常磐線
常磐線(じょうばんせん)は、東京都荒川区の日暮里駅[1][2]から千葉県北西部、茨城県、福島県の太平洋側(浜通り)を経由して宮城県岩沼市の岩沼駅[1][2]までを結ぶ東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線(幹線)である。全長343.7km(支線除く)に及ぶ長大な路線であり、「本線」や「新幹線」を名乗らないJR線の中では最も長い。 列車運行上の常磐線は、東北本線の上野駅 - 日暮里駅間および岩沼駅 - 仙台駅間を含めた東京都台東区の上野駅から宮城県仙台市青葉区の仙台駅まで(363.5 km)であるが、「上野東京ライン」として運行される品川駅 - 上野駅間を含めた「品川駅 - 仙台駅」を常磐線として表記している例もある[注 5]。 本記事では品川駅 - 東京駅間について、常磐線内の方向に合わせて品川行きを「上り」、品川発を「下り」と記述する。 また、通常運転系統上の「常磐線」は、中距離列車(中距離電車)や特急列車などの列車系統のみを指し、取手駅以南の複々線区間を運転する電車系統の常磐快速線・常磐緩行線とは区別される。本記事での運転系統としての記述は主に前者について取り上げる。 概要東京から仙台までを、千葉県の松戸・柏・我孫子、茨城県の取手・土浦・水戸・日立を経て、福島県のいわき・相馬など浜通り(太平洋沿岸)地域を経由して結ぶ路線である。首都圏と沿線各都市を結ぶ特急列車や、日本貨物鉄道(JR貨物)による貨物列車も運行されている。また首都圏側の取手駅以南では東京への通勤輸送の役割も担う。綾瀬駅 - 取手駅間は急行線(快速線)と緩行線の線路別複々線となっており、緩急分離運転を実施している(運転行態については後述)。 全線が電化されているが、区間により電化方式が異なっている。上野駅から取手駅までは直流電化だが、藤代駅より北は沿線の茨城県石岡市柿岡にある気象庁地磁気観測所の観測に直流電化方式が悪影響を及ぼすという事情から交流電化が採用され、取手駅と藤代駅の間にデッドセクションが設けられている[4]。 2011年に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)による被害と、それに起因した福島第一原子力発電所事故による帰還困難区域(事故発生当初は警戒区域)設定のため、一部区間が不通となり、列車代行バスが運行されていた時期があった[5](詳細後述)。 名称の由来茨城県の大半にあたる常陸国の別称である常州(じょうしゅう)と福島県東部および宮城県南部にあたる磐城国の別称である磐州(ばんしゅう)を合成した常磐(じょうばん)を路線名とする[注 6]。なお、磐城国は1869年に陸奥国を分割して新設された国である。 この経緯に由来して、茨城県と福島県浜通りの県境に当たる勿来近辺(北茨城市からいわき市の南半分)は「常磐地区」と呼ばれることもあり、1954年から1966年のいわき市成立までは、湯本温泉周辺を中心とする常磐市(じょうばんし)が存在していた。また、水戸市では常磐町・常磐大学・常磐神社といった、同じ字で「ときわ」と読む地名や施設なども存在する。「ときわ」は、常磐線でもかつて急行列車の愛称として使用され、特急「ひたち」への統一後も茨城県北部から福島県浜通りの沿線の観光キャンペーンや茨城県内に有効なフリーきっぷの名称として「ときわ路」が使用されている。なお、列車愛称の「ときわ」は2015年3月14日のダイヤ改正で特急列車として復活したが、大半は以前の急行同様茨城県内発着の列車となる。 路線データ
なお、JR東日本の各支社の管轄は以下の通り。 沿線概況
品川 - 日暮里→品川駅 - 東京駅間については「東海道本線 § JR東日本区間」を、東京 - 日暮里駅間については「宇都宮線 § 東京 - 大宮」を参照
日暮里 - 取手→「常磐緩行線」も参照
品川駅から日暮里駅までは山手線など多くの路線と併走し、日暮里から東北本線と分かれる。北千住駅付近まで、日光街道沿いの下町の中を走り、荒川を渡る手前で地下鉄千代田線と合流し、綾瀬駅まで並行する。綾瀬駅から取手駅までは複々線区間となり、千代田線から直通する各駅停車は小田急線直通急行・準急も含め、綾瀬駅を出ると亀有駅、金町駅の順に各駅に停車するが、品川・上野方面からの快速電車は松戸駅、柏駅、我孫子駅といった市の中心駅しか停まらない。 江戸川を渡り、東京都葛飾区から千葉県松戸市へ入ると、矢切の田園地帯にて緩行線と快速線が交差した後、線路は地上へ降りる。松戸駅では新京成電鉄新京成線、柏駅では東武鉄道野田線と連絡し、我孫子駅では成田線が分岐する。天王台駅を過ぎると千葉県と茨城県の境である利根川の利根川橋梁を渡って茨城県に入り、電車特定区間の終点である取手駅へ至る。 取手 - いわき取手駅と藤代駅の間にデッドセクションがあり、以北は交流電化されているため、直流電車は通れない。取手駅から先は交直流電車のみが走る区間となる。旧型車両ではデッドセクション区間で非常用電源に切りかわり、車内が消灯していた。 友部駅から勝田駅の間では、小山駅 - 友部駅間を結ぶ水戸線との直通列車も運行されており、中には高萩駅まで運行される列車もある[7]。 茨城県の取手市から龍ケ崎市・牛久市・土浦市・石岡市・小美玉市・笠間市・水戸市・ひたちなか市・那珂郡東海村・日立市・高萩市・北茨城市を経由し、茨城県と福島県浜通りの境に当たる勿来関を越えて、福島県いわき市に入ると、浜通り地方で最初の駅、勿来駅に至る。そのまま福島県内を北上し、浜通り南部の中心地いわき駅に至る。 いわき - 岩沼いわき駅を出て、四ツ倉駅を過ぎると単線になる。この区間は電化時に古いトンネルを放棄しているため廃トンネルが多数みられる。竜田駅を出発すると常磐線最長の金山トンネルを通過し、富岡駅に到着する。 富岡駅から浪江駅までの区間は、2011年(平成23年)3月11日の東日本大震災および福島第一原子力発電所事故の影響で最後まで不通となっていたが、2020年(令和2年)3月14日に復旧を終えて運転を再開し、常磐線は9年ぶりに全線で運転を再開した。 富岡駅から夜ノ森駅、大野駅と過ぎて、福島第一原子力発電所の煙突を背にしながら、双葉駅に到着する[注 8]。さらに浪江駅、小高駅を経て、「雲雀原」の異名を持つ南相馬市の中心駅・原ノ町駅に到着する。 原ノ町駅では、2007年以降普通列車の系統が分断されており、現在は全ての普通列車において乗り換えが必要である。その後旧鹿島町の中心駅鹿島駅、相馬市の中心駅・相馬駅などを経て、駒ケ嶺駅を過ぎると、2016年に完成した津波被害からの復旧区間に入る。 新地駅を過ぎると、浜通りから脱して宮城県へ入り、坂元駅・山下駅を過ぎると、浜吉田駅の手前で廃線となった従来線と合流する。その後、亘理駅、逢隈駅を過ぎ阿武隈川を渡ると、常磐線としての終点である岩沼駅に到着し、日暮里駅で分かれた東北本線に合流する。 歴史最初の開業区間は、1889年(明治22年)に水戸鉄道として現在の水戸線とひとつながりで開業した友部(路線開業時は駅無し、1895年設置) - 水戸間である[注 9]。 1896年(明治29年)には日本鉄道により田端 - 水戸間が開通する[8]。実質的な常磐線としての建設は、それまで船に頼っていた常磐炭田から産出される石炭の輸送ルート確保を目的としていた[9]。このため、現在の山手線を経由して東海道本線に抜けられるように田端駅を起点とした。 上野駅への乗り入れ線の建設は、南千住から南へ分岐する構想もあったが(フランツ・バルツァーによる計画)、三河島駅から日暮里駅までを連絡させたことで急カーブを描く線形となった。効率的な石炭輸送をはかるために、明治時代から複線化工事が開始された[10]。常磐炭田の石炭輸送のほか、日立鉱山、日立製作所関連の人員・物資輸送で、常磐線は戦前・戦後を通じて国内経済発展に欠かせない存在となっていった[11]。 1898年(明治31年)に岩沼駅まで全通した後は、東北本線のバイパスとして機能した。関東地方と東北地方を結ぶ鉄道路線の中でも海岸沿いを走るため線路が東北本線に比べて平坦である点が蒸気機関車牽引の列車にとって最大の利点であったこと、平駅(現在のいわき駅)までの複線化も早期に行われたこと、さらに、奥羽本線への直通列車設定も必要だった東北本線に比べ、ターゲットを上野と仙台以北との往来に絞れたことから、仙台駅以北に直通する旅客列車が常磐線を経由して走るようになり、1920年(大正9年)に経路特定区間制度が設定された時、日暮里 - 岩沼間が最初の設定区間の一つに指定されている。1958年(昭和33年)に東京以北で初の特急列車として登場した「はつかり」も、当初は常磐線経由で設定された。東北本線の電化・複線化が進むにつれ、まず「はつかり」など昼行の長距離優等列車から東北本線経由への整理統合が進んだが、東北本線が通勤時間帯に混雑することや奥羽本線への直通夜行列車が多数設定されたことから仙台駅以北に直通する夜行寝台列車はなお常磐線経由が主力であった。 石炭輸送を目的とした急行貨物「ひたち号」が1964年(昭和39年)に開始されたが、その後まもなくエネルギー革命によって炭鉱が次々と閉山に追い込まれ、1973年(昭和48年)を最後に常磐線の当初の目的であった石炭輸送の役目は終わりを迎えた[9]。その一方で旅客面では、1969年(昭和44年)10月に上野 - 平間に特急「ひたち」が運転を開始し、1985年(昭和60年)につくば市で開催された科学万博期間中は全国から訪れる観客の輸送を引き受けた[8]。このとき臨時駅(万博中央駅)も設置され、“赤電”のニックネームで親しまれた列車も、白地に青線へ化粧直しされた[8]。1987年(昭和62年)4月、当時20兆円の累積赤字を抱えていた国鉄が分割・民営化され、常磐線はJR東日本の一路線として再スタートを切った[8]。しかし、東北新幹線の開業以後は常磐線から仙台駅以北に直通する旅客列車が大幅に減り、東北本線のバイパスとしての存在意義が失われたことから、長らく設定されていた日暮里 - 岩沼間の経路特定区間制度は2001年(平成13年)に廃止された。 年表→常磐線を経由した東北方面優等列車の沿革については「東北本線優等列車沿革」を、常磐線内で完結する優等列車の沿革については「ひたち (列車) § 常磐線昼行優等列車沿革」を参照
水戸鉄道・日本鉄道
国有化後
日本国有鉄道
東日本旅客鉄道
東日本大震災・東京電力福島第一原子力発電所事故の影響→詳細は「東日本大震災による鉄道への影響」を参照
2011年(平成23年)3月11日の午後に東北地方太平洋沖地震(東日本大震災の本震)が発生し、沿線では広範囲で震度5弱から6強の揺れを記録した。このため当日全線で運転を見合わせ、勿来駅 - 岩沼駅間では駅構内に7本・駅間に6本の列車が停車した[119]。 なお、震災当日は地震前の沿線火災によるダイヤ乱れがあったため、後の警戒区域内を走行中の列車はなかった。 また茨城県から宮城県にかけては施設の破壊・支障が発生したほか、沿岸ではこの地震による津波の影響を受け久ノ浜駅から亘理駅にかけて断続的に設備の浸水・流失被害が発生した[119]。これにより、新地駅で抑止中であった普通244M[注 11]のE721系電車(P-1編成+P-19編成)と浜吉田 - 山下間を走行中に抑止となった貨物92列車(ED75 1039+コキ50000)のコンテナ車がそれぞれ津波の直撃によって脱線・大破した。人的被害はなかったが、車両は全て廃車となった。 このほか、常磐線に特有の被害として、大野 - 双葉間の沿線に立地する福島第一原子力発電所の事故による放射能汚染が挙げられ、事故後の2011年(平成23年)4月22日以降、原発からの半径20 km圏内と重複する広野 - 磐城太田間が災害対策基本法に基づく警戒区域(民間人強制退去・立入禁止)に指定[120]、半径20 kmから30 km圏内のうち計画的避難区域でない地域の大半(久ノ浜 - 広野、磐城太田 - 鹿島)が「緊急時避難準備区域」に指定された[121]。 不通区間の復旧と現状被害が比較的甚大であった取手駅以北の区間においては翌日以降も不通となったが、2011年(平成23年)5月14日までに上野 - 日暮里 - 久ノ浜間、亘理 - 岩沼 - 仙台間で列車の運行を再開した。その他の区間も順次復旧が進められ、2020年(令和2年)3月14日に全線で運転を再開した。 久ノ浜 - 広野 - 竜田間この区間は一部で施設が浸水した[119]ほか、原発事故当初、沿線の広野町内は全域が緊急時避難準備区域、楢葉町内の大半が警戒区域(再編後は避難指示解除準備区域)となった。 警戒区域に含まれなかった久ノ浜 - 広野間は2011年(平成23年)8月1日から運転再開前日まではバス代行を実施し、広野駅へ仮設ホームを設置した上で同年10月10日に運行を再開した[122][123]。なお、広野町の緊急時避難準備区域は運行再開前の同年9月30日に解除されている。仮設ホームは竜田までの復旧後に撤去された。2018年には、広野駅の駅前広場が完成した[124]。 2014年(平成26年)6月1日には楢葉町の帰町判断に合わせ、除染・復旧が完了した広野 - 竜田間で、避難指示解除準備区域(当時)としては初の鉄道営業を再開している[61]。列車は基本的に従来の広野行きを一部延長する形で運転された。竜田駅では副本線である3番線を使用し、2・3番線と1番線の間の線路には上下本線をまたぐ仮設の足場が設置されていたが、富岡駅までの復旧に伴いこの足場は撤去されている。なお、楢葉町内の避難指示は2015年(平成27年)9月5日に解除された。その後、2020年(令和2年)6月には竜田駅の新駅舎が完成した[125][126]。
竜田 - 原ノ町間この区間は大半が原発事故後に警戒区域とされたことから詳しい被害調査ができず、富岡駅の津波による流失[119]、大野駅の駅舎一部損壊や大野駅 - 双葉駅間の第一前田川橋梁上り線の崩壊の被害などが確認されている程度だったが、2015年(平成27年)2月までに全ての被害調査が完了した[127]。いずれの区間も開通には復旧工事及び除染等による放射線量低減が必要とされており[128]、復旧時に除染が行われている(後述)。 代行輸送は、並行する国道6号も許可車両以外の通行が規制されたため行われていなかったが、2014年(平成26年)9月15日からは自動車のみ自由通行が可能となった[129]こともあり、2015年(平成27年)1月31日には 竜田 - 原ノ町間にてバス2往復による代行輸送を開始している[130]。当初途中停車地は設定されなかったが、2016年(平成28年)7月12日に小高 - 原ノ町間の運転が再開されたことを受け、運行区間は竜田 - 原ノ町のまま、小高駅のみ停車を開始した[131]。2017年(平成29年)2月1日から浪江駅[73]に、同年2月16日からは富岡駅[74]にもそれぞれ追加で停車を開始している。 浪江 - 小高間が復旧した2017年(平成29年)4月1日以降、代行バスは以下のように運転系統の再編が行われ、同日避難指示が解除された竜田 - 富岡間で増発し、竜田駅発着の全列車と接続した[76]。
2017年(平成29年)10月21日の竜田 - 富岡間の復旧時には同区間の代行輸送を終了し、以下のように再編された[81][132]。
全線での運転再開に伴い、2020年(令和2年)3月13日でバスによる代行輸送を終了した[133]。 竜田 - 富岡間富岡駅付近を中心に津波による被害が発生した区間である。避難区域の再編後、大半が避難指示解除準備区域となった。なお、被災した富岡駅は、2015年(平成27年)1月16日までに解体に着手している[134]。 再開目標の提示以前から、2013年(平成25年)に、被災区間を津波対策などを施し、現在位置で復旧することが検討されていると報道されており[135]、2014年(平成26年)には富岡駅を従来の位置よりやや北側で移設復旧する富岡町のまちづくり計画が発表され[136]、JR東日本側も沿岸部の防潮堤整備を条件に復旧を行うとしていた[137]。 2015年(平成27年)3月の国土交通省発表では、運転再開目標は竜田 - 富岡間は「3年以内」(2018年〈平成30年〉春まで)とされた[138]。運転再開時期については2016年2月に富岡駅の移設協議が進んだことを受け2017年末に[139]、2017年(平成29年)3月には工事が順調に進捗していることから同年10月ごろに繰り上げられ[140]、最終的に同年10月21日に、竜田駅発着の全列車を延長するかたちで運転再開となった[140][81]。再開に当たっては駅を100 mほど北に移設し、交通広場などを整備した[141]。 なお、帰還困難区域を除いた富岡町の避難指示は2017年(平成29年)4月1日で解除された[142]。 富岡 - 浪江間避難区域の再編後も大半が帰還困難区域および居住制限区域とされた区間である。この区間については比較的高い放射線量の区間がある(2015年時点で空間線量率最大29.6 μSv/h、平均4.1 μSv/h[128])ことから、2015年(平成27年)3月の国土交通省発表では「除染や異常時の利用者の安全確保策を完了した後」の開通とされ、具体的な時期は明示されなかった[138]。被災区間では最後まで再開目標が明示されていなかったが、2015年(平成27年)6月29日から先行して倒壊・破損した第一前田川橋梁[注 12]の撤去工事を行った後[144]、2016年(平成28年)3月10日、国土交通省より2020年(令和2年)3月までに運転を再開する見通しが発表され[145][146][147]、2016年3月18日より順次除染・復旧工事に着手している[146][148]。 2019年(令和元年)6月1日には架線への送電が開始された[89][90][91]。11月までに工事を終了[92]。同年12月18日から試運転を開始した[97][93][94][95][96][149][注 13][150]。 2019年12月には、富岡 - 浪江間の運行を2020年(令和2年)3月14日から再開する見通しであることが報じられた[151][152]。 除染はバラストやまくらぎの交換[注 14]、除草・伐採、のり面・路盤のすきとり、モルタル・植生基材吹付によって行われ、これに先立ち、2015年(平成27年)8月20日から本区間の中でも特に線量が高い夜ノ森 - 双葉間の6か所(大熊町内)で除染の試験施工がJR東日本により行われている[153][154]。2016年2月の報告によるとこの区間における帰還困難区域相当の空間放射線量であった区間は1割程度であり、試験施工でも目標としていた3.8 μSv/h以下(避難指示解除準備区域と同等)を達成し、効果が見られた[139][155]。なお、除染に当たり、夜ノ森駅の名物であったツツジは幹10 cmを残して伐採されたほか、避難指示解除時期にあわせ、新たな苗木を植える計画である[156][157][158][159]。除染の効果も出始め、大熊町内でも、2018年には2.8 μSv/hに低下しており[160][161]、双葉駅構内でも、2019年には0.11 μSv/hに低下した[149]。大野駅付近でも、2018年には1.8 μSv/hに[162]、2019年には1.35 μSv/hに低下したという[92][163][164]。除染は2018年中に終了した[165]。 この区間のうち、大野 - 双葉間は複線化されていたが、下り線のみを復旧して単線とし、上り線は乗客避難・修繕用の通路としている[103]。2017年12月には第一前田川橋梁の下り線架け替えが完成し、上り線跡地には点検時などに職員が通る道路橋が架けられ[166][167][162][164]、その後は通信ケーブルの復旧作業が行われている[168]。また、双葉駅は橋上駅になる[169]ほか、棒線駅(線路・ホームが1本ずつの駅)になる。夜ノ森駅も、橋上駅になる[170][注 15]。大野駅も改修されることになっており[173][98]、大野駅前では整地作業が行われ[167]、内外装を改修した[174]。更に、大野駅も棒線駅となる。 福島県では、双葉町、大熊町、夜ノ森駅周辺の避難区域解除を、同区間の営業再開に合わせ実施するという[166][175][151][176][98]。避難区域解除は、双葉駅前は2020年3月4日[177]、大野駅前は2020年3月5日[178]、夜ノ森駅前は2020年3月10日午前6時[178]に実施された[179][180][181][182][注 16]。 そして2020年3月14日、営業が再開された[99][184]。営業再開当日は記念のイベントが開催される予定だったが、新型コロナウイルス肺炎の感染拡大の影響を受け、中止となった[185]。営業再開後は、E531系は原ノ町駅までの運行となり、E657系で品川駅 - 仙台駅間直通の特急列車が運行されるほか、全線再開記念切符も発売され[186][187]、記念ポスターも作られた。 浪江 - 小高間小高駅付近が浸水したほか[119]、室原川橋りょうの破損などが見られた。避難区域の再編後は大半が避難指示解除準備区域、一部が居住制限区域となった。2015年3月の国土交通省発表では、運転再開目標は遅くとも2017年とされた[138]。2016年(平成28年)1月6日より除染・復旧工事に着手し[188][189][190][191]、2017年(平成29年)3月7日には同区間の試運転が開始され[75]、同年4月1日に運行を再開した[76]。浪江駅では2017年(平成29年)10月20日まで終着駅だった竜田駅と同様に副本線である3番線を使用し、2・3番線と1番線の間の線路には仮設の足場が設置されていた。桃内駅では側線が撤去された。 なお、帰還困難区域を除いた浪江町の避難指示については2017年(平成29年)3月31日で解除された[142]。 小高 - 原ノ町間避難区域の再編後は磐城太田以南が概ね避難指示解除準備区域となり、2015年(平成27年)3月の国土交通省発表では、運転再開目標は2016年(平成28年)春とされた[138]。2016年(平成28年)7月12日には南相馬市小高区に出されていた避難指示が帰還困難区域(該当世帯無し)を除き解除されることを受け、同日から除染・復旧工事が完了した小高 - 原ノ町間の運転を再開した[注 17][65][66]。列車は当初、原ノ町 - 相馬間の列車を一部延長するような形で設定となったが、相馬 - 浜吉田間が復旧した2016年(平成28年)12月10日以降は仙台方面との直通も設定[注 18]されたものの基本的に原ノ町駅で系統が分断されている。 小高駅では当初、下り本線の上に仮設の足場を設置して1番線ホームを拡張し、中線のみを用いていたが、浪江駅までの復旧に伴いこの仮設の足場は撤去されている。
原ノ町 - 相馬間この区間は南相馬市内の一部が緊急時避難準備区域となったが、原ノ町駅 - 鹿島駅間で浸水などが発生した程度[119]と前後の区間と比較し被害が比較的少なかった。 原ノ町駅では、2011年(平成23年)8月現在で651系K202編成[192]・415系K534編成・E721系P-9+P-27編成・701系F2-510編成(原ノ町 - 磐城太田間で停止したものを移送)が閉じ込められていた。このうちE721系と701系は後に陸送で搬出されており、651系と415系はしばらく留置されたのち2016年(平成28年)3月に撤去・陸送作業が行われ[193][194]同月中に廃車されている。 代行輸送は区域指定が解除されていない2011年(平成23年)5月23日から相馬駅 - 亘理駅間のバスを延長する形で開始され、同年9月30日の緊急時避難準備区域解除を経て、12月21日に運行を再開した[57]。運行再開の時点では徐行運転とし、2012年(平成24年)1月10日からは本来の速度で運転している[195]。この運転再開時には前後の区間から孤立しており、原ノ町 - 相馬間で取り残された車両(前述)は設備上、直流モーターのブラシ点検ができず運用が困難であったため、交流モーターを用いる701系3編成6両を書類上勝田車両センターへ転属[注 19]の上、2011年(平成23年)12月13日から15日にかけ陸送で搬入、原ノ町運輸区に常駐させて使用していた[57]。 なお、2016年(平成28年)12月10日の相馬 - 亘理間の再開後は震災前と同様、仙台方面への直通が実施されている(次節も参照)。
相馬 - 亘理間この区間は駒ケ嶺 - 亘理間で、新地・坂元両駅の流失など、津波による比較的大規模な設備の浸水・流失が発生したことから、亘理駅の中線にホームを仮設して仙台方面への折り返し運転を行い、相馬 - 亘理間でバス代行が実施された。バス便は各駅停車のほか、途中新地のみ停車する便や、山下 - 亘理の区間便が設定された。途中駅についてはバス停は旧駅とは異なる場所に設置されている場所があった(詳細は各駅の項を参照)。
内陸移設工事この区間についてJR東日本は当初より国道6号線沿いの内陸部への移設も視野に復旧案を検討した[196]。その後、沿線自治体である福島県新地町・宮城県山元町において常磐線の線路移設を含めた都市計画が立てられた[197]こともあり、相馬 - 亘理間のうち、駒ケ嶺 - 浜吉田間については現位置より山側に移設、相馬 - 駒ケ嶺、浜吉田 - 亘理間は現位置で対策工事を行い復旧させることが、2012年(平成24年)3月5日に発表された[198][199]。 うち、浜吉田 - 亘理間については復旧・避難対策完了後の2013年(平成25年)3月16日に先行して運行を再開した[200][201]。ただしバス代行の区間は従来通りとされ、列車交換がない場合の跨線橋利用を避けるため、亘理駅の仮設ホームも存置された。 駒ケ嶺 - 浜吉田間の線路移設工事は新地駅(旧)の駒ケ嶺方約870 mから浜吉田駅の山下方約870 mまでの、全長約14.1 km[202]で行われ、2012年9月27日に用地取得を前提に2014年春に着手することが発表され[203]、2014年(平成26年)5月までに用地買収が完了し、工事に着手した[204]。当初着工から復旧まで3年を見込み、2017年(平成29年)春に相馬 - 浜吉田間が復旧する予定としていたが[205][138]、2016年(平成28年)10月4日には東北運輸局による鉄道事業法に基づく完成検査に合格し[206]、同年11月5日から再開前日まで試運転が行われ[68][69][70]、同年12月10日に運転が再開された[71][207]。同日実施のダイヤ改正では、震災前に運転されていた特急列車と貨物列車の設定はないものの、普通列車は震災前と同等の本数が確保された[208][209]。 本区間はおよそ4割が単線高架で構成され[207]、一部は地平や掘割を用いている。ただし、坂元 - 山下間では工期短縮のため丘陵上の遺跡やサクラの木を避け、掘割ではなくトンネル(第1・第2戸花山トンネル)を用いている[210]。この区間にあった新地駅・坂元駅・山下駅の3駅は新線上に移設され、新地駅は地上駅、坂元駅・山下駅は高架駅となり、新地駅と山下駅には旧駅と同様列車交換設備が設置されたが、坂元駅は棒線駅として復旧された[202][注 20]。 これに伴い駒ケ嶺 - 浜吉田間では各駅間の営業キロが変更され、駒ケ嶺 - 新地間で-0.2 km、その他で+0.1から0.4 km、全体で+0.6 kmの改キロとなった(震災前22.6 km、復旧後23.2 km)が、営業キロと運賃の変更は同区間を含むSuica仙台エリア内で2017年(平成29年)4月1日の磐越西線郡山富田駅開業と同時に実施された[72][78][注 21]。 内陸移設後の旧線の路盤のうち新地 - 山下間は津波防災対策として盛土をして築堤に転用し、その築堤上に福島・宮城県道38号相馬亘理線を建設する工事が進行している。このうち新地駅-福島・宮城県境までは開通済みである。
運行形態「普通列車」とは中距離列車の列車種別としての「普通」列車を指すものとする。 優等列車→常磐線内の優等列車の沿革・停車駅などの詳細については「ひたち (列車)」を、常磐線を経由した対東北優等列車についてはについては「東北本線優等列車沿革」を参照
優等列車は2023年現在、特急「ひたち」が品川駅 - いわき駅・仙台駅間で、「ときわ」が品川駅・上野駅 - 土浦駅・勝田駅・高萩駅間で運行されている[211]。 東日本大震災発生までは全線で特急列車が運行されていた。当初の計画では、2012年のダイヤ改正よりいわき駅 - 仙台駅間に新愛称の特急が設定され、いわき駅で同一ホーム乗り換え可能とされる予定であった[212]が、東日本大震災・福島第一原子力発電所事故の影響で同区間の一部が不通となったことから、新愛称特急の運行計画は白紙となった。上野駅 - 仙台駅間で設定されていた特急「スーパーひたち」は大震災発生以後いわき駅 - 仙台駅間が運休となり、2012年3月17日のダイヤ改正で正式にいわき駅 - 仙台駅間での特急の設定がなくなり上野駅 - いわき駅間での運行となった。2015年3月14日のダイヤ改正で列車名が「スーパーひたち」・「フレッシュひたち」からそれぞれ「ひたち」・「ときわ」に変更され、また同時に上野東京ラインの開業により運転区間が品川駅まで延長された。 2020年3月14日の全線復旧後は、特急「ひたち」のうち3往復が品川駅・上野駅 - 仙台駅間直通で運行されており[104]、車両はE657系を使用している[213][214]。 このほか、かつては東北本線のバイパスとして、上野駅 - 青森駅間の特急「みちのく」、寝台特急「ゆうづる」などが運転されていた。 地域輸送普通列車は全線において運転されている。この中に中距離電車と呼ばれる列車があり、品川駅から取手駅以東の勝田駅まで運転される列車で、現在はE531系電車が使用されている。 1982年11月14日までは上野駅 - 仙台駅間全線を通して走る普通列車もあったが、それ以降はダイヤ改正を重ねるにつれて系統分割が進められた。 2005年7月9日のダイヤ改正では、水戸駅 - 仙台駅間を直通する普通列車がいわき駅での系統分割により消滅し、2007年3月18日のダイヤ改正では、E531系電車へのグリーン車連結により、大半が水戸駅・勝田駅を境に分断され、上野駅 - いわき駅間を直通する列車がなくなった。いわき駅 - 仙台駅間を直通する列車もE721系電車の導入に伴い大半が原ノ町駅で分断された。この改正以降、東日本大震災発生までの普通列車の基本的な運転系統は上野駅 - 水戸・勝田駅間、水戸駅 - いわき駅間、いわき駅 - 原ノ町駅間、原ノ町駅 - 仙台駅間の4つに分かれ、全線復旧した2020年現在もほぼ踏襲された。2015年の上野東京ラインが開業後は一部列車が品川駅まで乗り入れるようになった。 友部駅 - 高萩駅間には水戸線との直通列車が設定されている。2021年3月13日以降、この直通列車のうち友部駅 - 勝田駅間でワンマン運転が開始され、2023年3月18日改正で高萩駅まで拡大された。 品川駅 - 上野駅 - 取手駅間この区間は電車特定区間に含まれており、以下の3系統に分けられる。
複々線区間では通過運転を行う中距離列車と快速電車が快速線を、各駅停車が緩行線を走行する。快速線と緩行線はそれぞれダイヤグラムが独立しており、初電・終電間近の時間帯以外は接続を重視したダイヤ編成を行っていない。我孫子駅 - 取手駅間では、快速線が各駅に停車するため平日朝夕以外の時間帯は緩行線の列車の運行がない。 快速線では、取手駅以北土浦・水戸方面への中距離列車が40%弱を占めており、事実上この区間の輸送を担っている状態にあり、基本的に発車ホームも区別されていない。快速電車と普通列車は列車の性格の違いから、2004年3月12日まで停車駅が異なっていた。かつては普通列車の方が停車駅が少なく、停車駅に天王台駅が追加された1988年から、日中に限り三河島駅と南千住駅にも停車し快速電車と停車駅が同一となった。2004年3月13日のダイヤ改正からは、普通列車も三河島駅と南千住駅に終日停車となり、上野駅 - 取手駅間での停車駅が統一された。また、それに伴い同年10月16日のダイヤ改正より普通列車も上野駅 - 取手駅間では「快速」と案内するようになった[215]。 品川駅 - 上野駅 - 勝田駅間品川駅・上野駅 - 土浦駅間は東京への通勤圏に含まれるため運行本数が比較的多い。日中時間帯は1時間に3本運行されている。土浦駅 - 勝田駅間(一部水戸駅発着)は朝の上りを除き1時間に2 - 3本の運行である。このほか、友部駅 - 勝田駅間では水戸線との直通列車も設定されており、ワンマン運転を行なっている。 原則としてE531系10両または15両編成(グリーン車連結:15両編成は品川駅・上野駅 - 土浦駅間のみ)での運転となり、130km/hでの運転が行われている[注 22]。このほか、土浦駅 - 水戸駅・勝田駅間や水戸線直通の系統では、E531系付属編成のみでの運転があり、前述の通り水戸線直通にはワンマン運転に対応した車両の限定運用となる。 2017年10月14日の改正で、品川駅乗り入れ列車の増発および15両編成列車の増加(品川駅発着列車は全て15両編成化)が行われた[216]。 2022年3月12日のダイヤ改正では、日中時間帯に土浦駅での系統分離や品川駅直通列車の増加が行われた[112]。また、2017年10月改正で消滅した10両編成の品川駅発着列車が復活している。 2024年3月16日のダイヤ改正で、土浦駅 - 水戸駅間の日中時間帯においてE531系付属編成によるワンマン運転が開始された[118]。 特別快速2005年8月24日に開業した首都圏新都市鉄道つくばエクスプレスへの対策として、開業前の同年7月9日に行われた常磐線単独のダイヤ改正で新設された種別である。2022年3月11日まで、日中時間帯に品川駅 - 土浦駅間で1日6往復運転されてきた(新設時は上野駅 - 土浦駅間で下り6本・上り5本の1日5.5往復運転)が、2022年3月12日のダイヤ改正で上りは午前中、下りは夕方の2往復のみの運転となった[112]。車両は新設時よりE531系のみに限定され、最高130km/h運転を実施している。 停車駅は品川駅・新橋駅・東京駅・上野駅・日暮里駅・北千住駅・松戸駅・柏駅で、取手駅 - 土浦駅間は各駅に停車する[注 23]。下りは上野駅で普通[注 24]快速に接続し、取手駅で先行の快速から接続を受ける。上りは、土浦駅で水戸方面からの普通列車の接続を受け、平日9時台を除き取手駅と北千住駅で快速(10時台は中距離列車)に接続する。平日9時台は取手駅で接続する快速がなく、先行の快速を我孫子駅で追い抜く。 北千住駅は2015年3月14日のダイヤ改正より停車駅に追加された。これにより、上りは北千住駅で先発快速と相互接続し追い抜くようになった。
グリーン車東北本線(宇都宮線)・高崎線などでの普通列車グリーン車の利用が好調なことから[217]、常磐線でも2007年1月6日よりE531系の4・5号車に順次普通車扱いで連結し、同年3月18日のダイヤ改正から営業を開始した。導入区間は上野駅 - 高萩駅間で、上野駅・我孫子駅発着の普通列車・特別快速の全列車に導入された。勝田駅 - 高萩駅間は朝夕夜の一部列車のみ。また土浦駅で切り離しとなる列車もある。土浦駅以北のみを運転する列車でも、下り2本、上りは土休日に2本のグリーン車連結列車がある。 グリーン車は、2007年1月から3月までの普通車として利用することができた期間中に、いわき駅まで乗り入れたことがある[注 25]。 あわせて、他の普通列車グリーン車導入線区と同様にグリーン車Suicaシステムも導入された。当初、これに伴うSuicaの区間延長は行われなかったが、2008年3月15日より小木津駅 - 高萩駅間がSuicaエリアに加わり、それに伴いこの区間もグリーン車Suicaシステム対応となった。 2017年10月14日から2019年3月15日まで、深夜の水戸発大津港行きの列車がE531系基本編成で運転されていたが、高萩駅 - 大津港駅間のグリーン車は普通車扱いだった。また、E501系の運用が何らかの都合でE531系に差し替わることがあり、この時はグリーン車は普通車扱いとなる。 なお、常磐線内発着のグリーン券は、上野東京ライン開業後の2015年3月より東京・新橋・品川での東海道本線・横須賀線大船方向の乗り継ぎが有効となっている。「乗り継ぎ料金制度#普通列車」を参照。 水戸駅 - いわき駅間この区間の普通列車は、一部普通列車にグリーン車を導入した2007年3月18日の改正で土浦・上野方面との直通が大幅に削減され、水戸駅を越えて運行する列車は、土浦駅発着列車や水戸線直通列車、朝の上りと夜間下りの上野駅 - 高萩駅間の列車などに限定されている。なお、水戸線直通列車も水戸駅・勝田駅で分断され減少傾向にある。土浦・上野方面の列車とは早朝・夜間を除き水戸駅で接続している。上りには勝田駅で特急ときわの接続待ち合わせを行う列車が日中と夕方に設定されている。また、後述のようにいわき駅を越えて広野駅・原ノ町駅に直通する列車も設定されている。原ノ町駅発着の列車は東日本大震災前までにもあり、全線復旧後も再び設定されている。 水戸駅 - いわき駅間の普通列車は、日中時間帯で1時間に2本の普通列車が運転されており、半数程度が高萩駅発着の区間運転となっている(勝田駅が始発・終点となる上野駅・水戸線小山方面発着列車を除く)。2016年3月26日のダイヤ改正で、日中のパターンダイヤ化が実施されたものの運転間隔は20分 - 40分前後と幅がある。 夜間(下り水戸発21時台以降、上りいわき発19時台以降)は運転頻度は1時間に1本程度になる。また、いわき行きの下り終電は、普通列車よりも特急列車の方が遅くまで設定されている。 車両はE531系(いわき駅発着系統は付属編成のみ)とE501系で運用されている。 2023年3月18日のダイヤ改正からE531系付属編成によるワンマン運転が開始され、日中に本区間で運行される普通列車の約7割がワンマン運転となっている[117]。 いわき駅 - 原ノ町駅間→東日本大震災による被災区間の現状および復旧中の運用については「#不通区間の復旧と現状」の節も参照
この区間は2007年のE721系投入時に大半の列車が原ノ町駅でいわき駅 - 仙台駅間を直通する普通列車の系統分断が行われ、2011年の震災を迎えた。震災後は一部区間が運休となりバスによる代行輸送が行われていた。 いわき駅 - 原ノ町駅間ではE531系により1日11往復の列車が設定されており、これに加えて、いわき駅 - 久ノ浜駅・広野駅間の列車も設定されている。原則としていわき駅で特急列車との対面接続が行われている。一部列車は水戸駅発着の直通運転を行っている[218][219]。 2020年3月14日の全線復旧の前日までは浪江駅 - 原ノ町駅間では1日11往復の列車が701系と719系を使用して運行されていた。このうち、701系を使用する列車は朝の1往復のみで、それ以外は全て719系を使用していた。原則として仙台方面とは原ノ町駅で乗り換えとなっていたが、下り2本と上り1本は仙台駅発着となっていた(ただし、上りは一旦原ノ町行きとして運転され、原ノ町駅到着時に行き先と列車番号を変更する。下りは最初から仙台行きとして運転)。全線復旧後は、仙台駅発着列車はなくなった。 2011年の東日本大震災発生までのいわき駅 - 原ノ町駅間での運転本数は1時間に1本程度で、いわき駅 - 富岡駅間の列車(富岡駅で留置)も設定されていた。また、701系電車を使用する日中の一部列車でワンマン運転が行われた[50]。運転再開後のいわき駅 - 原ノ町駅間ではワンマン運転は行われず、全列車に車掌が乗務していたが、2024年3月16日のダイヤ改正からE531系付属編成によるワンマン運転が開始された[118][注 26]。 この区間は基本的に全列車先着であるが、上り1本のみ広野駅で特急の待避を行う。 原ノ町駅 - 仙台駅間→東日本大震災による被災から2016年の復旧までの運用については「#不通区間の復旧と現状」の節も参照
線内で完結する列車はなく、全列車が岩沼駅から先、東北本線を経由し仙台駅まで向かう運転形態となっており、原ノ町駅 - 仙台駅間の列車が1時間に1 - 2本程度運行されている。朝夕には新地駅・山下駅 - 仙台駅間の区間運転も設定されている。また、朝の2往復は仙台以北の利府支線の利府駅まで直通運転を行っていたが、のちに1往復に減便され、さらに2023年3月のダイヤ改正で利府支線への乗り入れは完全に終了した。震災前には朝5時台に相馬始発原ノ町行きの設定があり、当時の特急「スーパーひたち」に接続していた。2016年の復旧時にはこの1本を除いて震災前の本数が維持された。 過去の列車
臨時列車水戸支社管内から団体専用列車のほか、東京や栃木県などを結ぶ臨時列車が運行されることがある。また、沿線で大規模なイベントが行われる場合は、以下の臨時の普通列車・快速列車が運転されることがある。
このほか、東北本線が大雨や災害で不通になった際に寝台特急「北斗星」が常磐線経由で走行したことがあった。また、東北新幹線が地震による災害や設備の故障で長期間運行できない場合には、いわき行きの特急「ひたち」を仙台まで延長運転することがある。その場合いわき - 仙台間は快速列車となり、グリーン車以外は全車自由席、乗車券のみで乗車できる。[226] 貨物輸送JR貨物の貨物列車は、2014年3月ダイヤ改正時点[227]では、田端信号場駅 - 三河島駅 - 泉駅間で運行されている。田端貨物線を経由して田端信号場駅からは東北本線と山手貨物線、金町駅からは新金貨物線、馬橋駅・北小金駅からは武蔵野線、泉駅からは福島臨海鉄道線とそれぞれ直通運転が行われている。 馬橋駅以北で運行されている貨物列車は定期で1日3往復となっており、東京貨物ターミナル駅 - 福島臨海鉄道線小名浜駅間のコンテナ高速貨物列車1往復、隅田川駅 - 土浦駅間のコンテナ高速貨物列車1往復、信越本線安中駅 - 福島臨海鉄道線宮下駅(2015年1月13日以降は小名浜駅)間の鉱石輸送の専用貨物列車(通称「安中貨物」)1往復が運行されている。 東京近郊では、隅田川駅 - 馬橋駅間で隅田川駅発着の武蔵野線・東北本線・中央本線方面などの列車が、また金町駅 - 馬橋駅間では武蔵野線と新金貨物線を経由する千葉地区発着の列車3往復が運行されている。 東日本大震災以前は全線で貨物列車が運行されており、震災前に作成された2011年3月12日改正ダイヤでは、首都圏から水戸駅や東北・北海道方面の列車があわせて5往復設定されていた[228]。2012年3月ダイヤ改正では、これらのうち東北・北海道方面の4往復中3往復が東北本線経由、1往復が高崎線・上越線・羽越本線・奥羽本線経由(日本海側ルート)での運行にそれぞれシフトされた[229]。 常磐線における定期貨物列車の発着駅は、隅田川駅・土浦駅・日立駅の3駅となっている[227]。 運行車両取手以南の快速電車・各駅停車で運用される車両については、「常磐快速線」、「常磐緩行線」を参照。以下に示す車両は機関車を除きすべて電車である。 前述の通り当路線は取手駅以北が交流電化であることに加え混雑が激しいことや、並行する交通機関との競合もありJR東日本では山手線や中央本線とともに新形式が最初に導入される路線の一つになっている。 三河島事故の影響から、列車防護無線の整備がいち早く行われ、当時常磐線系統で使用された車両には「常磐無線アンテナ」と呼ばれる専用の列車無線アンテナが設置された。この無線は1986年(昭和61年)11月改正で全国導入されたタイプに交換され、姿を消している。 特急列車勝田車両センター所属の車両で運用される。
普通列車・特別快速
機関車以下の機関車が貨物列車や客車による旅客列車を牽引している。
過去の車両電車
気動車
このほか、1936年(昭和11年)に日暮里駅 - 松戸駅間が電化された際に、上野駅 - 松戸駅間の電車とともに、松戸駅 - 取手駅間でガソリンカーによる区間列車の運行が開始された。1947年(昭和22年)11月時点でガソリンカーによる松戸駅 - 取手駅間の区間列車は1日4本運行されていた[236]。1949年(昭和24年)に松戸駅 - 取手駅間が電化され、電車運転区間が延長されたことに伴い、運行を終了した。 客車機関車
運賃計算の特例連絡運輸常磐緩行線は東京メトロ千代田線と相互直通運転をしているが、運賃計算の境界駅は町屋駅方面が北千住駅、北綾瀬駅方面が綾瀬駅となっている。ただし、JRでは、常磐線の北千住 - 綾瀬間相互発着となる乗車券は発売しない。 以下の区間には通過連絡運輸の設定がある。いずれも発券範囲に限りがある。普通連絡乗車券の場合、前者は駅自動券売機でのみの取り扱い、後者はみどりの窓口など有人窓口でのみの取り扱いとなる。
特定の分岐区間に対する区間外乗車の特例常磐線の(戸籍上の)起点である日暮里駅には宇都宮線・高崎線列車用のホームが存在しないこと、常磐線用のホームも手狭であること、東北・山形・秋田・上越・北陸新幹線との乗り換えの便を図ることなどの理由により、折り返して乗車できる特例が存在する(ただし、折り返す区間内で途中下車はできない)[237]。
沿線住民による運動など愛称路線名の提案1997年、茨城県南常磐線輸送力増強期成同盟会が上野 - 土浦間に東京、土浦のそれぞれ一部に都市を組み合わせた「京浦都市線」(きょうほとしせん)という愛称を付ける提案をした。この愛称は同盟会が公募を行い決定した。しかし、常磐線沿線の千葉県東葛地域(松戸市、柏市、我孫子市など)の各自治体から猛反発を受け、JR東日本も消極的姿勢をとったため、この愛称は使用されていない。この語の使用を支持しているのは、土浦市や牛久市など同盟会加盟自治体である。各々の自治体の住民には全く浸透しておらず、常磐線の名称に対する反発もほとんどない。 特別企画乗車券をめぐる運動特別企画乗車券(トクトクきっぷ)の「東京自由乗車券」に代わって2006年3月18日に発売を開始した「都区内・りんかいフリーきっぷ」では、常磐線エリアのみが発売対象エリアから外れていた。 これに対し、牛久市議会が問題を提起し、9月4日には「都区内・りんかいフリーきっぷ導入に関する要望書」を牛久市議会にて全会一致で議決するなど、常磐線沿線自治体を巻き込んだ要望活動がなされた。その結果、翌2007年1月15日より「都区内・りんかいフリーきっぷ」を常磐線藤代駅 - 勝田駅間に限定して発売することになった。なお、「都区内・りんかいフリーきっぷ」は、2013年3月31日利用開始分を以って発売を終了した。 つくばエクスプレスとの関係2005年8月24日に開業した首都圏新都市鉄道つくばエクスプレスは、元々常磐線の混雑緩和を主要な目的に「常磐新線」として計画・建設された[8]。しかし、バブル景気を経た時期より変容し、単純に輸送力の転移だけではなく、同沿線内の住宅開発などを行うなど総合的な計画になった。また、JR東日本が採算上「常磐新線」を断念したこともあり、JR東日本側にとっては、輸送力の転移による協調関係ではなく、競合関係へと変化した(ここまでの詳細については首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス#歴史も参照)。 このため、2005年7月9日に常磐線単独でのダイヤ改正が行われ、つくばエクスプレスと競合する常磐線上野駅 - 土浦駅間においては、新型車両E531系が投入され、この車両を使用して上野駅 - 土浦駅に限定し130km/h運転を行う特別快速が下り6本・上り5本設定された。都心方面のJR利用促進目的もあり、2006年3月18日のダイヤ改正より北松戸駅 - 南柏駅間と上野方面・土浦方面などの接続が改善され、運転本数も上りが1本増発され6往復となっている。一方で北千住駅はこの時点では通過していた(2015年3月のダイヤ改正で上野東京ライン直通の際に停車開始)。なお、JRでは2007年3月18日のダイヤ改正で、土浦駅以南の中距離列車が全てE531系へ置き換えられ、取手駅以南のE231系と共にスピードアップされた。また、上野 - 高萩間ではグリーン車の営業も開始した。 反面、実際の利用状況を踏まえて供給調整した面もある。ラッシュ時に運行されていた通勤快速は全廃されて特急列車や普通列車に置き換わったほか、元々輸送過剰気味であった昼間の快速電車が一部減便された。また、特急「フレッシュひたち」は千葉県内で地元からの利用が少ない我孫子駅・松戸駅を通過とし、利用の多い柏駅停車に統一された(朝8時台までの上り列車は、柏駅を含め千葉県内の各駅は全て通過。スーパーひたち7号は松戸駅停車が継続されたが、ひたち3号に改称された2015年3月14日改正で柏駅停車に変更)。 2015年3月14日から常磐線の品川駅乗り入れ(上野東京ラインの節も参照)が始まった。 一方で、つくばエクスプレス開業の当初の目的であった常磐線の混雑緩和は、2005年度の常磐線ラッシュ時混雑率が、快速線(快速電車のみ)は松戸 - 北千住間で約170%、緩行線は亀有 - 綾瀬間で約180%まで減少したが、快速線では快速電車の減便などの要因で、2006年度の混雑率は再び上昇に転じている(その後再び減少している)[238]。 上野東京ライン→「上野東京ライン」も参照
東北新幹線の建設に伴い分断されていた上野駅 - 東京駅間の東北本線の列車線約3.8km(営業キロ3.6km)が2015年3月14日に「上野東京ライン」として復活し、常磐線が宇都宮線・高崎線とともに上野駅から東京駅を経由し品川駅まで乗り入れている[239]。 東京駅と直結することで従来の所要時間を約9分短縮でき、つくばエクスプレスの開業による常磐線の利用者減少に歯止めが掛かることが期待されている。 2014年10月30日に直通運転の概要が発表され[239]、常磐線は、朝通勤ラッシュピーク時間帯(東京駅基準8時台)以降の一部列車が品川駅までの直通運転を行う。朝ラッシュ時間帯(東京駅8時 - 9時)は快速電車のみ5本が品川行きとなる(これは同時間帯に5本ずつ東海道線に直通する宇都宮線・高崎線と同数)。それ以降は、データイムは特急列車の全列車と中距離列車の一部列車、夕・夜間は特急列車の一部列車と快速電車がそれぞれ品川駅まで直通となり、全時間帯・全列車品川駅以南には直通しない。 なお、2014年5月18日付けの茨城新聞では、「上野東京ラインに3線全ての列車が乗り入れることは物理的に困難で、今後の振り分け本数も注目される。ある国土交通省幹部[誰?]は『利用実績で割り振るのが基本だが、北関東から南関東へ抜ける湘南新宿ラインのような路線がないこともあり、常磐線はかなりの本数が入るだろう』と見通しを明かす」と報じている。 運輸省(現国土交通省)が2000年に実施した都道府県間鉄道流動統計データ(幹線鉄道旅客流動実態調査)によると、東京圏(東京都、神奈川県、埼玉県、千葉県)から鉄道で茨城県に移動した年間旅客数は277.6万人と集計され、栃木県の481.8万人より大幅に低く、群馬県の287.5万人とほぼ同程度に見えるが、この調査は新幹線を含む特急列車を利用した旅客が対象である。 駅一覧本線(品川駅・日暮里駅 - いわき駅間)便宜上、常磐線列車が乗り入れる品川駅 - 日暮里駅間も併せて記載する。
本線(いわき駅 - 岩沼駅・仙台駅間)便宜上、常磐線列車が乗り入れる岩沼駅 - 仙台駅間も併せて記載する。
貨物支線全駅東京都内に所在
過去の接続路線
発車メロディ発車メロディは基本的に東洋メディアリンクス製の「Water Crown」と「Gota del Vient」が使用されているが、首都圏本部(旧東京支社)管内ではユニペックス製・テイチク製・サウンドファクトリー製の発車メロディも使用している。 2024年6月時点で、独自のメロディを採用している駅は以下の通り。詳細・過去の使用曲は各駅の項目を参照。
利用状況平均通過人員各年度の平均通過人員(人/日)は以下のとおりである。
乗車人員
脚注注釈
出典
参考文献
関連項目
外部リンク |