福知山線
福知山線(ふくちやません)は、兵庫県尼崎市の尼崎駅から京都府福知山市の福知山駅に至る西日本旅客鉄道(JR西日本)の鉄道路線(幹線)である。 なお、本項では正式な路線名を示す場合を除いて、東海道本線のうち大阪駅から京都方面は「JR京都線」、尼崎駅から三ノ宮方面については「JR神戸線」の愛称で記述する。 概要大阪と北近畿、さらに山陰地方とを結ぶルートの一つである。大阪駅 - 宝塚駅間では阪急宝塚線の大阪梅田駅 - 宝塚駅間と、大阪駅 - 伊丹駅間では阪急神戸線・阪急伊丹線の梅田駅 - 伊丹駅間と競合関係にある。大阪駅(大阪梅田駅) - 宝塚駅間の所要時間においては、阪急宝塚線より当路線が勝る。同区間の所要時間は快速が最速25分、普通列車が下り30分で[3]、並走する阪急宝塚線の急行(33分[3])より速い。 東海道本線の大阪駅 - 尼崎駅間を含む大阪駅 - 篠山口駅間はアーバンネットワークの路線の一つに数えられており、「JR宝塚線」(ジェイアールたからづかせん)の愛称が付けられている。阪急電鉄にも宝塚線があるため、混同を避けるために愛称に「JR」が付いている。JR西日本が1987年8月に大阪駅 - 新三田駅間の愛称を公募した結果「北阪神線」が1位であったものの、結局「JR宝塚線」が採用された[4]。なお愛称の区間は、地元自治体の要望により、大阪駅 - 篠山口駅間に変更された[4]。 ラインカラーは黄(■)[注釈 1]であり、選定理由は「これからの新しい開発エリアを示すイキイキとしたイメージ」とされている。路線記号は G[5]。 全線を近畿統括本部が管轄している。大阪駅 - 尼崎駅 - 谷川駅間は旅客営業規則の定める大都市近郊区間の「大阪近郊区間」に含まれており、全線がICカード「ICOCA」のサービス供用エリアに含まれている[6][7][8]。 路線データ
沿線概況
路線は篠山口駅を境に南側の都市近郊路線と、北側の地方幹線とに雰囲気が分かれ、日中は普通列車の運転系統も分離されている。篠山口駅以南は複線、以北は単線である。単線区間の全駅で列車交換が可能であり、かつ、駅を通過する場合に高速での運転ができるように一線スルー化されている。複線区間では塚口駅・川西池田駅・宝塚駅・新三田駅・広野駅で列車の待避が可能である。 尼崎駅を出ると、上下線ともにJR神戸線の内側線と外側線の間の線路を走り、ベイコム野球場の手前から陸橋を上りJR神戸線を跨いで産業道路の手前で進路を北に変え、北東に向かいつつ脱線事故の現場で線路はほぼ真北に一直線に進む。なお、JR東西線が開業するまでは、福知山線は上下線ともにJR神戸線の外側線と接続しており、下り線はJR神戸線の外側線よりさらに外側に膨れて南西に進んでからベイコム野球場のそばをかすめて大きく半円を描く形で陸橋を上ってJR神戸線を跨ぎ現在の線路へと続いていたほか、上り線は脱線事故の現場からそのまま直進して南下しJR神戸線の外側線に接続しており、JR東西線開業に合わせて下り線に沿って線路が付け替えられた。旧上り線の跡地は現在、脱線事故の現場となった元分譲マンション、そしてその先は駐車場と道路に転用されている。 塚口駅から猪名寺駅あたりにかけての沿線は工場地帯で、現在も三菱電機などの工場があり、その合間を縫って線路は延びている。ただ、塚口駅の東側にあった森永製菓などの工場は閉鎖され分譲マンションへと変わるなど、住宅街も形成されている[13]。 伊丹駅を過ぎた辺りから猪名川の西側に沿って走るようになり、川西池田駅の手前で線路は西側に進路を変える。そこからは国道176号と阪急宝塚本線とほぼ並行して西側に延びており、阪急電鉄平井車庫の北側を抜けて中山寺駅となる。同駅前は区画整理により宅地化し商業施設もできるなど様変わりした。 そして住宅街の合間を縫って宝塚市のターミナル駅である宝塚駅へと着く。宝塚駅までの区間は1981年までに電化・複線化が行われており、かつてはこの区間のみ黄色塗装の103系が1時間に1本程度運行されていた。 宝塚駅を出ると進路を北に変えるが沿線風景も一変し、延々と南矢代駅までの間は武庫川の上流にほぼ沿う形で線路は続いている。特に生瀬駅から道場駅までの間は険しい峠越えのため、トンネルが断続的に続く区間である。元々はこの区間も武庫川に沿って線路が延びていたが、電化・複線化により1986年8月に線路が付け替えられ現在の形となった。線路の付け替えにより武田尾駅は移転し、西宮名塩ニュータウンへのアクセスターミナル駅として西宮名塩駅が新設され、同駅はのち快速と一部の特急が停車するまでになった。なお、廃線となった旧線跡は、特に生瀬駅から武田尾駅間にかけては整備がなされハイキングコースとして開放されたため、多くの行楽客で賑わっている。道場駅は神戸市北区に所在するが、元々利用客の少ない無人駅である上に他の神戸市内の駅から離れていることなどから、旧国鉄時代から旅客営業規則における「神戸市内」の駅としては扱われていない。 道場駅から先は田園地帯の中を走り抜ける。神戸電鉄との乗り換え駅であり三田市のターミナル駅でもある三田駅は利用客が多く駅周辺は栄えているが、そこを抜けると再び田園地帯となる。 三田駅から丹波大山駅にかけては再び国道176号とほぼ並行する。次の新三田駅は1986年の福知山線全線電化に合わせて開設された駅であり、駅開業当初は同駅までが複線区間であった。現在も同駅を発着とする列車が多数設定されている。また、北摂三田ニュータウンへと延びるバス路線のターミナル駅ともなっているが、駅周辺は長らく市街化調整区域とされていた(現在は市街化区域)ため、ターミナル駅の割には駅前は商業施設は少なく寂しい印象を受ける。 篠山口駅は丹波篠山市のターミナル駅で、かつては同駅から旧篠山線も延びていた。なお、同市の中心部は市役所のある篠山城周辺(旧篠山線篠山駅北側)であり、篠山口駅からは離れている。複線は同駅までで、ここから終点の福知山駅までは単線である。 丹波大山駅を抜けると再び山岳路線となり、篠山川に沿って西側に進路を変え、トンネルも幾つか抜ける。谷川駅からは再び北側に進路を変え、柏原駅からは再度国道176号に沿う形で線路は延び、山間部の合間を縫って東西に走り抜けつつ北上する。途中幾つかトンネルを抜けると目の前に山陰本線が合流し、高架駅である福知山駅へと達する。
運行形態福知山線は尼崎駅が起点であるが、尼崎駅を始発・終着とする列車は無く、全列車が尼崎駅を越えて大阪駅ないしJR京都線 高槻・京都方面、またはJR東西線を経由し片町線(学研都市線)同志社前・木津方面に乗り入れている。福知山駅からは特急列車が山陰本線城崎温泉方面に直通している(京都丹後鉄道宮福線へは臨時での延長運転時のみ)。普通列車(快速列車を含む)は、原則として篠山口駅で運転系統が分かれており、大阪駅 - 福知山駅間を直通する列車は朝晩のみである。 2022年3月12日ダイヤ改正時点での運行概況は、次の通り。 朝ラッシュ時間帯の尼崎方面行きは、大阪行きの快速、JR京都線直通の普通、JR東西線・学研都市線直通の快速・普通が頻発する。普通列車は、かつてはJR京都線直通とJR東西線直通が1:1の割合であったが、現在はJR東西線直通の方が多く設定されている。尼崎駅でJR神戸線からの普通列車に接続する。
定期列車特急→「こうのとり (列車)」も参照
北近畿ビッグXネットワークの一角(「X」の左斜め下の部分が福知山線)としての機能を有し、特急「こうのとり」が運転されている。前身の「北近畿」時代からほぼ1時間に1本運転されていたが、特に2020年以降のコロナ禍で利用率が大幅に減少したことを受けて、一部が週末のみ運転の臨時列車に格下げされたほか、社会情勢により日中と夜間で更に運休が発生することがあるなど以前より運行本数が減らされている[15]。 福知山線内は途中、尼崎駅・宝塚駅・三田駅・篠山口駅・柏原駅・福知山駅に全ての列車が停車するほか、主に平日の朝と夕方以降で西宮名塩駅・新三田駅・相野駅・谷川駅・黒井駅のいずれかにも停車する。 大阪から福知山市・豊岡市などの丹波・但馬地方の各市町や城崎温泉などの観光地への足として、城崎温泉駅発着列車などもある。現在は基本的に3両ないし4両編成で運転されるが、多客時には7両へ編成増強される場合もある。また、大阪駅 - 篠山口駅間では通勤需要があるため、下り19・23号と上り2・4号は平日のみ通年7両で運転されている。 「こうのとり」のうち、一部列車が多客期のみ京都丹後鉄道(2015年3月までは北近畿タンゴ鉄道)天橋立駅へ延長運転を実施している[16][17]が、現在は行われていない。 丹波路快速・快速・区間快速→「丹波路快速」も参照
快速列車は、大阪駅発着系統と、尼崎駅からJR東西線・学研都市線に直通する系統とが運転されている。2000年3月11日のダイヤ改正より登場した丹波路快速は前者にあたる。快速と丹波路快速の停車駅は同じで、尼崎駅・伊丹駅・川西池田駅・中山寺駅・宝塚駅・西宮名塩駅と三田駅からの各駅に停車する。区間快速は、大阪駅発着系統は尼崎駅・伊丹駅と川西池田駅 - 新三田駅・篠山口駅間の各駅に停車し、JR東西線・学研都市直通系統の列車は尼崎駅から各駅に停車する(福知山線内で快速として運転する列車もある)。 快速・丹波路快速は、原則として川西池田駅で普通列車と緩急接続を行うが、早朝と深夜では緩急接続を行わない列車がある。このほか、朝ラッシュ時では一部の大阪行きが宝塚駅または新三田駅でも普通と片接続を行う。区間快速は、大阪駅発着系統のうち大阪行きのみ川西池田駅で普通と緩急接続を行う。
車両は、大阪駅発着系統は223系・225系が、JR東西線・学研都市線直通系統は207系・321系が使用されている。207系・321系は7両編成で、これはJR東西線・学研都市線の一部駅[注釈 7]で7両編成・4ドア対応のホームドアを設置しているのと、大住駅 - 西木津駅は7両編成のみしかホーム長が対応していない都合によるものである。207系・321系は大阪駅発着系統でも日中以外で運用される列車がある。 普通→「京阪神緩行線」も参照
一部の列車を除き、運行区間内の各駅に停車する。大半の列車がJR京都線と直通しており、京都駅・高槻駅 - 大阪駅 - 宝塚駅・新三田駅間および篠山口駅 - 福知山駅間の運行が基本である。快速・丹波路快速が各駅に停車する新三田駅 - 篠山口駅間では朝の数本のみの運行である[注釈 8]。早朝・深夜の一部を除き、川西池田駅で快速・丹波路快速・区間快速(上りのみ)との緩急接続および特急の通過待ちを行うが、日中は下りの区間快速とは緩急接続を行わず、宝塚駅まで先着する。上りの一部は、宝塚駅または新三田駅(当駅始発のみ)でも緩急接続を行う。尼崎駅では一部列車を除きJR神戸線 - JR東西線間直通の普通と同一ホームで接続する。 朝ラッシュ時は塚口始発でJR東西線に直通する系統が設定されている。日中は大阪駅 - 宝塚駅間で1時間に4本運転されている。2002年10月5日のダイヤ改正前は日中以降は高槻発・京都行きとの組み合わせであったが、この改正で15分間隔運転時間帯は高槻駅発着に統一された。土曜・休日ダイヤでは朝に京都駅発着の列車が運転されており、夜の20分間隔運転時間帯は21時から始まる。 夜19時台には篠山口発高槻行きが1本運転されていたが、2018年3月17日のダイヤ改正により廃止された。 朝晩にはJR東西線・学研都市線に直通する列車も設定されている。JR東西線・学研都市線との直通列車は時間帯によって上りは尼崎駅で、下りは京橋駅で区間快速に種別変更(別列車扱い)を行う列車もある。土曜・休日の朝には学研都市線・木津経由の奈良発宝塚行き(京橋駅まで区間快速)が1本ある。 JR京都線に直通しない大阪駅発着の普通も朝や上り最終列車として深夜に運転されている。この列車は尼崎駅 - 大阪駅間で外側線を走行し、塚本駅は通過(上り最終列車の大阪行き1本は除く)する。大阪駅 - 福知山駅間を直通する普通も朝に数本設定されているが、大阪発福知山行きの片道のみの運行である。福知山発の普通列車はすべて篠山口行きでの運転で、丹波路快速のみが大阪駅まで直通する。 車両はほとんどが207系・321系の7両編成であるが、朝の大阪発福知山行きは223系・225系の4両編成で運行される。 JR東西線開業前は大部分が大阪駅発着の列車で、朝ラッシュ時のみ新大阪行きと吹田発の設定があった。また、昼間でも113系や117系も普通列車に充当されていた。JR東西線が開業した1997年3月8日に吹田発は高槻発に変更された。同年8月31日まで全ての普通列車が塚本駅を通過していた(大阪駅 - 尼崎駅間は外側線を走行していたことなどが理由。現在も朝の大阪駅発着は外側線を走行しているため塚本駅は通過している)が、翌9月1日からは、尼崎駅発着だったJR京都線の普通と当路線のJR東西線直通ではない普通を統合して京都・高槻方面 - 新三田方面直通としたため、前述の一部列車を除き塚本駅にも停車するようになった。 2020年3月14日のダイヤ改正より、日中の普通は(JR京都線 - )大阪駅 - 宝塚駅間に短縮した(宝塚駅 - 新三田駅間は区間快速が代替)[20]。 篠山口駅 - 福知山駅間で運転される普通は、1時間に1本程度運転されている。早朝の篠山口駅発福知山駅行きを除いて篠山口駅で大阪方面との快速列車・普通列車と接続しており、うち日中は223系5500番台の2両編成でワンマン運転を行っている。同区間は最大6両編成が乗り入れ可能なため、朝晩は大阪方面との直通運転を原則としており車掌が乗務している列車がほとんどであるが、2両編成でも車掌が乗務している列車もある。2014年3月15日の改正で、大阪発22時台の丹波路快速が福知山行きから篠山口行きに見直されたことに伴い、篠山口発0時台の普通福知山行きが設定されたが[21]、2018年3月17日のダイヤ改正で廃止された[22]。 臨時列車特急国鉄からJRとなって以降は、冬のカニのシーズンを迎える11月から3月にかけて、臨時特急「味めぐり北近畿」(1998年以前)[23]・「かにカニ北近畿」(1999年以降)[24]が運転されていた(「こうのとり」の項目も参照)。 2020年以降のコロナ禍による旅客減少の影響で、2021年3月13日のダイヤ改正で「こうのとり」の一部が臨時列車化され、土曜・日曜・祝日を中心に新大阪駅 - 福知山駅間に7号・16号の1往復、新大阪駅 - 城崎温泉駅間に13号・26号の1往復が運転される。 快速国鉄時代から、篠山の祭礼に合わせた臨時快速(「デカンショ祭り号」)などが多く設定されていた。しかし、現在は定期列車の充実もあり、臨時列車の設定はほぼ無くなった。 現在は、毎年3月に行われている朝日放送テレビ主催の篠山ABCマラソン大会に合わせた大阪発篠山口行き臨時快速「篠山ABCマラソン号」が1本設定される程度である[25]。「篠山ABCマラソン号」の停車駅は、新三田駅までは通常の快速と同一であるが、新三田駅 - 篠山口駅間の各駅は旧速達快速が停車していた相野駅も含めて通過する[26]。 女性専用車
大阪駅 - 篠山口駅間では、平日・休日の区別無く毎日、始発から終電まで、207系の大阪側から3両目および321系では5号車に女性専用車が設定されている。乗車位置には女性専用車の案内が表示されている。ただし、ダイヤが乱れた際は女性専用車の設定が解除される場合がある。 JR宝塚線では2002年12月2日から女性専用車を導入し、始発から9時00分と17時00分から21時00分まで設定されていた[27][28]。さらに2011年4月18日からは、平日・休日にかかわらず毎日、始発から終電まで女性専用車が設定されるようになった[29]。 過去の列車優等列車→福知山線経由の優等列車の沿革については「こうのとり (列車) § 福知山線優等列車沿革」を参照
かつて福知山線には大阪駅と京都府舞鶴市や山陰各都市とを結ぶ幹線として長距離の優等列車が多数運転されていた。しかし、国鉄末期の1986年11月1日に山陰本線城崎駅(現在の城崎温泉駅)まで電化されたことにより、優等列車はほぼ全てが電車化・特急化された上に、運転区間は城崎駅までに短縮され、福知山線経由での山陰方面への昼行の直通列車は廃止された。その後、電車特急の一部を気動車に置き換えて直通列車を復活させたが、後に米子・出雲市方面へは新幹線・伯備線経由が、鳥取・倉吉方面へは智頭急行経由がそれぞれ主要経路に変わった上に、車両老朽化もあり、長距離列車は再び姿を消した。2004年10月16日に急行「だいせん」が廃止されたことにより、福知山線経由での夜行列車は運転されなくなった。 このほかに福知山線では、北近畿タンゴ鉄道(現在の京都丹後鉄道)へ乗り入れる「文殊」や「タンゴエクスプローラー」が運転されていたが、2011年3月12日のダイヤ改正により福知山線経由の特急は全て「北近畿」から改称された「こうのとり」に統一され、福知山線経由で北近畿タンゴ鉄道へ直通する列車は全廃された[30]。 ほくせつライナー通勤客向けの座席定員制の列車(ホームライナー)として1988年3月13日から2002年10月4日まで、大阪駅 - 篠山口駅間でほくせつライナーが1往復運転されていた[31]。篠山口行きは夕方に、大阪行きは朝ラッシュ時に運転された。ほくせつライナーには183系電車のほか、一時期大阪行きのみキハ58系・キハ65形気動車による運用もあった。ほくせつライナー廃止後は特急「北近畿(現・こうのとり)」の増発で代替している。
快速列車全線電化される前の国鉄時代にも、快速列車が1日に数本設定されていた。国鉄末期の1983年頃のダイヤでは、大阪駅 - 篠山口駅間に尼崎駅・伊丹駅・宝塚駅・武田尾駅・三田駅・広野駅・相野駅・古市駅を停車駅とする気動車による快速列車が1日2往復のみ設定されていたが、快速列車はのちに、各駅に停車する区間が三田駅 - 篠山口駅間、宝塚駅 - 篠山口駅間と次第に延びて停車駅が増加していき、1986年11月1日の全線電化で全列車が電車に統一されたことにより普通列車のスピードアップが図られたため、最終的に廃止された。のち、快速列車の設定を要望する声が多数寄せられたこともあり、民営化後の1989年3月11日のダイヤ改正より現在に繋がる快速列車が新たに設定された。設定当初の停車駅は、国鉄時代とは異なり、尼崎駅・伊丹駅・川西池田駅・宝塚駅と三田駅以遠の各駅であった。1997年3月8日改正では、207系電車を使用した広野駅・藍本駅・草野駅・古市駅・南矢代駅を通過する速達タイプの快速も設定され、大阪発篠山口行きのみ毎日夕方に4本(1時間に1本)運転されていた[33]が、2003年12月1日のダイヤ改正で廃止され、三田 - 篠山口間各駅停車の快速列車(木津発JR東西線直通)に格下げされた。2020年3月14日のダイヤ改正で日中は快速・丹波路快速が区間快速に格下げされたため、現在の日中は事実上旧国鉄末期の快速列車とほぼ同じ停車駅となっている。 大晦日終夜運転沿線には中山寺など初詣に訪れる参拝者の比較的多い社寺があるため、大晦日深夜から元旦にかけて、福知山線では尼崎駅 - 宝塚駅間(運転区間は学研都市線四条畷駅 - (JR東西線) - 宝塚駅間)において、普通列車のみ約30〜60分間隔で終夜運転が実施されていた[34]。なお、かつては宝塚駅 - 新三田駅間でも終夜運転が行われていたが、2011年度以降は宝塚発新三田ゆき臨時列車1本のみの運転に変更され[35]、さらに臨時列車の運転も取り止められ、2019年度からは全区間とも終夜運転が取り止められた[36]。なお、競合する阪急電鉄では2019年度まで宝塚本線及び今津線ともに終夜運転を実施していたが、2020年度以降は福知山線同様に終夜運転を実施していない。 阪神・淡路大震災時の迂回路として1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災ではJR神戸線が寸断され、復旧には時間を要する見込みとなった。よって、その迂回ルートで最も重要な線区として、最優先で福知山線の復旧作業が行われた。福知山線では川西池田駅 - 中山寺駅間の被害が大きく、地震発生の1月17日には広野駅 - 福知山駅間が開通し、その後順次運転を再開した。 輸送力の確保のため運転開始直後から臨時列車が運転され、5時30分から21時まで、1時間につき1本か2本の臨時列車を最大42本運転し、特急「北近畿」の増結も行われた。大阪駅を発着としていた特急列車は、東海道新幹線との接続のため3往復を新大阪駅発着で運転し、このほかに「北近畿」15号は福知山駅 → 和田山駅間で延長運転し、播但線との接続を改善した。またJR神戸線が全通した4月1日以降も4月17日まで、新大阪駅延長運転が2往復、和田山駅延長運転が行われた。 JR神戸線で運行されていた貨物列車の迂回運転も行われた。しかし、福知山線や山陰本線の和田山駅 - 湖山駅間では貨物列車が運転されなくなっていたため、重い貨物列車を毎日運転するには問題があり、乗務員の養成や設備の一部改良の必要性があったが、福知山線・山陰本線・伯備線を経由して2月11日から迂回運転が開始された[37]。貨物列車が運転されていなかった区間の迂回貨物列車の乗務は、JR西日本が担当した[38]。また、ダイヤ改正にあわせた新製車両の甲種鉄道車両輸送も3月14日から8本、特大貨物2本が迂回運転された。
使用車両現在の使用車両2011年3月12日以降は電車のみが運転されている。篠山口駅 - 福知山駅間の快速・普通列車は、全列車が転換クロスシート車両で運転されている。 特急列車
快速・普通列車
過去の使用車両国鉄時代末期の1986年11月1日に全線電化開業したが、1981年4月1日の尼崎駅 - 宝塚駅間電化の際には、103系として新車の導入がなされたものの、逆に残る宝塚駅 - 福知山駅 - 山陰本線城崎駅(現・城崎温泉駅)間電化の際に新車は全く導入されず、既存の113系を寒冷地向けに改造した800番台の導入等で賄った。なお、全線電化時の当初の計画では、475・457系電車(主に九州地区からの転用)で賄う予定だった。 電車
気動車
客車
機関車
また無煙化以前には といった蒸気機関車が使用された。
計画のみに終わった車両
輸送改善1970年から兵庫県三田市と神戸市北部に位置している神戸三田国際公園都市・北摂三田ニュータウンの開発が始まり、ニュータウンへの入居が始まった1981年頃から三田市の人口が増加した。特に1987年から1996年まで、人口の実質増加率は10年連続で日本一を記録した[46]。 福知山線では輸送力増強のため、非電化区間であった宝塚駅 - 福知山駅間の電化による全区間電車運転と一部区間の複線化の実施が決定した。しかし当時は、生瀬駅 - 三田駅間の山間部においては武庫川渓谷に沿って敷設されており[14]、複線化が困難であったため、生瀬駅 - 道場駅間はトンネルを経由する複線の新線を建設して、約1.8 km短縮する計画が立案された。 これは、1972年6月、福知山線沿線9市(大阪市・尼崎市・伊丹市・川西市・池田市・宝塚市・西宮市・神戸市・三田市)による「国鉄福知山線複線・電化促進期成同盟会」からの要望を受けて、宝塚 - 三田間の輸送力増強計画を審議する「研究会」が、兵庫県・宝塚市・西宮市・神戸市・三田市および国鉄の六者によって発足した。この研究会は1973年にかけて、(1)現在線の腹付線増による複線電化は、武庫川河谷の地形条件(特に生瀬 - 武田尾)からして困難であること、(2)名塩 - 山口ルートは、別線建設が可能であること、(3)ニュータウン(北摂ニュータウン・北神ニュータウン)への鉄道乗り入れが考慮されるべきこと、の3つの条件をもとに、(A)生瀬 - 名塩 - 道場 - 三田 - 広野、(B)生瀬 - 名塩 - (東久保) - 山口 - 三田 - 広野、(C)生瀬 - 名塩 - (東久保) - 山口 - (北摂ニュータウン・北神ニュータウン) - 広野の3案が出された。採算を重視する国鉄は、東久保における険坂があるにせよ、電化すれば運行への影響は少なく、山口・名塩の集落・ニュータウンに加えて北摂ニュータウン・北神ニュータウンを経由する(C)案を望んでいたが、武田尾駅の廃止を憂う宝塚市と、市の玄関口の衰退を案じる三田市によって、反対運動が起きた。2年あまりに及ぶ紆余曲折を経て、西宮市の山口地域を犠牲にすれば、他の名塩・武田尾・三田のいずれも経由する生瀬 - 名塩 - 武田尾 - 道場 - 三田 - 広野が最終案となった。国鉄は採算重視よりも関係市域での意見調整を重視する立場から、路線決定は兵庫県に任せるという態度をとっており、福知山線の新線切り替えは兵庫県による最終案に沿う形となった[47]。 まず、1986年8月1日より新線切り替えと宝塚駅 - 三田駅間の複線化が行われた[48]。次いで同年10月15日より三田駅 - 新三田駅(この時点では開業前)が複線化された[49]。翌11月1日に行われた国鉄最後のダイヤ改正(1986年11月1日国鉄ダイヤ改正)から全面的に電車で営業を開始した[50]。同時に、生瀬駅 - 武田尾駅間には西宮名塩ニュータウンの開発に併せて西宮名塩駅が、三田駅 - 広野駅間にはウッディタウンの玄関口として新三田駅が開業し、特急「北近畿」の運転開始に加え、113系2両編成を主体として普通が日中時間帯で1時間当たり3本(大阪駅 - 福知山駅間1本、大阪駅 - 新三田駅間2本)に増発された[50]。国鉄分割民営化後の1989年より快速が運転を開始した(快速の区間は現在と同じく、大阪駅 - 三田駅間のみ)。この時点で日中は特急0 - 1本、快速2本、普通4本の現在とほぼ変わらないダイヤになった。 1997年には新三田駅 - 篠山口駅間の複線化が完成し[51]、JR東西線が開業したことにより、同線経由で学研都市線との直通運転が開始された[52]。 なお、生瀬駅北西から武田尾駅北東にかけての廃線敷は、地面に半ば埋まった枕木が残り、2016年11月から渓谷沿いのハイキングコースとして一般開放されている[53](「旧国鉄福知山線廃線跡」も参照)。 利用状況2019年度1日平均の乗車人員は、宝塚駅が約2万9千人と福知山線で最も利用者が多く、次いで伊丹駅が約2万5千人、川西池田駅が約1万9千人である[54]。ただし三田市内から利用する場合の中心となる駅は三田駅・新三田駅に二分されていることから、両駅を足せば約3万2千人となり、福知山線で最も利用者が多くなる。アーバンネットワーク内でも新三田駅以北では利用者数が少なくなり、7駅合計で約1万人に留まる。JR西日本発足時に1日の運転本数が100本足らずだった福知山線は、JR東西線開業以降は1日360本を超えるダイヤの都市近郊路線へと変化していった。 大阪駅・北新地駅 - 宝塚駅間の利用は特定区間運賃が適用されるが、電車特定区間に含まれないため、これ以外の区間と跨って利用すると幹線運賃が適用され、運賃が高くなるのが特徴である。 篠山口駅以北の複線化と現状丹波市は、篠山口駅 - 福知山駅間の単線区間の複線化をJR西日本に要望している[55]。また丹波市は団体利用への運賃補助を行い[56]、兵庫県も特急列車の料金補助を行う社会実験を実施していた[57]。そして兵庫県は「乗って 近づく 複線化」などと呼びかけている[58]。だが、2003年度の1日の乗車人員はこの区間の丹波大山駅から丹波竹田駅までの8駅を合わせても約3,600人であり、篠山口駅以北では少子化に伴う通学利用の減少やモータリーゼーションの浸透もあって減少傾向にある。 平均通過人員各年度の平均通過人員(人/日)は以下のとおりである。
歴史国有化以前福知山線の発祥は、川辺馬車鉄道が1891年に開業させた尼ヶ崎駅(後の尼崎港駅) - 伊丹駅間の馬車鉄道である。後に摂津鉄道と改称して1893年に馬車鉄道を蒸気動力の軽便鉄道に改築し尼ヶ崎駅 - 池田駅(現在の川西池田駅)間を開業させた。当時の池田駅は呉服橋西詰付近にあった。 摂津鉄道の路線は、大阪から舞鶴までの鉄道を計画していた阪鶴鉄道に譲渡され、軌間1067 mmに改軌した上で宝塚駅まで開業。以後順次延伸されて、1899年には福知山南口駅(内田町付近)まで開通した。 1904年に軍部からの要請で、対ロシア戦略の軍用鉄道として舞鶴鎮守府までの開通を急がされた福知山駅 - 綾部駅 - 新舞鶴駅(現在の東舞鶴駅)間が官設で開通。阪鶴鉄道も現在の福知山駅(天田)まで延伸し、福知山駅 - 新舞鶴駅間の貸与を受けて、大阪と舞鶴を結ぶ鉄道が完成した。 国鉄時代阪鶴鉄道は1907年に国有化され、官設区間と併せて阪鶴線と呼ばれていたが、山陰本線の京都駅 - 出雲今市駅(現在の出雲市駅)間が1912年に開通したのを機に、神崎駅(現在の尼崎駅) - 福知山駅間、塚口駅 - 尼ヶ崎駅間が福知山線と改称された。 大阪と山陰方面を結ぶ亜幹線とされ、かつてはC54形蒸気機関車やDD54形ディーゼル機関車が配属されていたほか、特急「まつかぜ」が福知山線経由で1961年から設定されていたが、1980年代前半までは腕木式信号機が現存していたほどで線路改良や電化などの近代化は中々行われなかった。特に1972年に新設された特急「はまかぜ」に至っては時間短縮を理由に播但線経由に変更されてしまうなど、亜幹線として機能しているとは言い難い状況であった。だが、1970年代後半からようやく設備面は近代化が進められ、1979年 - 1980年にかけて塚口駅 - 宝塚駅間が順次複線化され、翌1981年に尼崎駅 - 宝塚駅間の電化が完了したほか、列車集中制御装置 (CTC) も導入された。 一方、設備は近代化されたものの、普通列車は永らくDD54形やDD51形ディーゼル機関車牽引による旧形客車が使用され続けるなど、車両は依然として旧形車両が主力であった[注釈 9]。そのため車両の冷房化も遅れ、競合相手である阪急とはサービス面で大きく見劣りした[注釈 10]ことや、度重なる国鉄の運賃値上げによる運賃格差もあって太刀打ちできず、当線に登場した冷房付きの103系も当初の6両編成から後に4両編成に減車されたほどであった。なお、大阪駅発着の客車列車に関しては、乗客のデッキからの転落事故が発生したこともあり、1985年3月のダイヤ改正で冷房・自動扉を装備した12系客車に置き換えられて近代化された。また、神戸方面へも当時は神戸電鉄経由(当時は北神急行が開業していなかったので神戸電鉄有馬線の鈴蘭台駅・新開地駅経由)での所要時間とは大差なく、やはり本数は福知山線の方が相当少なかった。 このほか、国鉄末期に全線電化されるまでは、列車別改札を宝塚駅や伊丹駅など主要駅で行っていた。これは、大都市近郊の路線で比較的遅い時期まで列車別改札を行っていた例であり、宝塚駅では橋上駅舎化される前の駅舎内には乗客の待機用に多数のベンチが置かれていたほどであった(列車別改札廃止とともにベンチは撤去)。 福知山線にとって画期的な変化は、1986年の宝塚駅 - 新三田駅間の複線化、福知山駅までの全線電化の完成である[70]。それまで山間部を武庫川渓谷に沿って走っていたため[14]、複線化が困難であった生瀬駅 - 道場駅間をトンネルの連続する複線の新線に切り替え、新たに西宮名塩駅を設置し、三田駅 - 広野駅間には新興住宅地の玄関として新三田駅を設置した(「輸送改善」の節も参照)[48][50]。そして国鉄最後のダイヤ改正である1986年11月1日から全面的に電車で営業を開始し、特急「北近畿」の運転が開始された[50]。 一方、福知山線最初の開業区間でもあった塚口駅 - 尼崎港駅間の通称尼崎港線が、1981年に旅客営業を廃止した後、1984年に完全に廃止された。同線は1898年に東海道本線の尼崎駅への連絡線を設けて大阪方面との直通運転を開始後は、塚口駅 - 尼崎港駅間の貨物主体の盲腸線となっていた。晩年の旅客列車の本数は1日2往復で混合列車であった。 民営化以降は下記の年表を参照のこと。 年表国有化以前
国鉄時代
民営化以降
伊丹駅からの空港アクセス構想1989年に大阪国際空港(伊丹空港)に近いJR伊丹駅から伊丹空港までの路線を建設する構想として、福知山線分岐線構想が計画された。その後、1995年に発生した阪神・淡路大震災により、航空機での輸送の重要性が改めて認識され、空港へのアクセス整備が必要であるとして「阪神・淡路復興計画」の中に盛り込まれた[109]。さらにこの計画は「ひょうご21世紀交通ビジョン」の中に盛り込まれた[110]。 1995年に国・兵庫県・大阪府・JR西日本や伊丹市などで構成される「福知山線分岐線研究会」を設置し、事業予測・路線計画・整備手法や採算などについて詳細な調査を行い、2007年に兵庫県が空港とJR伊丹駅を結ぶライトレール (LRT) の導入を検討すると発表しており、2010年に事業を完成させるとしていたものの計画は進んでおらず、伊丹市では当面の対策として、市バスを活用した空港アクセスを行っている。 この構想に対応するため、伊丹駅は2面4線に拡張可能な構造になっているが、拡張用に確保した土地は現在では駐輪場など他用途に使用されている。 駅一覧
中山寺駅 - 宝塚駅間[113]、丹波竹田駅 - 福知山駅間に新駅を設置する構想がある[114][115]。かつては、黒井駅 - 市島駅間に「春日部」駅が設置される計画もあった[116]。 下記以外の駅はJR西日本の直営駅である(2022年3月時点)。
廃止区間(尼崎港線)
廃駅・廃止信号場#廃止区間(尼崎港線)が廃止になったことによる廃駅を除く。
過去の接続路線名称などは廃止時点のもの。
脚注注釈
出典
参考文献
関連項目
外部リンク |