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この会社が運営する鉄道路線については「流鉄流山線」をご覧ください。 |
流鉄株式会社(りゅうてつ)は、千葉県にある流山線を経営する鉄道会社である。本社所在地は千葉県流山市流山1丁目264番地で、流山線の終点流山駅に隣接している。
鉄道沿線の保有資産を活用した小規模な不動産業を行うほかに関連事業はほとんどなく、ほぼ鉄道専業に近い状態である。鉄道の路線延長は5.7kmと短い。かつては貨物輸送も行っていたが、既に廃止されている。ただし、鉄道事業は2005年に開業した首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス (TX) によって大きな打撃を受け赤字が常態化しており、近年は安定した収益が得られる不動産業で鉄道事業の損失を埋め合わせる経営が続いている。
概要
2008年(平成20年)8月1日に社名を総武流山電鉄(そうぶながれやまでんてつ)から流鉄に変更し、経営する総武流山線も流山線に改称した[5]。「流鉄」は元々略称であるが、松戸駅前のビル(流鉄松戸ビル)や、かつて行っていたタクシー事業などで使用される程度で、鉄道路線の案内などでは使用されていなかった。
創業以来どこの鉄道会社系列にも属さない独立系の鉄道会社であり、他に有力な副業を持たずに経営している小規模な鉄道事業者である。日本民営鉄道協会にも非加盟である。「町民鉄道」として沿線業者や住民が出資して開業させたことに端を発し、流山市も出資[6]しているものの、その後の紆余曲折を経て旧・平和相互銀行のグループ企業であった総武都市開発が経営を掌握し(旧社名「総武流山電鉄」の「総武」は総武都市開発に由来)、市の出資比率は僅かにすぎないため[注 1]第三セクター鉄道とはみなされていない。総武都市開発が会社解散(事実上の経営破綻)に至った後も、なお代表取締役は平和相互銀行のオーナーであった小宮山家から送り込まれ、株式の過半数は小宮山家の影響下にある企業が保有している。
PASMO・Suica等の交通系ICカードについては2015年(平成27年)の時点で「対応する予定はない」とし[7]、その後も導入に向けた動きはない。
歴史
年表
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電化時に導入されたモハ102電車
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流山駅本屋隣接の流鉄タクシー車庫(
1979年〈昭和54年〉4月15日)
路線
詳細は以下の項目を参照。
車両
脚注
注釈
出典
参考文献
- 曽根悟(監修) 著、朝日新聞出版分冊百科編集部(編集) 編『週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 公営鉄道・私鉄』 21号 関東鉄道・真岡鐵道・首都圏新都市鉄道・流鉄、朝日新聞出版〈週刊朝日百科〉、2011年8月7日。
関連文献
- 青木栄一「日本鉄道土浦線と流山」『鉄道忌避伝説の謎 - 汽車が来た町、来なかった町』(吉川弘文館、2006年11月、ISBN 978-4642056229)
- 山本鉱太郎『新編・川蒸気通運丸物語 - 利根の外輪快速船(新書)』(崙書房、2005年2月、ISBN 978-4845511075)
- 『散歩の達人』(2003年11月号 p27、交通新聞社)
- 山本鉱太郎『江戸川図志』(崙書房、2001年6月、ISBN 978-4845510801)
- 山下耕一「常磐線の流山通過案と流山鉄道敷設について - 線形からの一考察」『流山市史研究』第16号(流山市立博物館 編、2000年3月、流山市教育委員会 発行、流山市立図書館 蔵)
- 『流山糧秣廠』(流山市立博物館調査研究報告書13、流山市立博物館 発行、1996年、流山市立博物館 販売/蔵、流山市立図書館 蔵)
- 白土貞夫「総武流山電鉄」『ちばの鉄道一世紀』(崙書房、1996年、ISBN 4-8455-1027-8)
- 山本文男『流山電鉄七十八年 ぬくもりの香る町と人の物語』(流山新聞社、1994年)
- 北野道彦、相原正義『新版利根運河 - 利根・江戸川を結ぶ船の道』(崙書房、1989年)
- 総武流山電鉄七十年史編纂委員会 編『総武流山電鉄七十年史』(崙書房 製作、総武流山電鉄株式会社 発行、1986年)
- 小林茂多『幻の鉄道 - 千葉県鉄道計画史(ふるさと文庫)』(崙書房、1984年)
- 野口冬人「総武流山電鉄」『ローカル私鉄の旅』(刊々堂出版社 発行、星雲社 発売、1980年12月25日 新装1刷発行)
- 山本鉱太郎『川蒸気通運丸物語 - 明治・大正を生き抜いた利根の快速船(ふるさと文庫)』(崙書房、1980年11月)
- 北野道彦『「町民鉄道」の60年 - 総武流山電鉄の話』(崙書房、1978年)
- 吉川文夫:文、廣田尚敬:写真「総武流山電鉄」『カラー 日本の私鉄1 ローカル編』(山と溪谷社、1976年)
- 流山市立博物館友の会 編『東葛流山研究』(崙書房、流山市立図書館 蔵)
関連項目
外部リンク
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