石川 陽生(いしかわ あきお、1963年3月5日 - )は、将棋棋士。棋士番号は177。東京都新宿区出身。高田丈資七段門下。2023年引退。
棋歴
プロデビュー前
- 10歳から将棋を始めた。「4人兄弟で兄達が将棋を指すところを見て『負かしてやりたい』との闘争心に火が点いた」という。中学生でアマ四段となり、この頃から棋士を目指し始めると、14歳で奨励会に入会した[1]。
- 奨励会二段の頃、第5回(1982年度)「若駒戦」の決勝(東西決戦)で有森浩三に勝って優勝。同棋戦では翌年も決勝進出している(神崎健二に敗れ、準優勝)。その後、規定の成績を挙げて、1986年度にプロデビュー。
プロデビュー後
- 1987年度の第46期順位戦にて順位戦に初参戦。最終局で4勝目を挙げた結果、合計4勝6敗で辛うじて降級点の回避に成功した。
- 1988年度の第47期順位戦では8勝2敗の好成績を収めるが、当期のC級2組は8勝2敗の者が石川を含めて10名いる大激戦であり、順位差で昇級ならず。
- 1991年度、第50期順位戦で9勝1敗の好成績を収めた結果、2位でC級1組へ昇級した。また、第4期竜王戦では昇級者決定戦を制して、5組へ昇級した。
- 1993年度は第6期竜王戦の5組ランキング戦で準優勝し、4組へ昇級した。しかし第9期竜王戦(1996年度)で3連敗し、5組へ降級した。
- 1999年度、第58期順位戦のC級1組で苦戦した結果、2勝8敗に終わり初の降級点となってしまった(翌年度に6勝4敗と勝ち越して降級点を消去)。その他、第49回NHK杯にて初めて予選を突破すると、本戦でも2連勝した。
- 2001年度、第14期竜王戦で3連敗し、6組へ降級した。
- 第44期(2003年度)第44期王位戦の予選で中原誠、深浦康市に勝ってリーグ入りする活躍。リーグでは1勝に留まり、残留失敗。
- 2005年度、第13期銀河戦の決勝トーナメントに初進出(1回戦で敗退)。本戦ブロックの2連勝で進出という幸運だった。
- 第56回(2006年度)NHK杯戦では、阿久津主税、森下卓に勝ち、ベスト16入り。
- 2007年度、第66期順位戦のC級1組で3勝7敗に終わり、再び降級点となった。第79期棋聖戦と第57期王将戦では二次予選決勝まで勝ち進むが、それぞれ屋敷伸之と藤井猛に敗れて、惜しくも本戦・リーグ入りならず。
- 2008年度は第57期王座戦で勝ち進むが、二次予選決勝で森内俊之に敗れ、またしても本戦入りならず。
- 2009年度、第68期順位戦のC級1組で再び3勝7敗に終わり、2回目の降級点でC級2組へ陥落となった。
- C級2組でも順位戦の不調は止まらず、2012年度(第71期順位戦)~2014年度(第73期順位戦)の3年連続で降級点となり、結果降級点3でフリークラスへ陥落した。
- その後も調子の上がらない期間が続いたが、2020年度に若手強豪棋士の渡辺和史や黒沢怜生[2]相手に勝利する活躍を見せると、2021年度はフリークラス編入後で初めての二桁勝利(10勝11敗)を収めた。翌2022年度も12勝11敗だったが、満60歳に達したためフリークラス棋士の引退規定により2023年度は参加中の竜王戦昇級者決定戦を残して引退が決定した[3]。
- 2023年9月14日、第36期竜王戦(6組昇級者決定戦)の藤原直哉七段との対局で敗退し引退となった[4]。
棋風
人物・エピソード
- 「撮影に入ると、キリッとした表情になるプロ意識の高い棋士」と評されている[5]。
- 順位戦デビューとなった第46期順位戦の最終局は、A級経験者の強豪である五十嵐豊一が相手だった。前述通り石川が勝利して4勝目を挙げた結果、五十嵐は1つ目の降級点を取得する事になり、この敗局を最後に引退している。
- 2001年以来、長野県松本市の窪田空穂記念館で、他の棋士を伴って窪田空穂生家将棋教室を開講している[6]。
昇段履歴
- 1977年11月01日 : 5級 = 奨励会入会
- 1978年05月01日 : 4級
- 1978年08月01日 : 3級
- 1979年08月01日 : 2級
- 1979年11月01日 : 1級
- 1980年10月01日 : 初段
- 1981年12月01日 : 二段
- 1983年06月01日 : 三段
- 1986年05月14日 : 四段 = プロ入り
- 1991年07月16日 : 五段(勝数規定 /公式戦100勝、通算100勝85敗)
- 1998年07月30日 : 六段(勝数規定 /五段昇段後公式戦120勝、通算220勝196敗)
- 2007年10月23日 : 七段(勝数規定 /六段昇段後公式戦150勝、通算370勝347敗)[7]
- 2015年04月01日 : 七段(フリークラス編入、通算459勝469敗=七段昇段後89勝112敗)
- 2023年09月14日 : 引退(フリークラス規定、通算522勝559敗)[4]
主な成績
在籍クラス
年度別成績
公式棋戦成績
年度 |
対局数 |
勝数 |
負数 |
勝率 |
(出典)
|
1986
|
24 |
12 |
12 |
0.5000 |
|
1987
|
30 |
12 |
18 |
0.4000 |
|
1988
|
40 |
25 |
15 |
0.6250 |
|
1989
|
45 |
25 |
20 |
0.5556 |
|
1990
|
35 |
20 |
15 |
0.5714 |
[10]
|
1986-1990 (小計)
|
174 |
94 |
80 |
0.5402 |
|
年度 |
対局数 |
勝数 |
負数 |
勝率 |
(出典)
|
1991
|
37 |
24 |
13 |
0.6490 |
[11]
|
1992
|
41 |
25 |
16 |
0.6100 |
[12]
|
1993
|
35 |
17 |
18 |
0.4860 |
[13]
|
1994
|
31 |
15 |
16 |
0.4830 |
[14]
|
1995
|
26 |
9 |
17 |
0.3460 |
[15]
|
1996
|
32 |
15 |
17 |
0.4690 |
[16]
|
1997
|
29 |
15 |
14 |
0.5170 |
[17]
|
1998
|
32 |
16 |
16 |
0.5000 |
[18]
|
1999
|
34 |
15 |
19 |
0.4410 |
[19]
|
2000
|
35 |
19 |
16 |
0.5428 |
[20]
|
1991-2000 (小計)
|
332 |
170 |
162 |
0.5120 |
|
年度 |
対局数 |
勝数 |
負数 |
勝率 |
(出典)
|
2001
|
29 |
11 |
18 |
0.3793 |
[21]
|
2002
|
31 |
15 |
16 |
0.4838 |
[22]
|
2003
|
30 |
15 |
15 |
0.5000 |
[23]
|
2004
|
34 |
18 |
16 |
0.5294 |
[24]
|
2005
|
34 |
20 |
14 |
0.5882 |
[25]
|
2006
|
32 |
16 |
16 |
0.5000 |
[26]
|
2007
|
35 |
17 |
18 |
0.4857 |
[27]
|
2008
|
32 |
18 |
14 |
0.5625 |
[28]
|
2009
|
26 |
9 |
17 |
0.3461 |
[29]
|
2010
|
31 |
14 |
17 |
0.4516 |
[30]
|
2001-2010 (小計)
|
314 |
153 |
161 |
0.4872 |
|
年度 |
対局数 |
勝数 |
負数 |
勝率 |
(出典)
|
2011
|
21 |
6 |
15 |
0.2857 |
[31]
|
2012
|
25 |
9 |
16 |
0.3600 |
[32]
|
2013
|
33 |
14 |
19 |
0.4242 |
[33]
|
2014
|
29 |
13 |
16 |
0.4482 |
[34]
|
2015
|
19 |
7 |
12 |
0.3684 |
[35]
|
2016
|
18 |
7 |
11 |
0.3888 |
[36]
|
2017
|
19 |
8 |
11 |
0.4210 |
[37]
|
2018
|
15 |
4 |
11 |
0.2666 |
[38]
|
2019
|
15 |
4 |
11 |
0.2666 |
[39]
|
2020
|
20 |
9 |
11 |
0.4500 |
[40]
|
2011-2020 (小計)
|
214 |
81 |
133 |
0.3785 |
|
年度 |
対局数 |
勝数 |
負数 |
勝率 |
(出典)
|
2021
|
21 |
10 |
11 |
0.4761 |
[41]
|
2022
|
23 |
12 |
11 |
0.5217 |
[42]
|
2023
|
3 |
2 |
1 |
0.6666 |
[43]
|
2011-2013 (小計)
|
47 |
24 |
23 |
0.5106 |
|
通算
|
1081 |
522 |
559 |
0.4828 |
|
2023年9月14日引退
|
著書
脚注
関連項目
外部リンク