直別信号場
直別信号場(ちょくべつしんごうじょう)は、北海道釧路市音別町直別にある北海道旅客鉄道(JR北海道)根室本線の信号場。電報略号はチク。事務管理コードは▲110428[3]。旅客営業当時の駅番号はK43。 歴史当初は駅として開設されたが、利用者減少により2019年(平成31年)3月16日に旅客取り扱いを廃止し[4]、信号場となった[5]。
信号場名の由来所在地名より。「直別」の地名は所在地の釧路市音別町から隣接する浦幌町にかけて跨る地名であり、現在の直別川を指すアイヌ語の「チュㇰペッ(cuk-pet)」(秋・川)に由来する[8][20][21]。由来について江戸時代後期のアイヌ語通詞である上原熊次郎は秋に現在の川辺で小魚を捕り、食糧としたためとしているほか、明治時代のアイヌ語研究者である永田方正は、夏に水が涸れ、秋には増水したためと解釈している[20][21]。 このほか、松浦武四郎が『東蝦夷日誌』においてクスリ(今の釧路)で聞いた説として、かつて川上に月ぐらい明るい隕石が落ちたことにより「チュㇷ゚ペッ(cup-pet)」(月・川)と名付けられた、と紹介しているが[21]、上原による説・解釈が自然とされる[20]。 構造2線を有する列車交換型の信号場。根室本線は1996年(平成9年)の営業最高速度向上(85 km → 130 km)に合わせて一線スルー型とした駅もいくつかみられるが、当駅は前後に半径300m台の曲線が連続し高速での通過は行えないことから、一線スルー型とはせずに最高 75 km/h(改良当時運行していたキハ283系の場合)で通過可能な両開き分岐器によって対応している[15]。 旅客駅時代末期は相対式2面2線のホームを有し、跨線橋で結んだ地上駅(駅舎側1番線が下り、2番線が上り)であった。駅舎は無人化後も有人駅時代のものが減築の上使用されていたが、2003年(平成15年)の十勝沖地震で倒壊し、ログハウス調の建物となっていた[5]。
利用状況1960年代は開拓農家のほか国鉄職員、北海道電力直別変電所職員の利用があった[5]。また、1961年(昭和36年)に中学校が閉校となったことで、通学利用もあった[5]。駅として廃止される直前の2016年(平成28年)にJR北海道から発表された2011 - 2015年(平成23 - 27年)の乗降人員調査(11月の調査日)平均は「10名以下」[22]であった。 なお貨物については、1926年(大正15年)の主要発送貨物として、木材・ダイコン・テンサイが挙げられている[5]。 駅周辺駅付近に住宅が数軒ある。駅のすぐ西に十勝郡浦幌町との市町境界がある。 隣の駅記録と調査釧路市立博物館では、廃止になった駅や簡易軌道などの調査と研究を行っており、記録や資料、証言を収集している。2019年(平成31年)3月16日の尺別駅と直別駅の廃止に合わせ、同年3月2日から4月6日、同館常設展示室内においてミニ企画展「尺別駅と直別駅」が開催され、両駅の駅名標や時刻表、行先標などが展示された。また同年9月15日、展示内容とその後の調査結果などをまとめたブックレット『尺別駅と直別駅』が刊行されている[24]。 脚注注釈
出典
参考文献
関連項目 |