大阪環状線
大阪環状線(おおさかかんじょうせん、英: Osaka Loop Line)は、大阪府大阪市内の天王寺駅 - 京橋駅 - 大阪駅 - 西九条駅 - 新今宮駅間を結ぶ西日本旅客鉄道(JR西日本)の鉄道路線(幹線)である。 「大阪環状線」の呼称が指す区間は典拠や目的により、次のように使い分けられている。
以下、特記がない限りは 1. (運行系統としては3.)に従って記述する。なお、大阪をはじめとする近畿圏においては、当路線を単に「環状線」と呼称する場合も多く、本項でも一部でそのように表記している。 概要大阪環状線は、大阪市の都心部外周を環状運転している環状線であり、JR西日本のアーバンネットワークの中心路線として機能している。ラインカラーは赤(■)で、大阪のダイナミズムをイメージしている。駅ナンバリングで使われる路線記号はO[7]。当路線で運行された101系・103系・201系電車の車体色はオレンジバーミリオン(■ 朱色1号)で、現用車両の323系電車でもドア横のアクセントカラーや黒とともに帯色で使用されている。 多くの駅で各方面へのJR・私鉄各線および都心部を走る大阪市高速電気軌道 (Osaka Metro) の地下鉄各路線と連絡している。また、大阪環状線では線内で環状運転や区間運転を行なっている普通列車以外に、大和路線(関西本線)と阪和線、JRゆめ咲線(桜島線)、JR京都線(東海道本線)といったJR他路線と直通運転している普通列車や快速列車、及び特急列車が走行する。 大阪環状線は、南側の関西本線の一部区間、関西本線と東海道本線を連絡する東側の城東線、安治川の右岸を走る北西側の西成線の一部区間、南西側の関西本線貨物支線の一部区間を、第二次世界大戦後の高度経済成長期に西側の未成区間に新線を造って接続したものである。発足時の大阪市域のほぼ全域を取り囲んでおり、大阪環状線の内側を横断・縦断する地上路線は存在しないものの、地上区間により大阪環状線の内側に入り込む路線は9路線(天王寺駅阪和線ホームを含めると10路線)ある。地下路線ではOsaka Metro(旧大阪市営地下鉄)線が従来から大阪環状線の内側を横断・縦断しているが、地下鉄以外でもJR・私鉄ともに地下区間により横断・縦断路線を建設する計画が何度か立てられ、2009年までにJRではJR東西線、私鉄では阪神なんば線・近鉄奈良線(難波線・大阪線)の西九条駅 - 鶴橋駅間[† 4]の2つの横断路線が実現しているほか、2031年度には縦断路線のなにわ筋線(JR西日本、南海電鉄)が開通する予定となっている。 堂島・中之島・船場(本町など)・島之内(心斎橋など)といった都心部(旧来の中心市街)およびミナミの玄関口である難波が大阪環状線の内側に位置するため、前述の通り元私鉄を含む多数の路線が大阪環状線の内側に入り込んでいる。加えて新幹線接続駅がないため[† 5]、新大阪駅 - 梅田駅(大阪駅直下) - 難波駅 - 天王寺駅間を直線的に通るOsaka Metro御堂筋線が市内交通の大動脈として都心部への移動の主力を担い、大阪環状線や他のOsaka Metro各線および大阪シティバスがそれを補完する形になっている。これらは他路線との直通列車が存在することとともに、同じく環状運転を行なっている東京の山手線と大きく異なる点である。 南側と東側は特に都心部から離れて敷設されたため、南海、京阪、近鉄(かつての大軌)がそれぞれ大阪環状線の内側に難波駅、天満橋駅、大阪上本町駅を構えた一方、比較的都心部に近接して敷設された北側では阪神、阪急とも大阪駅付近に大阪梅田駅 (阪神)、大阪梅田駅 (阪急)を構え、南側でも後発の近鉄(かつての大鉄)が天王寺駅付近に大阪阿部野橋駅を構えた経緯から、梅田、天王寺・阿倍野の副都心が形成された。大阪駅一帯の梅田は大規模な再開発の進展によって旧来の中心市街の相対的な地位を低下させるまでに発展している。また、河川が集中して土地の制約が大きかった京橋駅の周辺も大阪ビジネスパーク(OBP)と一体となった副都心が形成されている。 また、東側の大阪駅 - 京橋駅 - 天王寺駅間では、全列車が各駅に停車するのに対し、西側の大阪駅 - 西九条駅 - 天王寺駅間では、特急や快速は大阪環状線内で通過運転を行っているため、日中時間帯では特急・快速が全て停車する駅に1時間に15本が停車する一方で、特急や快速が通過する野田駅、芦原橋駅と今宮駅は1時間に4本しか停車する列車がない。これも日中は各駅とも1時間12本以上が停車する山手線と異なる点である。 路線の大半は高架であるが、天王寺駅付近と大阪城公園駅付近だけは地平を走っている。故にこの2駅だけは地上駅となっている。ただし、天王寺駅は掘割式の地下駅に分類される場合もある。また内回り線の新今宮駅 - 天王寺駅間には大阪環状線で最後まで[† 6]残った踏切である一ツ家踏切があった。 大阪都心部を走る路線でありながら、他の私鉄・地下鉄線と直接競合していないこともあり、2013年に「大阪環状線改造プロジェクト」が開始されるまでは環状運転の大半の普通列車が国鉄時代の車両で占められ、新車導入や駅の美装化といった設備投資が、私鉄と競合し看板列車の新快速が運転されているJR神戸線やJR京都線などの主要路線と比べるとかなり遅れた。 JR線で唯一、全列車が掲載されている紙の時刻表が存在しない路線である(他路線に直通する列車の時刻はすべて掲載されている)。ただし、八峰出版がかつて発行していた『KATT 関西圏JR線私鉄線時刻表』では大阪環状線が特集として、また『携帯全国時刻表』特別付録として2017年4月号に別冊付録として大阪環状線の快速も含む全列車の時刻が掲載された。なお、『携帯全国時刻表』2018年4月号にも別冊付録で大阪環状線全列車時刻表(こちらは特急列車も含む)が掲載された。 全線が旅客営業規則の定める大都市近郊区間の「大阪近郊区間」、電車特定区間、およびIC乗車カード「ICOCA」エリアに含まれており、JR西日本近畿統括本部の管轄である。 なお、平均駅間距離は1.15 km(新今宮駅 - 天王寺駅間を含む場合は約1.14 km)で、JR西日本管内の路線では最も短い[† 7]。 路線データ
沿線概況
以下に示す記述はすべて内回り(反時計回り、左回り)の沿線概況であり、外回り(時計回り、右回り)の場合は風景の順番が逆で、大阪駅の発着ホームも2番のりばとなる。 天王寺駅は関西本線・阪和線が分岐しているほか、近鉄南大阪線、Osaka Metro御堂筋線・谷町線、阪堺電気軌道上町線との接続駅で、天王寺は南大阪の玄関口であるとともに、ミナミ・キタなどと並ぶ大阪市の都市核の一つである。駅周辺には天王寺ミオやあべのキューズモール、日本一の高さ300 mの駅ビルあべのハルカス(あべのハルカス近鉄本店)などの商業施設が多く、JR西日本の駅別乗車人員数では第3位である[10]。 天王寺駅を出ると左にカーブして、天王寺駅の北側にある阪和線をくぐって北上する。寺田町駅を出て桃谷駅に向かう間は、マンションの立ち並ぶ天王寺区、下町情緒豊かな生野区を分けるように高架の線路を北上し、鶴橋駅に到着する。近鉄大阪線・奈良線、Osaka Metro千日前線との接続駅で、ホームには近鉄との連絡改札口があり、乗り換え客も非常に多い。駅前は在日コリアンによって造られたコリア・タウンが中核を担っている。周辺に焼肉店や朝鮮料理店が多く、駅周辺の賑わいは環境省のかおり風景100選にも選ばれている[11]。 鶴橋駅からは引き続き住宅街を北上し、玉造駅を過ぎると今度は京セラドキュメントソリューションズや森下仁丹、サクラクレパスなどの本社建物が立ち並ぶ区域を通り、Osaka Metro中央線・長堀鶴見緑地線との連絡駅、森ノ宮駅に至る。森ノ宮駅を過ぎると左手に大阪城がある大阪城公園、右手に吹田総合車両所森ノ宮支所やOsaka Metroの森之宮検車場が見える。線路は高架から地上へ下り大阪城公園駅に着く。さらに進むと同支所の入出区線が右手から接近し、左手に多数のビル群が林立する大阪ビジネスパークを過ぎると京橋駅に着く。京橋駅には 片町線(学研都市線)・JR東西線と京阪本線のほか、Osaka Metro長堀鶴見緑地線が乗り入れ、飲食店街や歓楽街も発展していることから、「キタ」「ミナミ」に対して「ヒガシ」と呼ばれることもある。 京橋駅を出ると正面にはかつての淀川電車区・淀川駅に至る連絡線があった空き地が広がるが、大阪環状線は左にカーブする。桜の名所、桜ノ宮駅を過ぎ、旧淀川(大川)を渡って右にカーブすると、阪神高速12号守口線をくぐり大阪環状線の最も北に位置する天満駅と続く。天満駅を出てすぐ天神橋筋商店街を高架で跨ぎ、住宅街やビルの合間をかいくぐって行き、右手から東海道本線(JR京都線)が合流してくると大阪駅に着く。 大阪駅では最も南側(サウスゲートビルディング寄り)の1番のりばから発車する。大阪駅を出ると、東海道本線(JR神戸線・JR宝塚線)と並走し、やがて東海道本線は右に分かれていく。大阪環状線はそのまま直進して福島駅に着く。福島駅付近で東海道本線貨物支線が合流しているが、貨物線は地平線を走り、福島駅を出ると右手から貨物線が地平線から高架橋へ上ってくる。阪神本線を越えると、野田駅である。野田駅からはかつて、大阪環状線の北側から高架を下って直進方向に進んで三菱製紙などに至る専用鉄道と、大阪環状線をくぐって大阪市中央卸売市場本場にあった大阪市場駅へと至る貨物支線(1984年〈昭和59年〉2月1日廃止)が分岐しており、野田駅ホームからはその地上への分岐部の跡が確認できる。現在は、専用鉄道の線路跡には住宅などが建っており当時を偲ばせるものはないが、大阪市場駅への貨物支線跡は遊歩道として整備されている。 続く西九条駅は島式2面5線であるが、このうちホームがあるのは内側の3線のみである。桜島線(JRゆめ咲線)・梅田貨物線が分岐しており、大阪方面から桜島線に乗り入れているほか、梅田貨物線を経由して新大阪方面から特急列車も大阪環状線に直通している。西九条駅の真上に位置している阪神なんば線をくぐり、内・外回り線に挟まれて桜島線が地平に降りて西進して分かれていく。安治川を渡って大きく左にカーブすると、右手から阪神高速17号西大阪線・国道43号が寄り添い始め、ORC200などの高層ビルが建ち並ぶ弁天町駅に着く。弁天町駅は大阪環状線の最も西部に位置しており、Osaka Metro中央線との接続駅で、大阪ベイエリアの入口に当たる。高架下にはかつて交通科学博物館があり、内回りホームからは保存車両の一部を見ることができた。駅前は中央大通と国道43号が交差して車の交通量も多く、大阪環状線と直角に阪神高速16号大阪港線が交差している。 弁天町駅を出て一度左にカーブして東に向くと内回り・外回りの間に空き地があるが、これがかつての境川信号場跡で、大阪臨港線が分岐していた。正面から左手に京セラドーム大阪とガスタンクのモニュメントのある大阪ガスのドームシティ(岩崎地区)が見えると、その最寄り駅である大正駅に着く。大正駅はOsaka Metro長堀鶴見緑地線との連絡駅であるとともに大正区の最北端に位置しており、鉄軌道網がない同区内の大阪環状線以南の各方面に多数の大阪シティバスが運行されており、ラッシュ時には急行バスも運行されている[12]。 大正駅の先で南海汐見橋線と交差すると芦原橋駅・今宮駅と続く。今宮駅は関西本線(大和路線)を越えるために内回り線のホームは3階となっているが、外回り線はその必要がないため2階にホームがあり、関西本線の下り線と同一ホームで乗り換えることができる。なお、1997年までは今宮駅には大阪環状線のホームがなく、当時地上にあった関西本線の両側の築堤上を内回り・外回りに分かれて走行していた。 新今宮駅は南海本線・高野線、Osaka Metro御堂筋線・堺筋線および、阪堺線との接続駅である。島式2面4線のうち、外側2線を大阪環状線の列車が、内側2線を関西本線および大阪環状線と直通運転する列車が使用している。新今宮駅を出ると、左手に通天閣や大阪市天王寺動物園といった主要ランドマークが立ち並び、天王寺駅に着く。この間、外回り線は高架橋で関西本線を越えるが、2012年6月まで、この交点付近に大阪環状線で最後の踏切となる一ツ家踏切があった[† 6]。その踏切跡付近から天王寺駅にかけては、1993年に廃止された南海天王寺支線の廃線跡が南側に並行して残っている。
一ツ家踏切新今宮駅 - 天王寺駅間にあった一ツ家踏切は、大阪環状線に最後まで残った踏切で、内回り線(外回り線の同区間は関西本線を乗り越すため高架線になっている)・関西本線(大和路線)の列車のほかに、阪和線との直通列車も通過するため、朝ラッシュ時は1時間で最大54分踏切が閉まる開かずの踏切であった。JR西日本が所有する踏切の中でも線路内に立ち入るトラブルが多く、人身事故につながるケースもあったことから、2012年7月1日をもって廃止された[13][14]。 この踏切で人身事故が発生するとその影響が広範囲に波及することから、JR西日本ではその対策として、最末期には踏切照明灯を青色にするなどの対策を取っていた。鉄道会社で青色の照明灯をいち早く導入したのはJR西日本で、実際に人身事故や踏切事故の抑止に効果があるとされたことから、青色の踏切照明灯は他線区にも導入され、その後、他社にも広がっている[15]。 ルーフアート沿線では、民家の屋根上を作品展示の場所としたルーフアートが行われている。すべての作品は、車内や駅ホームから見える所にあり、堺市の芸術家である余田卓也が1994年から設置し始めたもので、2010年まで「家庭のパスワード」として、その家の住人が選んだ4桁の数字がシンボルカラーと共にそれぞれに数字と異なる色が掲げられていた。 運行形態環状運転含む大阪環状線内相互発着の普通のほか、桜島線(JRゆめ咲線)に直通する普通、関西本線(大和路線)・阪和線へ直通する快速列車が運転されている。快速列車は、区間快速・直通快速を除いて、大阪駅 - 西九条駅 - 天王寺駅間で快速運転が行われている。また、東海道本線(JR京都線)・紀勢本線(きのくに線)方面から特急が、大阪駅 - (西九条駅) - 天王寺駅間を走行している[† 9]。 日中は、全線にわたり1時間に12本の運転で、内訳は環状運転の「普通」、大和路線直通の「大和路快速」、阪和線・関西空港線直通の「関空快速・紀州路快速」がそれぞれ4本ずつである。大阪駅 - (西九条駅) - 天王寺駅間は特急「くろしお」1本、「はるか」2本が加わり、1時間に15本の運転となる。午前中と夜間は、JRゆめ咲線直通の普通(天王寺駅 - 京橋駅 - 大阪駅 - 西九条駅 - 桜島駅間)が4本入るため、天王寺駅 - 京橋駅 - 大阪駅 - 西九条駅間は1時間に16本、特急「くろしお」「はるか」を含めると大阪駅 - 西九条駅間は1時間に19 - 20本の運転となる。平日の朝夕は大和路快速に代わって区間快速が、朝ラッシュ時は関空・紀州路快速に代わって直通快速(外回りのみ)が運転されている。なお、特急は天王寺駅と2023年3月17日まで一部が西九条駅にしか停車せず、大和路快速と関空快速・紀州路快速は野田駅・芦原橋駅・今宮駅の3駅を通過するため、この3駅は日中は1時間あたり4本のみの停車となる。 国鉄時代から終電時刻はほとんど変わらなかったが、2009年3月14日のダイヤ改正で、乗務員の睡眠時間確保のために大幅な繰り上げが行われ、大阪環状線では最大21分繰り上がった[16]。 旅客列車普通→「桜島線 § 運行形態」も参照
平日の朝夕ラッシュ時は約3分間隔で運転されており、ほとんどが環状運転列車であるが、天王寺駅 - 京橋駅 - 大阪駅間の区間運転列車(朝ラッシュ時のみ)またはJRゆめ咲線直通列車も運転されている。この時間帯の前後には吹田総合車両所森ノ宮支所への入出区の関係から、京橋駅発着(内回り・外回り)・大阪城公園発(外回りのみ)となる列車がある。夕方ラッシュ時は2015年3月14日の改正で京橋駅発着を天王寺駅発着に延長して区間が統一された。 日中は環状運転列車が1時間に4本(15分間隔)運転されている。午前中と夜は、JRゆめ咲線直通列車が天王寺駅 - 京橋駅 - 大阪駅 - 西九条駅 - 桜島駅間で1時間に4本(15分間隔)運転されている。時間調整のため、大阪駅・京橋駅・森ノ宮駅・新今宮駅で1 - 2分ほど停車するほか、新今宮駅で快速を待ち合わせる列車もあるため、先発先着の平行ダイヤにはなっていない。 車両は全て3ドア車で、原則としてロングシートの323系が使用されているが、ラッシュ時の一部の列車は転換クロスシートのある223系・225系や221系も使用されている。 環状運転を行っているため、運転取り扱い上や旅客案内上は「上り・下り」という概念はなく、「外回り・内回り」という表現が用いられている。列車番号は内回りを奇数(大和路線直通列車を除く)としているが、奇数だから「下り」という意味ではなく、起点である大阪駅で、東海道本線と列車の方向と列車番号の奇数・偶数を合わせて内回りを奇数としただけである。 環状運転する電車の各駅での行き先案内は、主要6駅(大阪駅、西九条駅、新今宮駅、天王寺駅、鶴橋駅、京橋駅)から直近の2駅を挙げて「○○・△△方面行き」としている(たとえば、天満駅での外回り電車は京橋・鶴橋方面行きと案内する)。 列車番号は、引き続き環状運転列車となる列車は1000番台を使用し、天王寺駅で列車番号が変わる。途中駅が終点となる列車は2000番台が使用されている。なお、大阪環状線内のみを走行する列車には、JRの客車列車と同様に列車番号の末尾にアルファベットが付かない。JRゆめ咲線に直通する列車は、列車番号の末尾にEがつく。 大和路線(関西本線)直通列車→「大和路快速」も参照
大阪環状線と大和路線(関西本線)を直通する列車として、大和路快速・区間快速が運転されている。大和路快速は大阪環状線内の野田駅・芦原橋駅・今宮駅の3駅を通過するが、区間快速は大阪環状線内は各駅に停車する。日中および土・休日の朝と夜間に、大和路快速が1時間に4本(15分間隔)運転されている。朝と平日の夕方・夜間は大和路快速の代わりに区間快速が運転されている。 関西本線に直通する快速列車は1973年から113系で運転を開始し、1989年3月11日の221系導入と同時に「大和路快速」の愛称が付けられた。日中時間帯を中心に、天王寺駅 - 京橋駅 - 大阪駅 - 西九条駅 - 天王寺駅 - 奈良駅 - 加茂駅間で運転(JR時刻表では大阪駅発着で案内)されているが、土休日ダイヤでは和歌山線高田駅・五条駅へ直通する列車がある。ラッシュ時間帯には大阪環状線内で各駅に停車する区間快速が運転されていて、京橋駅までの列車や和歌山線高田駅・五条駅へ直通する列車も設定されている。また天理教祭典(「こどもおぢばがえり」やお節会含む)開催時や土曜・休日ダイヤには臨時列車として桜井線(万葉まほろば線)に直通する列車もある。 夕方・夜間の一部の奈良駅・加茂駅発の区間快速は新今宮駅で阪和線方面からの特急列車の通過待ちを行う。 車両は全列車221系の8両編成で、区間快速には2016年9月まで103系・201系の8両編成が運用されていた。 また、2011年3月11日までの平日ダイヤの夜間には「やまとじライナー」が大阪駅 - 加茂駅間で運転されていた。大阪環状線内の停車駅は新今宮駅・天王寺駅であるが、大阪駅では両駅に停車する案内はされていなかった。 2023年10月23日より平日朝ラッシュ時間帯の加茂駅発大和路線区間快速2本に、有料座席サービス「快速 うれしート」(指定席)を設定している[17]。なお、当該座席は天王寺駅からは無料開放(自由席)となる。 大和路快速は、大阪環状線の東半分(天王寺駅 - 京橋駅 - 大阪駅間)では列車番号は数字だけだが、西半分(大阪駅 - 西九条駅 - 天王寺駅間)および大和路線内では末尾にKがつく。区間快速は列車番号の末尾にYがつく。 天王寺始発で大阪環状線の内回りを1周し、再度天王寺駅を経由してから大和路線(関西本線)に直通する列車は、始発である天王寺駅の環状線ホームでは本来の種別及び行先を案内・表示せず[† 10]、あたかも大阪環状線の内回りの普通列車であるかのように「普通 鶴橋・京橋方面」と案内されており、次駅の寺田町駅から本来の種別及び行先(「大和路快速 奈良」等)での案内・表示に変わる[18]。 阪和線・関西空港線直通列車→「関空快速・紀州路快速」も参照
大阪環状線と阪和線を直通運転する列車として、関空快速・紀州路快速・快速・直通快速が運転されている。関空快速・紀州路快速・快速は大阪環状線内の野田駅・芦原橋駅・今宮駅の3駅を通過し、直通快速は大阪環状線内は各駅に停車する。 日中と夜間は関空快速・紀州路快速が1時間に4本(15分間隔)運転されている。朝ラッシュ時の外回りは関空快速・紀州路快速の代わりに直通快速が運転される。 阪和線との直通運転は、1990年3月10日から新大阪発新宮行きの夜行快速列車が運転されたのが最初で、その後1994年9月4日に関西国際空港が開港したことにより、関西空港線直通列車として京橋駅 - 大阪駅 - 関西空港駅間で関空快速の運転が開始された。当時の大阪環状線内の停車駅は、京橋駅・大阪駅・西九条駅・弁天町駅・新今宮駅・天王寺駅であったが、翌1995年4月20日から1999年5月9日まで、関空快速の停車駅のうち西九条駅・弁天町駅・新今宮駅を通過する「関空特快ウイング」が運転されていた。和歌山方面では新大阪駅発着の快速のみであったが、1999年5月10日から京橋駅 - 日根野駅間で関空快速と併結する紀州路快速の運転を開始し、大阪環状線に乗り入れることとなる。 大阪環状線の天王寺駅発着の列車は、2008年3月14日までは早朝・深夜にのみ設定され、内回りでは京橋駅 → 大阪駅間でも快速運転も行っていたが、翌15日のダイヤ改正で天王寺駅の阪和線への連絡線が複線化されたことにより、朝ラッシュ時間帯に大阪環状線へ直通する列車が増発されて直通快速として運転されるようになると、大阪環状線を一周する列車が増加するとともに、関空快速・紀州路快速・快速は大阪駅 - 京橋駅 - 天王寺駅間で各駅に停車するようになり、快速通過駅での停車時刻の間隔が所々で広がっていた問題が解決された。さらに、2012年3月17日のダイヤ改正では日中のJRゆめ咲線直通列車が削減され、この時間帯の大半の列車が大阪環状線天王寺駅発着に変更されたため、京橋駅で折り返す列車は午前中・夕方の一部列車と深夜時間帯のみになっている。また夜間時間帯には日根野駅までの列車もある(種別上は快速)。 また、2003年10月4日から2006年3月12日までの土曜・休日ダイヤの朝に、鳳駅 - 天王寺駅 - 大阪駅 - 天王寺駅間では直通快速と同じ停車駅で、区間快速が運転されていた。車両は日根野電車区(当時)の103系8両編成が使用されていた。 紀州路快速は一部の列車を除き、列車番号の末尾にHがつくが、関空快速と併結する大阪環状線内および阪和線天王寺駅 - 日根野駅間での列車番号末尾はMとなる。 天王寺始発で大阪環状線の内回りを1周し、再度天王寺駅を経由してから阪和線に直通する列車は、始発駅となる天王寺駅から次駅の寺田町駅まで大和路線(関西本線)直通列車と同様の案内体制が取られている。 特急列車1989年7月22日から、特急「くろしお」が大阪環状線に乗り入れて新大阪駅または京都駅へと直通運転されるようになった。関西国際空港が開港した1994年9月4日からは関西空港線直通の特急「はるか」、2024年3月18日からは平日に限り大和路線特急「らくラクやまと」も運転されている。過去には、1990年に臨時特急「エキスポ雷鳥」が、2000年代に臨時特急「ユニバーサルエクスプレス」が、2010年に臨時特急「まほろば」が、それぞれ運転された。 「くろしお」が直通運転を開始する前年の1988年に奈良市内で開催された「なら・シルクロード博覧会」会場への東海道・山陽新幹線(新大阪駅)からのアクセス向上のため、西九条駅構内の配線を変更(大阪環状線と梅田貨物線との間に渡り線を設置)した上で加茂駅・奈良駅 - 湊町駅(現在のJR難波駅)間の快速の一部を新大阪駅発着に変更して大阪環状線から梅田貨物線の直通運転を行ったが、翌1989年には天王寺駅構内における大阪環状線と阪和線との連絡線設置工事が完了したことにより、阪和線・紀勢本線に直通する特急列車の運転も可能となった。 ただし、大阪環状線内での特急列車の運行区間は、西半分側にある大阪駅 - 天王寺駅間のみ[† 9]であり、2023年2月13日に梅田貨物線が地下新線に切り換えられるまで大阪駅を経由せず、切り換え後も同年3月17日までは大阪駅には停車しなかったためや、天王寺駅に全列車が停車する以外は同日まで一部の「くろしお」が西九条駅に停車するのみであったため、大阪環状線内において特急列車を利用できる機会は僅かであった[† 11]。同年3月18日からは特急列車が大阪駅(うめきたエリア)に停車するようになり、大阪駅では地下ホーム発着になるものの大阪駅 - 天王寺駅間で特急列車が利用可能になったが、すべての特急列車が通過するようになった西九条駅は利用できなくなっている。 大晦日終夜運転アーバンネットワークエリアでは一部の線区・区間を除いて大晦日から元日にかけての終夜運転が実施されているが、ここ最近では環状運転列車およびJRゆめ咲線との直通列車(いずれも普通)を両者合わせて10 - 30分間隔で運転し、大晦日から元日にかけて特別営業を行うユニバーサル・スタジオ・ジャパン (USJ) へのアクセスなどに活用されている。 2001年(平成13年)3月の USJ の開業前、つまり2000年(平成12年)12月31日から翌2001年1月1日にかけての終夜運転までは、普通が奈良駅 - 天王寺駅 - 西九条駅 - 大阪駅 - 京橋駅 - 天王寺駅間(いわば大和路快速のような運行形態)の形でおおむね30分間隔で運転されていた(大和路線の項も参照)。 貨物列車福島駅 - 西九条駅間では、梅田貨物線を経由して毎日運転の列車が1日2往復と、特定曜日運休の列車が1日3往復運転されている。全列車が桜島線安治川口駅発着である[19]。 かつて弁天町駅 - 大正駅間にあった境川信号場からは大阪臨港線と呼ばれる非電化単線の貨物支線が分岐していた。大阪港からの貨物輸送を担っていたが、大阪臨港線のうち最後まで残っていた境川信号場 - 浪速駅間は、貨物運送の衰退により2004年11月から休止となり、2006年4月1日に廃止された。末期は1日2往復のダイヤが組まれていたが、扱い貨物がないため運休する日も多かった。 このほかにも、浪速駅から大阪港駅(地下鉄中央線の大阪港駅とは別)・大阪東港駅および、野田駅から大阪市場駅までの貨物支線を有していたが、いずれも1984年2月1日に廃止されている。 旅客案内かつて大阪駅・西九条駅・新今宮駅・天王寺駅以外の駅において、環状線ホームの発車標に発車時刻・乗車位置を表示する機能がないものが使用されてきたが、2009年10月4日の大阪環状・大和路線運行管理システム導入に伴い、発車時刻・乗車位置などのほかに列車の遅延表示を行う機能を持つ旅客案内情報処理装置 (PIC) 対応の発車標が設置された。ただし、大阪駅の一部の発車標では関西本線・阪和線・関西空港線方面へ直通する快速列車のみ案内されている。 なお運行形態上、環状運転から区間運転へ移行する列車や、前述の通り他線区との直通列車が数多くあるため、途中で行先を変更する列車が存在する。 また、これまで島式ホームである野田駅・福島駅・西九条駅・新今宮駅・天王寺駅と過去に島式ホームだった天満駅(現在は単式2本の2面2線ホーム)のみホーム番号が振り当てられていて、相対式ホームにはホーム番号が振り当てられていなかった。大阪駅では環状線ホームのみ「環状内回りのりば」「環状外回りのりば」という名称であり番号ではなかったが、大阪駅改良工事に伴い、のりば番号が割り当てられたのをはじめ、2006年9月ごろから相対式ホームの駅にも順次のりば番号が割り当てられ、2008年3月に京橋駅を最後にすべての駅で完了した。 環状運転を行う電車の場合は、発車標では行先が「環状」と表示されていたが、2019年3月のダイヤ改正以降は323系電車と同じように、天王寺駅・鶴橋駅・京橋駅・大阪駅・西九条駅・新今宮駅の主要6駅から直近の2駅を使って「○○・△△方面」と表示するようになっている(例:大阪駅では内回りが「西九条・新今宮方面」、外回りが「京橋・鶴橋方面」と表示される)。この方式は山手線でも古くから用いられている。 乗車位置は、JR西日本の標準として、3ドア車が△印、4ドア車が○印で案内されており、201系が運行を終了した2019年6月以降は△印のみで案内されていたが、2021年2月6日より、大阪環状線とJRゆめ咲線(桜島線)に限り、323系で運行される列車(女性専用車両設定あり・ロングシート車)は○印、221系・223系・225系で運行される列車(トイレ付き・クロスシート車)は△印で案内されるように変更された[20]。 発車メロディ各駅の環状線ホームには、車掌が扱う押ボタンスイッチがあり、発車直前に車掌がボタンを押すと内回り・外回りともに「ドアが閉まります。ドアが閉まります。ご注意ください」と放送されている。かつてはこのボタンを押すと、発車ベル(1999年 - 2003年の間は発車メロディ)の後に放送されていた。 1999年5月に発車メロディと接近メロディ、入線メロディが各駅に順次導入された。これらは、「さわやかでシンプル」「八百八橋と川の流れ」をコンセプトとしたメロディであったが[21]、2003年12月下旬から速達化による停車時間短縮のため、発車メロディの使用が各駅で順次停止された。 その後2014年3月から、JR西日本では「大阪環状線改造プロジェクト」の一環として、駅ごとに異なるメロディを導入することになった[22][23]。導入された駅と曲は下表の通り。2014年3月15日のダイヤ改正から森ノ宮駅・京橋駅・西九条駅で、5月1日から大阪駅で使用開始し、残りの駅も2015年3月22日に使用開始した[24]。
路線記号を活用した案内2014年度の路線記号導入に合わせて、2015年3月14日のダイヤ改正から大阪環状線に直通する大和路快速・関空快速・紀州路快速に路線記号を活用した種別表示が行われている[26]。大阪環状線に直通する列車は、赤色のラインカラーに大阪環状線の路線記号 O を表示した種別幕が、関西空港行きの列車は、青色のラインカラーに関西空港線の路線記号 S と飛行機マークを表示した種別幕が、和歌山方面行きの列車は、橙色のラインカラーに阪和線の路線記号 R を表示した種別幕が、奈良方面行きの列車は、緑色のラインカラーに大和路線の路線記号 Q を表示した種別幕が、JRゆめ咲線方面行きの列車には紺色のラインカラーにJRゆめ咲線の路線記号 P が入った種別幕が使用されている[7]。
女性専用車
平日・休日にかかわらず毎日、始発から終電まで、323系8両編成の4号車に女性専用車が設定されている[27][† 12]。対象車両および乗車位置には、女性専用車の案内表示が設置されている。なお阪和線・大和路線直通列車には設定はない[† 13]。 大阪環状線では2002年7月1日より平日の始発から9時まで、大阪環状線を周回運転する列車に限って試験的に導入し[28][29]、同年10月1日から本格的に導入した[29]。その後、同年12月2日からは平日の17時から21時までの時間帯についても女性専用車の設定を行った[29][30]。 2011年4月18日からは、平日・休日にかかわらず毎日、始発から終電まで女性専用車が設定されるようになった[31]。 利用状況1995年では136万人の利用があったが、2012年では108万人に減少している[32]。2019年度の1日の平均通過人員は292,574人である[33]。並行するOsaka Metro御堂筋線の260,840人、Osaka Metro谷町線の100,723人と比べて多い。 旧城東線区間となる天王寺駅 - 京橋駅 - 大阪駅間(以下、東半分)と大阪駅 - 西九条駅 - 天王寺駅間(以下、西半分)とで性格に大きな違いが見られ、利用者の多くは京阪本線や片町線(学研都市線)の京橋駅、近鉄奈良線・大阪線の鶴橋駅といった郊外路線と連絡する東半分に集中する。そのため、東半分を折り返し運転する区間列車が環状線成立後も多く設定されており、運転密度も高く近隣も商業地・住宅地として開発が進んでいる。 他方、西半分は運転密度が低く、利用者数も伸び悩んでいたが、1973年から関西本線(大和路線)との直通列車、1989年から特急「くろしお」などの阪和線との直通列車、1994年の関西国際空港開港後は関空特急「はるか」や関空・紀州路快速などの快速列車が天王寺駅東方から大阪環状線に乗り入れるようになり、運転密度は上昇した。ただし、優先運行される特急や快速列車が通過する駅では逆に不便なダイヤとなり、西半分の駅 - 東半分の駅間の天王寺駅経由での移動も不便になった。その一方、快速停車駅では利便性が向上し、弁天町駅付近には高層ビルやタワーマンションが立ち並ぶようになり、大正駅と西九条駅は大阪ドームとユニバーサル・スタジオ・ジャパンのオープン以来土曜・休日の利用者が増加傾向にある。また、大和路・関空・紀州路などの快速列車の増発による西半分の高速化は、乗り換え不要で運賃が安いこともあって、大阪駅 - 天王寺駅間の移動における環状線利用増に貢献している。 平均通過人員各年度の平均通過人員(人/日)は以下のとおりである。
大阪環状線改造プロジェクト2013年3月13日に発表されたJR西日本の中期経営計画において、線区価値の向上、都市の魅力向上の重点線区に選定され、2017年度までの5年間で、駅の改良・美化、車両の新製、高架下・駅周辺の開発などが計画され[44][45]、2013年12月24日から「大阪環状線改造プロジェクト」がスタートした[46]。 このプロジェクトでは、大阪環状線を「行ってみたい」「乗ってみたい」線区に改造し、ハード面とソフト面の取り組みでイメージアップを図り、大阪環状線の利用を拡大し、大阪の活性化を目指す取り組みである。大阪環状線の駅19駅を19の点でシンボル化し、赤(線区カラー)とオレンジ(車両カラー)で表現した円をイメージしたロゴマークと、お客様満足度二重丸を目指すという思いを込めた「みんなの◎に」というキャッチコピーも制定されている。 このプロジェクトは、以下の重点施策によって行われている。
このほかにも、全駅へ発車メロディが順次導入されたほか[22][24]、沿線風景や名所・祭事などをモチーフにデザインしたラッピング列車「OSAKA POWER LOOP」が2014年6月1日から2017年9月7日まで運転された[56][57]。デザインは、FM802が主催しているアーティスト発掘プロジェクトに参加しているうち8名が携わった[58]。また、2014年9月28日には天満音楽祭とコラボレーションした音楽列車「TEN-ON ぐるKAN LIVE」が運転された[59][60]。2017年10月15日には323系初の車内イベント列車として天満音楽祭とコラボレーションしたイベント列車「ぐるKANブラス」が運行される[61]。2019年4月1日からはサンリオのキャラクター「ハローキティ」とのコラボレーションイベント「HELLO! LOOP PROJECT」が、当プロジェクトの一環として実施されている。期間中は「ハローキティ 環状線トレイン」の運行や、主要駅へのフォトスポットの設置などが行われる[62]。 このプロジェクトが「323系と大阪環状線改造プロジェクト」として、2016年9月29日に2016年度グッドデザイン賞(移動用機器・設備部門)を受賞している[63][64]。
使用車両本節では、大阪環状線で使用される、または使用された車両について記述する。なお、貨物列車については、牽引機関車(貨物電車のM250系を含む)のみを記述する。 現在の使用車両旅客列車以下はすべて電車である。 普通・快速列車用すべて8両編成、3ドア車で運行されている。座席は323系がロングシート、それ以外の車両はクロスシートである。 大阪環状線・桜島線内用吹田総合車両所森ノ宮支所(旧・森ノ宮電車区)所属車両が使用される。
また、車内広告を1社で独占して掲出している広告貸切列車として使用されている車両もある。8両編成の広告貸切列車は Loopack(ルーパック)と呼ばれ、過去にはヘッドマークを掲出していた時期もあり、特に毎年10月には8020推進財団が広告主となっている列車について、8020運動の普及啓発を行う「8020号」の特製ヘッドマークが掲出されている。 大和路線直通列車用吹田総合車両所奈良支所(旧・奈良電車区)所属車両が使用される。
阪和線・関西空港線直通列車用吹田総合車両所日根野支所(旧・日根野電車区)所属車両が使用される。
特急列車吹田総合車両所日根野支所(旧・日根野電車区)および吹田総合車両所京都支所(旧・京都総合運転所)所属車両が使用される。本節で特に記述なければ日根野支所所属。
貨物列車福島駅付近から西九条駅までを併走する梅田貨物線を経由し、桜島線(JRゆめ咲線)安治川口駅貨物ヤードを結ぶ貨物列車の牽引機として運用される。 過去の使用車両旅客列車
貨物列車歴史大阪環状線は、大阪鉄道(初代)により建設された関西本線の今宮駅 - 天王寺駅間、同じく大阪鉄道(初代)により建設された天王寺駅 - 玉造駅 - 大阪駅間の城東線、西成鉄道により建設された西成線の大阪駅 - 西九条駅間、鉄道省により建設された関西本線貨物支線(大阪臨港線)の境川信号場 - 今宮駅間を元に、未成区間の西九条駅 - 境川信号場間を日本国有鉄道(国鉄)が繋いで成立した環状路線である。その関係で、国鉄時代は境川信号場 - 天王寺駅間は天王寺鉄道管理局の管内で、残りが大阪鉄道管理局の管内とされた。 関西本線・城東線・西成線の開業当時、関西本線は木津村・今宮村・天王寺村の集落を迂回する必要があり、市街地からやや南へ離れてしまい、城東線は四天王寺・大坂城址といった建造物や天王寺村・清堀村・玉造町の集落を迂回するため、市街地から大きく東へ離れてしまった。西成線は比較的市街地に近接していたが、船舶の出入が多いため橋が1本もない安治川右岸を通っており、基本的には臨港路線だった。 もともとの市街地が海に面していない大阪では、もとから海に面した市街地である東京と比べて海側への鉄道敷設が容易でありそうなものだが、大阪湾と大阪市街を結ぶ二大水路の安治川および木津川への架橋が、船舶の出入の多さから事実上不可能という問題があり、大阪鉄道(初代)の大阪駅乗り入れが城東線ルートになったのも、この問題に一因があった。1897年に大阪港(築港)の埋立造成が開始され、その完工を目前に控えた1928年の大阪臨港線開業時に木津川への架橋は実現したが、安治川への架橋は1961年の大阪環状線開業まで実現することはなかった。 このように、大阪市街の東半分を取り囲む関西本線および城東線がどちらも市街地から離れたところに敷設されたため、現在の私鉄各社に加えて片町線や当の関西本線ですら現在の大阪環状線の内側(それらは明治期、市街地の端でもあった)にターミナルを設置することとなり、環状線の構想に至るには市街地の拡張を待つ必要があった。大正初期までに開業した私鉄(元私鉄を含む)の大阪側ターミナルは難波駅・湊町駅(現・JR難波駅)・片町駅・汐見橋駅・天王寺西門前駅・阪神梅田駅・天満橋駅・恵美須町駅・大阪上本町駅など、ほとんどが現在の大阪環状線の内側に位置するもので、阪急梅田駅も当初は内側(現在の阪急百貨店うめだ本店の位置)にあった。当時は城東線も西成線もまだ電化されておらず、それらのターミナルと大阪市の中心市街地との間の輸送は専ら大阪市電が担っていた。 大正末期に至って城東線・西成線の内側は一部を除いて市街化され(時期を同じくして城東線・西成線が通る地域はすべて大阪市に編入された)、大阪鉄道(2代目、現・近鉄南大阪線)と阪和電気鉄道(現・JR阪和線)は天王寺駅にターミナルを構えるに至った。環状線の構想も戦前には持ち上がったが、上述のとおり船舶の出入が多い安治川への架橋に対して反対運動があり、計画が具体的に進むことはなかった。また、銀座・日本橋といった繁華街・オフィス街が広がっているため、江戸時代以来の市街地と江戸城外郭を用地買収してでも未成区間を解消し、新橋駅(烏森駅)・有楽町駅・東京駅・神田駅を開設する意義があった東京市の海側と異なり、一部レジャー施設と新興住宅地を除いて工業地帯・港湾施設が広がる大阪市の海側に十分な利用者数が見込めるのかという疑問も残った。 しかし、戦災復興都市計画によって環状線建設が立案施行されることになった。第二次世界大戦直後と高度経済成長期の2度にわたって大阪市長を務めた中井光次は、海側の未成区間への新線敷設と港区・大正区における旅客駅の開設に尽力し、1953年に大阪環状線建設促進協議委員会が発足、1956年3月20日には大阪市内環状線として起工式が挙行された。それでもなお、安治川橋梁の架橋に対して反対運動があったため、1960年に開業予定が1年遅れることになった。大阪環状線という名称に決定したのは1961年4月3日で、1960年12月26日の国鉄関西支社が調査役会議で本社に上申したものである。 大阪環状線となったのは、西九条駅から大阪臨港線の今宮駅 - 浪速駅間に設けられた境川信号場までが開通した1961年である。なおこの時、西成線のうち西九条駅 - 桜島駅間が桜島線として分離され、大阪臨港線は起点を大正駅に変更され大阪環状線貨物支線として扱われるようになった。当初は西九条駅で線路がつながっていなかったため、桜島駅 - 大阪駅 - 京橋駅 - 天王寺駅 - 西九条駅の逆「の」の字運転を行っていたが、1964年に西九条駅の高架化が完成して線路がつながり、環状運転を開始した。 1973年に関西本線(1988年に大和路線の愛称が付く)の快速列車、1989年に阪和線・紀勢本線の特急、1990年に阪和線快速列車の大阪環状線直通運転が開始された。2012年現在では日中の3分の2が大和路線や阪和線直通列車(快速)であり、これらの運行形態は逆「の」の字運転である(大和路快速・関空快速・紀州路快速の各項も参照)。 なお、鉄道国有法の公布に伴い主要鉄道の国有化が実施されるまで、城東線は大阪鉄道 - 関西鉄道の保有路線であったが、南海電気鉄道の前身である南海鉄道の列車が、1993年に全廃された南海天王寺支線を経由してここに乗り入れ、大阪駅まで直通していたこともあった。 年表関西本線
城東線
西成線→「桜島線 § 歴史」も参照
大阪環状線成立以後
国鉄分割民営化以後
駅一覧天王寺駅から内回り方向に記述する。
停車パターン
廃止区間( ) 内は起点からの営業キロ
廃止信号場( ) 内は大阪駅起点・環状線内回り経由の営業キロ
脚注注釈
出典
参考文献
関連項目
外部リンク |