にマイテ49 2をイメージした塗装(ぶどう色2号に白帯)に変更された[30]。車番も同時に梅小路独自のフォントから国鉄風のフォントに変更されている。
- 京都駅寄り客車は往年の特急列車展望車をイメージし、左側には開放デッキ、右側には速度計や車掌ブレーキ、消火器、車内放送用のマイクなどが搭載された推進運転用の簡易運転台が設けられている。
- この新客車により車体長は18 m、最大幅が2.8 m、最大高が4.6 mになり、着席定員が80席から208席に、車いす定員も2台から4台に大幅に増加した(後部デッキの座席を畳むことで対応)。出入扉も150 mm広く、また使用材料の難燃化と乗務員への非常通報装置の設置がなされている[31][32]。
- 客車同士の連結部には転落防止幌が設置されている(近畿日本鉄道で見られる、いわゆる「イライラ棒」タイプ)。
- 50系客車(オハフ50 68)
- 休憩室として利用されている。塗装や座席は原形のままであるが、車内に家庭用エアコンが設置され、裏側に配管と室外機が設置されている。トイレは使用不可。
- スハ43系客車(オハ46 13)
- 宮原総合運転所に在籍していた客車(2011年〈平成23年〉10月31日車籍抹消)で、2000年(平成12年)ごろにオハフ33 48とともに構内へ搬入。使用目的が不明なままで同機関車館脇の留置線に留め置かれ、時には蒸気機関車と連結したこともあった。
- オハフ33 48は2009年3月14 - 16日の間に解体されたが、当車は2013年(平成25年)に再整備がなされている。車内に入るための立て掛け式階段が設置されているが、車内は非公開で中に入ることはできなかった。
-
初代SLスチーム号用客車
-
2代SLスチーム号客車
(塗装変更前)
-
オハフ50 68
-
オハ46 13
過去の配置車両
交通
いずれも閉館時点(梅小路京都西駅の開業は京都鉄道博物館へのリニューアル後の2019年である)。
京都鉄道博物館へのリニューアル
2009年2月23・24日の複数の報道によれば、交通科学博物館が老朽化し、手狭となっているため本施設を拡張して新しい博物館を建設。車両などの展示品の一部を交通科学博物館から新博物館へ移転し、交通科学博物館については規模を縮小すると報じられていた[33]。そして、JR西日本は2012年12月19日に、2016年春をめどに新しい鉄道博物館を建設する計画を正式に発表した[34][35]。それによると、地上3階建てで延べ床面積18,800平方mの建物を新築し、交通科学博物館から移転する車両も含めて約50両の車両を展示するとしていた。これに伴って交通科学博物館が2014年4月6日に閉館した[36]。そして2013年12月19日に館の名称が「京都鉄道博物館」に決定したとのJR西日本からの公式発表が行なわれた[37][38]。
梅小路蒸気機関車館は、2015年8月30日をもって一旦閉館し、2016年4月29日に併設される新館と合わせて京都鉄道博物館として再発足した[39]。
その他
脚注
注釈
- ^ 当初案での保存形式は8620形・9600形・C11形・C51形・C53形・C56形・C57形・C58形・C59形・C62形・D51形・D52形。
- ^ 運転上の制約などからC59 164・D52 468は梅小路転属後に早い時期から事実上の静態保存となった。
- ^ 日本国有鉄道運輸局車務課「蒸気機関車動態保存計画の全貌」『鉄道ピクトリアル』1972年10月号、電気車研究会、p.17。この文章では詳細は検討中としながらも、「東海道・山陰・福知山・奈良・草津」の各線を使用した5、6のモデルコースに臨時列車か団体臨時列車を運行する構想が紹介されている。
- ^ SL北びわこ号の運行開始は、国鉄分割民営化後の1995年(平成7年)である。
- ^ 1971年(昭和46年)11月に国鉄は記録映画撮影のため全国から蒸気機関車を梅小路区に集めたが、C55 1は撮影終了後も所属機関区に戻ることなくそのまま梅小路区に残存した。
- ^ このことと「レール運搬貨車からの改造」を組み合わせて種車はチキ5200形の5238,5239とする記述もあるが、詳細については不明である。
- ^ C57 1はTBSの特別番組『報道スペシャル列島全中継 国鉄最後の夜』に小郡駅(現・新山口駅)から中継で出演したため、日本テレビが製作した番組には映らなかった。
出典
参考文献
- 『梅小路90年史』西日本旅客鉄道、2004年。ISBN 4-7770-5071-8。
- 関崇博「梅小路蒸気機関車館」『国鉄の車両12 東海道線III』保育社、1984年。ISBN 4-586-53012-X。
- 『鉄道ファン』交友社
- 1968年5月号 No.83 「実現する蒸気機関車の動態保存」
- 1972年12月号 No.140 「梅小路蒸気機関車館」が開館
- 1994年12月号 No.404 特集・梅小路蒸機の現役時代
- 1998年1月号 - 2月号 No.441 - 442 高山禮蔵「梅小路も・の・が・た・り」1・2
関連項目
外部リンク
- 梅小路蒸気機関車館
- 京都鉄道博物館
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