その後も梶原と大山との“義兄弟”関係は公の場では維持され続けたが、1980年蔵前国技館で開催されたウィリー・ウィリアムス VS アントニオ猪木との世紀のイベントで梶原と大山との確執は頂点に達した。ウィリー VS 猪木戦における極真サイドから梶原襲撃“指令”などの怪情報が、試合前から関係者の間でまことしやかに流れており、結局は起こることはなかったもののそのことを信じた梶原サイドは大山に対して“誠意ある謝罪”を要求した。身に覚えのない大山としても謝罪する謂れはなく、大山との長年に及ぶ“義兄弟”の関係は途絶えた。