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河川敷で行なわれる芋煮会(山形風芋煮 )
仙台 ・宮城 風芋煮
芋煮会 (いもにかい)とは、山形県 や宮城県 など東北地方 各地で行われる季節行事で、秋 に河川敷 などの野外にグループで集まり、サトイモ を使った鍋料理 などを作って食べる行事である。バーベキュー と併行して行われることが多い。
呼称には地域差があるが、ここでは総称として「芋煮」「芋煮会」という呼称を用いる。
概要
芋煮会は、親睦を深める行事として、家族・友人・地域・学校・職場などのグループで行われている。山形県、宮城県では特に盛んに行われ、秋の風物詩 となっている。また、新潟県 や関東地方 では、地域イベントを中心に芋煮会が行われている。芋煮会を開催する人々にとっては野外での宴会 (またはお楽しみ会 )のひとつであり、春 の花見 ・秋 の芋煮会として双璧をなす。
在来種の種芋苗を用いた東北地方でのサトイモ栽培では、収穫時期が例年10月 頃になるため、一般的な芋煮会も大抵10月初旬から徐々に行われ始める。その後、大体10月下旬から11月 初旬にかけてがピーク期となり、紅葉 シーズンの終了、または、初雪 が降ると共に終息する。
平成に入る頃からは、「町おこし 」や「食のイベント」として大規模な芋煮イベントも行われるようになった。これらのイベントの内いくつかは、一般的な芋煮会のシーズンである秋とは異なる開催時期のものもあり、東北では盛夏や晩夏の開催例が見られ、関東では、春の開催例や東北では寒さのために既に下火となっている11月末の開催例も見られる。
なお、飲みニケーション のように芋煮とコミュニケーション を合わせ、芋煮会での交流を表す「イモニケーション」との造語を使用している者もいる[ 1] [ 2] 。
歴史
芋煮会の起源については各地に様々な謂れがある。また、民俗学者 の野本寛一 は、サトイモの収穫祭が芋煮会に発展したものではないかと述べている[ 3] 。
山形県村山地方
江戸時代
山形県の村山地方 では、江戸時代の芋煮会の原型の様子をあらわす話がいくつか伝わっている。
中山町 長崎では、里芋を鍋で煮て食べるときに鍋をかけたという言い伝えのある「鍋掛の松」が1917年(大正6年)まで残っていた。鍋は、近くの小塩地区の名産だった里芋「小塩芋」と、船に積んできた棒鱈 と、最上川でとれたザッコ(川魚)をいっしょに煮たものだったという。長崎は、1693年(元禄6年)の最上川五百川峡・黒滝の開鑿 までは酒田港 と結ぶ最上川舟運の終着港として賑わっていた。このことから、元禄時代以前の船頭たちが積荷を使って鍋をしたのが芋煮会のはじまりであると山形の郷土史家である烏兎沼宏之 は述べている。鍋掛の松は、芋煮のルーツをあらわす伝承遺跡として復元されている[ 6] 。
文化 ・文政 時代(19世紀初頭)には、山形に移り住んだ近江商人たちが、京都の芋棒 に思いを馳せながら、ニシン と里芋を煮て紅花取引の慰労会をしたという。
また、1845年(弘化2年)には、山形藩 藩主の秋元志朝 が、館林藩 に転封されるときに芋煮の野宴を張ったとされる。
明治時代以降
明治時代(19世紀後半から20世紀初頭)になると、街の粋人たちが「野掛」といわれた山の芋煮を川原でもするようになり、1892年(明治25年)ころから川原での芋煮が定着した。以降、芋煮会は、山形に置かれていた帝国陸軍 歩兵第32連隊 の兵士たちや山形高等学校 (旧制) の学生が行ったり、見合いや商談、送別の場となったりした。
芋煮に牛肉が使われるようになったのは、昭和の初め(1920年代後半)頃からである。養蚕 農家の人たちが、秋蚕後に繭業者の経費負担で芋煮会を最上川の川原で行い、そのときに当時普及し始めていた牛肉をおごらせたのが最初とされている。なお山形市内には明治時代に創業した牛肉店が多く、牛肉はその頃から普及しはじめたと考えられる。山形高校に在籍した作家の戸川幸夫 は、1932年 (昭和7年)の芋煮会の様子をエッセイ「わが山高時代の芋煮会」で記述しており、その頃からすでに山形名物の芋煮は盛んで、大鍋に芋、ねぎ、牛肉およびその代替品としての馬肉、こんにゃくなどを入れ、酒を酌み交わしていた、としている[ 7] 。また、中山町立長崎小学校 から1941年 に山形県中学校(のちの山形県立山形東高等学校 )に進学した烏兎沼宏之は当時、長崎町内の学生団として自分たちで開催したほかには、最上川でも馬見ヶ崎川でも芋煮会の姿は見かけなかったとしている。芋煮の材料は1980年代と同じく、里芋、牛肉、こんにゃく、ねぎが主であった。太平洋戦争 の激化により、烏兎沼らが芋煮会を開催したのは1942年までであった。
1945年 (昭和20年)の終戦後数年は、肉の代わりにイカ を入れていた。暮らしが豊かになると、会場が飲食店に移り、川原の人影は消えていった。
1974年 (昭和49年)、山形市と山形市観光協会が伝統的な芋煮の研修会を開いたところ、大きな反響があり、川原での芋煮会が促されるようになった。1977年 (昭和52年)からは、前年の唐松観音堂 復元を機会に「山形いも煮祭り」が開催された。その後は、山形市内のスーパーマーケット が芋煮の材料や薪などのセット販売や鍋の貸出をしたり、飲食店のメニューに芋煮が加わったり、レトルトの芋煮が販売されたりするようになり、芋煮会はますます盛んになっていった。こうした動きの中、1989年(平成元年)に「日本一の芋煮会フェスティバル」が開催され、10万人の人出を集めた。
山形市で里芋を栽培・販売しているさとう農園株式会社は、明治時代に行われた馬見ヶ崎川 改修工事がきっかけで河原での芋煮会が広まったとしている[ 11] 。1891年(明治24年)まで行われた馬見ヶ崎川改修工事において、河川改良工事に従事した人たちは河原で大鍋を用いたちゃんこ鍋 のようなものを昼飯として食べていた。これらの人たちが、1945年の終戦後に当時を偲んで河原で秋に大鍋を囲むようになり、その具材として里芋も用いたのだという[ 11] 。
多様化
1980年代には、旅館やアウトドア 施設が花見などと同様に「芋煮会プラン」を商品化し始め、シーズンに入るとタウン情報誌 や新聞 折込チラシ などで多数の広告 を見るようになった。また、アウトドア施設(フィールドアスレチック )、遊園地 、温泉 旅館の他、紅葉 スポット(紅葉狩り )、渓流 (釣り 、カヌー )、海岸 の砂浜 (釣り)など、何か別のアミューズメントとの組み合わせで芋煮会が行われるようになった。対して、以前の中心地である「河原」での芋煮会は、今も主流であるものの、往時と比べて少なくなってきた。
現在では、地域のイベントとして定着しているところもある。
近年は、ホテルのレストランを中心に芋煮を含め、様々な秋の味覚を取り揃えた季節限定コース料理も供されるようになり、収穫祭的な芋煮会の楽しみ方は多様化が進んでいる。
年表
だった。これを受けて3市町は連携し、芋煮を通じた食文化の交流や観光振興を図っている。
2018年 (平成30年)11月4日 、寒河江市商工会(山形県寒河江市 )主催で、宮城県仙台市の都心部 にある錦町公園 にて「東北芋煮サミット 」が開催された[ 14] 。青森県を除く東北5県の芋煮が提供されたが、具材のサトイモは寒河江市の子姫芋を用い、また、同市の様々な物産の販売ブースが並んだ[ 14] 。2014年より『さがえ芋煮まつり in 仙台』として同園で開催してきた、寒河江芋煮、仙台風芋煮、イタリアン 芋煮等を集めた芋煮会イベントだった従前の内容を一新・改称し、また、長年に渡って寒河江市が仙台市内各地で開催してきた「さくらんぼの種吹きとばし大会」も組み込んで開催した。
呼称の分類
「芋煮」にあたる呼称には地域差があり、同じ名称でも作られる料理が異なる例が見られる。すなわち、呼称と料理は必ずしも一致しない。
「芋煮」(芋煮汁)、および、会合を指す「芋煮会」の使用範囲は、 南東北 の宮城県 ・山形県 ・福島県 を中心に、新潟県 や関東地方 でも例が見られる。ただし、このような風習や会合を示す名称としてマスメディア を通じてデファクトスタンダード 化してしまったため、上記以外でも使用されている。そのため、旧来からの名称の使用範囲を特定するのは困難になっている。
「芋の子」(芋の子汁)、および、会合を指す「芋の子会」(年配者は「芋の子食い」)は、栗駒山 の周辺、すなわち、北東にある岩手県 北上盆地 、北西にある秋田県 横手盆地 南部、南西にある山形県新庄盆地 (最上地方 )、南東にある宮城県大崎地方 の一部に分布している。
「きのこ山」は、会合の名称も「きのこ山」であり[ 16] [ 注 2] 、福島県 会津地方 に分布している。江戸時代より、秋の収穫祭としてキノコ・里芋・大根等が入る鍋を囲む習慣があり、その鍋料理を「きのこ山」と呼ぶ[ 17] 。現状では、キノコが入ってなくとも「きのこ山」と呼ぶ[ 17] 。
なお、秋田県の秋の鍋料理は、里芋よりもきりたんぽ あるいはだまこもち がメインになっているため、里芋が入っているかどうかに関係なく「鍋っこ」と呼ばれている。遠足 に付随して野外で集団でこれを囲む行事は「なべっこ遠足」と呼ばれ、小中高校において学校行事になっている場合もある。これらが芋煮会の一種と見なせるかは議論があるが、里芋が入っていない例があるとは言え、秋に野外で集団で囲む鍋料理としての共通性はある。
現代では、秋に野外で集団で鍋料理を囲む風習が廃れつつあり、秋田県では小学校201校のうち、現在も「なべっこ遠足」を実施しているのは15校(全体の7.5%)のみである。岩手県では、県内で有名な里芋の品種を用いて芋煮・芋の子を作って家庭内で食べることには執着しても、野外で集団で里芋の鍋を囲むかどうかを重視しない傾向もある。宮城県では集団で食する秋の料理としてはらこ飯 や仙台せり鍋 が急成長しており、芋煮会と競合している。はらこ飯と仙台せり鍋側は店で供される一方、芋煮会は準備や後始末に手間がかかるため、芋煮会サイトを運営する後者側としては準備と後始末をしなくてもいいフリープランを提供している。旧住民のこのような変化により、上記の名称は新住民には浸透しづらくなっている。
料理の分類
呼称以外に、地域によって材料・味付けが異なる。例えば、山形県は牛肉しょうゆ味が一般的と思われがちだが、山形県だけでも4種類以上の芋煮の味が存在し、各地域でことなるものを食べている。また、同一呼称地域内でも、それぞれの集団でアレンジされ、地域的に特徴的な具材の他に、白菜 ・ゴボウ ・油揚げ ・大根 ・ニンジン ・豆腐 ・きのこ 類などさまざまな具材が投入される。サトイモの代わりにジャガイモ を入れる場合もある。細分すると正月料理の雑煮 並みに種類があるが、ここでは、1.使用する肉、2.味付けの2点を基準に分類する。小分類は、a.呼称、b.使用するイモ類。
牛肉しょうゆ味
「牛肉しょうゆ味」芋煮山形県(村山地方 , 最上地方 )
メディア等の芋煮の特集でこの味がよく紹介されるため一番知名度が高い味である。山形県 の村山地方 および最上地方 では、牛肉 、里芋、こんにゃく 、ねぎ を主な材料とし、醤油 で味付けをする。「山形風芋煮 」と呼ばれる。初めに鍋に肉を入れ、醤油で味をつけながら軽く火を通し、一旦皿に取る。残った煮汁に水を入れ沸騰したら鍋に皮をむいた里芋を入れ、軟らかくなるまで煮る。その後こんにゃく、肉の順に入れ、醤油・砂糖・酒で味を調えた後、最後にねぎを入れる。また最近ではこの他にシメジ・舞茸などを入れることが多くなっている。
調味料としては丸十大屋の味マルジュウがよく使われている。
「置賜牛肉しょうゆ味」芋煮山形県(置賜地方 )
山形県の置賜地方 では、村山地方の芋煮と同じく牛肉を用いて主な材料も同じだが、加えて豆腐 が入ることが一番の違いである。更に大根 が入り、こんにゃく も場合によっては糸こんにゃく を用いるところが異なる。また、福島市(「豚肉みそ味」芋煮)と隣接しているせいか、醤油だけでなく味噌少々を加える。
豚肉みそ味
豚肉みそ味の芋煮山形県(庄内地方 )
山形県の庄内地方 では、豚肉や、豆腐 、ごぼう 等の具材を入れたみそ味の芋煮が一般的である。豚汁 の元になったという説があるが、諸説あるため定かではない
宮城県の仙台平野 では、豚肉・里芋を主な材料とし、仙台味噌 で味付けをする豚肉みそ味の芋煮がつくられる。「仙台風芋煮 」と呼ばれる。
福島県の浜通り も豚肉みそ味の芋煮が一般的。中通りは豚肉しょうゆ味が一般的
栃木県などの様にイベントとして導入された関東地方ほかでは、豚肉みそ味の芋煮が一般的である。
「豚肉みそ味」芋の子汁
芋の子汁の地域でも一部で豚肉みそ味の芋の子汁がつくられる。
豚肉みそ味のなべっこ
秋田市 ・由利本荘市 ・能代市 などを中心とする秋田県沿岸では「なべっこ」と呼ばれ、豚肉みそ味のなべっこも作られることがある。
ブレンド系「豚肉みそ味」芋煮
会津 地方を中心に、福島県各地で味噌と醤油をブレンドした味付けが見られる。材料は豚肉みそ味の芋煮と同様。
豚肉しょうゆ味
福島県中通り地方では、豚肉しょうゆ味が一般的である。宮城県の流れがあり味噌味やブレンドが最近は出てきた。
とりすき風
「とりすき 」とは異なるが、ここでは便宜的に、鶏肉・醤油味の芋煮を「とりすき風」芋煮と記す。
「とりすき風」芋の子汁
岩手県の北上盆地 では、「とりすき風」芋の子汁が一般的である。また、盛岡市 周辺では、津志田芋と呼ばれる若干固めの里芋が多く用いられ、北上市 周辺では、二子芋と呼ばれる粘り気の強い里芋が多く用いられる事が多い。
「芋の子会」の名称が用いられる地域では、里芋と鶏肉を主な材料とし、醤油で味付けをする。「豚肉みそ味」芋の子汁も作られる。
寄せ鍋風
魚のみを入れる場合、魚と豚肉を入れる場合など様々ある。味付けも醤油味の他、味噌味もある。イモ類を入れる。
「寄せ鍋風」芋煮
三陸海岸 ではジャガイモ が使われる傾向がやや高く、豊富な魚介類も用いられる。
その他にも、芋煮会発祥の地である山形県 中山町 では、棒鱈 を使い、醤油で味付けする例が見られる。ただし、他の村山地方と同様に「山形風芋煮 」が主流。
その他
残りの汁に、ご飯を入れて雑炊にしたり、市販のカレー粉 などを入れてカレーうどん にしたりするのみならず、最初からカレーライス を作ってしまう例も若い世代には見られる。エスビー食品 が丸十大屋 の味マルジュウを使った「山形いも煮カレー」も発売している[ 18] 。
近年では、地元の芋煮の他に他地域の芋煮を同時につくったり、さんまの塩焼きなどを同時に作ったりする例もしばしば見られる。
東京都港区の麻布十番では、「麻布十番仙台芋煮」として牛タンを入れたみそ味の仙台芋煮を提供することもある。
芋煮会シーズン中の様子
芋煮会の様子(シーズンになると、沢山の人が河川敷に集まって会を開く光景が見られる)
山形県や宮城県、福島県県北地方では、秋になるとコンビニエンスストア の前にまで堆く薪 が積まれ、店内では着火材 も販売されている。当地の人間にとっては秋の日常風景で何ら違和感を抱かないが、他地方 から来た人々には、「冬に備えて暖房 用に売られている」と誤解されることもある。一般のスーパーマーケット や大学生協 などでは、具材の販売はもちろん、芋煮に必要な鍋の貸し出しなども行われている。一部では、指定した場所まで宅配サービスを行う業者もいる。
一般的に芋煮会は、河川敷やキャンプ場、海岸のような屋外で行われるが、この時期に屋内で集団で台所で作った芋煮を食べる場合にも、長時間屋外に出られない老人や病人のための季節行事の1つとして、広い意味で「芋煮会」と呼ばれる。また、地域色を出した観光客向けメニューとして、飲食店 で「芋煮」が供されることもある。
「芋煮会」の風習のある地域の学校では、昭和30年代あたりから課外授業の一つとして芋煮会を取り入れている所が多い。子供達が一班5,6人程度の小グループに分かれ、それぞれが予算内で買い物をしたり里芋 などの食材の一部を分担して持ち寄ったりして、調理まで分担して行う。学校で行われる場合は、校庭の一角・河原や沼や湖の岸辺・アウトドア施設など、地域の実情によって開催地は異なる。現在ほどモータリゼーション が進んでいなかった時代には、リヤカー や手押し車 に必要機材や具材を載せて河原まで行き芋煮をする「リヤカー芋煮」が行われていた地域もある。
主な芋煮イベント
岩手県
奥州市水沢産業まつり「大芋の子会」
岩手県 奥州市 水沢区 の水沢公園 で、毎年10月中旬頃に行われる「水沢産業まつり」において、1989年(平成元年)から「大芋の子会」(奥州水沢グルメまつり)が同時開催されている。直径3.5mの大鍋で作った6,000人分の芋の子汁が、無料で供される[ 19] 。南部鉄器 の地元であるため、「鍋は鉄 製」にこだわっていて、その重さは5tにも及ぶ。この芋の子汁は、鶏肉を使い、醤油で味付ける。
山形県
日本一の芋煮会フェスティバル
毎年9月、山形市内の馬見ヶ崎川 河川敷を会場として「日本一の芋煮会フェスティバル」が開催されている。1989年(平成元年)に初開催。以降、毎年9月の第1日曜日に開催されてきたが、近年のサトイモの生育状況ならびに残暑の厳しさを考慮し2014年(平成26年)からは敬老の日 前日の日曜日(9月の第3月曜日の前日)に開催日が変更された。
左岸(街側)の河川敷では、直径6mの「鍋太郎」と名付けられている山形鋳物 のアルミ合金 製大鍋に約3万食の山形 風「牛肉しょうゆ味」芋煮が作られ、右岸(山側)では直径3mの大鍋で庄内 風「豚肉みそ味」芋煮約5千食分が作られる。芋煮一杯300円以上の協賛金を支払い、協賛チケットと芋煮を交換する。自衛隊 が主催する防災ゾーンでは、炊き出し車輌による五目飯の無料配布も行われる。
調理する際には、大鍋に対応して大型重機(バックホー )や専用大型調理器具を用いるなど大掛かりとなる。人の口に入る食べ物を作るため、大型重機は工事現場で使われたことがない新品に芋煮会専用のステンレス製バケットを使用し、油圧 作動油や潤滑油 にも食用油脂 を用いており、衛生上問題が起きないよう配慮されている。ここで使われた大型重機は新古車として売り出されるが、日本一の芋煮会で使われた重機としてプレミアが付いたこともあったという[ 23] 。
芋煮会フェスティバルで使われる大鍋は一年中野外に置かれているので、芋煮会フェスティバル前に鍋を洗う作業が行われる。地元山形県 では、「芋煮会フェスティバル用の芋煮鍋洗い」が季節の風物詩 として地域のニュースになる。2017年で二代目である大鍋は老朽化のため引退し、2018年から直径6.5mの「3代目鍋太郎」がお披露目された。
20周年にあたる2008年 (平成20年)のフェスティバルでは5万食が作られたとされ、来場者数は15万人[ 24] にのぼった。2009年 (平成21年)は主催者側の予想を上回る過去最高の20万人が訪れ、芋煮が足りなくなるトラブルが発生した[ 21] 。2010年 (平成22年)は気温が34℃を超える猛暑 の影響で人出がのびず、3万食分用意した山形風芋煮が2万食で販売打ち切りとなり、庄内風芋煮も用意した6500食分のうち販売出来たのは4000食に留まった[ 25] 。
30周年にあたる2018年 (平成30年)のフェスティバルは上記が「3代目鍋太郎」で3万食の芋煮が調理された。合わせて「8時間以内で提供されるスープの数」のギネス挑戦が行われ4時間半で1万2695食が振る舞われギネス達成になった。しかし、それでも購入した整理券の人数に足りず急遽14時頃から500 - 700食分を追加調理したが、それでも全員分には足りずに整理券(協賛金)を購入して食べられなかった500 - 600人分を返金する事態が発生した[ 26] 。
2020年 (令和 2年)及び2021年 (令和3年)は新型コロナウイルス の感染拡大に伴い中止。2020年は代替イベントとして予約した人にドライブスルー 方式で芋煮セットを販売した[ 27] [ 28] [ 29] 。2022年 (令和4年)、前売券の販売、蓋付きでの提供、キャッシュレス決済、飲食エリアの制限など新型コロナウイルス感染症対策を行いながら3年ぶりに開催した[ 30] [ 31] 。2023年 (令和5年)、4年ぶりに通常開催した[ 32] 。
このフェスティバルを以って山形県の芋煮シーズンは始まるが、従来の種芋苗を用いた東北地方でのサトイモ栽培では収穫時期が10月になるため、シーズン当初の商用の里芋は千葉県 等の県外産や輸入物の里芋を用いている。ただし、少なくともこのフェスティバルで用いるサトイモは県内産でまかなおうと、9月に収穫できる品種の栽培も行われている。現在では、砂糖以外の食材はすべて県内産のものを使用している。
福島県
風とロック芋煮会
2009年(平成21年)に「風とロックFES福島」として初開催され、2010年(平成22年)より「風とロック芋煮会」と改称した。会場は福島県内で変遷している。音楽がメインのイベントであるが、アーティストが観客に芋煮を手渡しするなど、芋煮を介した交流が見られる。
東北以外の芋煮会
栃木県の以下のイベントはいずれも豚肉みそ味芋煮である。
日光けっこうフェスティバル「関東一芋煮会」
栃木県 日光市 で10月初旬に行われる「日光けっこうフェスティバル 」では、「関東一芋煮会」と銘打って芋煮会が行われている。直径2.5mの大鍋で約3,000人分がつくられる。「日光けっこうフェスティバル」は1995年に、納涼夏祭りをこの時期をずらして衣替えした。
天平の菊まつり「天平の芋煮会」
栃木県下野市 (旧国分寺町 )の天平の丘公園 花広場で、1988年(昭和63年)より毎年11月初旬に開催されている「天平の菊まつり 」において、期間中の週末1日を以って「天平の芋煮会」が開催されている。関東 一とされる直径2.5mの大鍋で、地元特産のかんぴょう が入った芋煮が3,000食つくられる。
にのみや秋まつり「尊徳大鍋」
栃木県真岡市 (旧二宮町 )で行われる様々なイベントにおいて、二宮尊徳 にあやかった尊徳大鍋が振舞われている。11月下旬の「にのみや秋まつり」での尊徳大鍋は1500人分の芋煮が作られる。 [要出典 ]
小さな鍋を用いた芋煮イベントとしては、東京都 の港区 [ 37] 、清瀬市 [ 38] 、調布市 [ 39] 、神奈川県 の川崎市 多摩区 [ 40] 、同麻生区 [ 41] 、横浜市 都筑区 [ 42] 、千葉県 の佐倉市 [ 注 4] など南関東 に例が見られる。
「千人鍋」と呼ばれる直径1m程の大鍋を用いた芋煮イベントとしては、大阪府 泉南市 の「芋煮鍋」[ 43] や鹿児島県 出水市 高尾野町 の「たかおのいも煮会」[ 44] の例がある。
また、東北地方出身者の県人会 や同窓会 などでは、各出身地の芋煮を用いた内輪のイベントも見られる[ 45] 。
日本以外の芋煮会
芋煮会は、日本以外でも開催されている。
ライン川「欧州一の芋煮会」ドイツ・デュッセルドルフ市
2008年(平成20年)以来、日本一の芋煮会フェスティバルの旧開催日と同じ毎年9月の第1日曜にドイツ連邦共和国 デュッセルドルフ市 内のライン川 岸辺を会場として、ドイツ東北県人会の主催で「ライン川・欧州一の芋煮会」を開催している。
2012年の第5回より、山形の「日本一の芋煮会」の姉妹芋煮会第1号の公認を受け、山形から芋煮大使の派遣、山形の地元企業各社からの協賛を得て、山形名物の「玉こん」や山形そばでの「芋煮そば」「流しそば」も振る舞われている。
2015年には、山形のゆるキャラ「ペロリン」の初海外出張として、ドイツでの「ライン川・欧州一の芋煮会」に参加している。会場では、山形 風「牛肉しょうゆ味」芋煮が作られる。
アムステル川「和蘭一の芋煮会」オランダ・アムステルダム市
2014年(平成26年)以来、毎年9月第2日曜日に、オランダ アムステルダム のボス公園の湖畔の広場で、三五八屋(Sagohachi-ya)の主催にて、山形風牛肉しょうゆ味での「オランダ一の芋煮会」が開催されている。
「欧州一のお花見DE芋煮会」オランダ・アムステルダム市
2015年より毎年4月第2日曜日には、欧州一の桜の名所でもあるアムステルフェーン市のBloemsePark(俗称:桜公園)にて、三五八屋の主催にて「欧州一のお花見DE芋煮会」が400本のソメイヨシノの桜の下で、お花見を兼ねた「春の芋煮会」が開催されている。
セーヌ川「仏蘭西一の芋煮会」フランス・パリ市
2017年(平成29年)以来、毎年9月第3日曜日に、フランス共和国 パリ のエッフェル塔前のシャン・ド・マルス公園にて、フランス山形県人会の主催にて、山形風牛肉しょうゆ味での「仏蘭西一の芋煮会」が開催されている。
スヘルデ川「白耳義一の芋煮会」ベルギー・アントワープ市
2018年(平成30年)以来、毎年10月第2日曜日に、ベルギー王国 アントワープ市のスヘルデ川の川辺にあるBBQ広場にて、ベルギー山形県人会の主催にて、山形風牛肉しょうゆ味での「ベルギー一の芋煮会」が開催されている。
類例
青森県の野外鍋料理イベント
現在の青森県内の稲作 地域は、県西部の津軽地方 が主で、その他の地域では畑作が中心である。米作とサトイモの関連する「芋煮会」分布域から若干外れるため、青森県では「芋煮会」はあまり見られない。青森県で野外で鍋料理をするのは、地域イベントの時である。
秋田のきりたんぽ鍋
秋田県は米どころで、あきたこまちを使った「きりたんぽ」が特産である。そのため芋ではなく、きりたんぽ鍋が食べられることが多い。秋田県内では、北部を中心に野外に集まりきりたんぽ鍋を作る会合が行われ「なべっこ」「たんぽ会」と呼ばれる。
秋田県鹿角市 。あんとらあ など(11月)。十和田八幡平観光物産協会
秋田県大館市 。大館樹海ドーム (10月)。本場大館きりたんぽまつり実行委員会主催、秋田魁新報社 ・秋田銀行協賛。
愛媛県の「いも炊き」
愛媛県 でも、芋煮会と同様な「いも炊き 」という行事がある。中秋の名月 の頃の月見 行事であり、300年の伝統があるとも言われるが、現在は昼間から行われている。行事の時のみならず、「いも炊き」自体が秋の季節料理となり、家庭やレストランでも供されている。肉は鶏肉が一般的。
一般家庭向けの例として、日本食研のような一般食品メーカーから少人数用の「いも炊き」のたれが販売されていたり、スーパーでは主な材料に季節の間ずっと販売用ポップが添えられていたりと手軽に「いも炊き 」が出来るようにもなっている。
完全に地方の定番料理として定着しているため、季節の行事や観光客向けのイベントと言うより家庭料理や郷土料理としての色合いが濃い。
大洲市 ・肱川 [ 46] ,東予地方 ・西条市 の加茂川 、四国中央市 土居町 関川や、松山平野 ・重信川 などの河川敷などで、各地域の商工会の主催でいも炊き会場が設営され、毎年数万人の人出がある。
エビイモを用いる鍋物
日本三大芋煮
日本三大芋煮とは、山形県 中山町 、島根県 津和野町 、愛媛県 大洲市 の3地域の芋煮を指す[ 48] 。発祥は、2013年 に『旅の手帖 』(交通新聞社 )誌上で「日本三大芋煮」として紹介されたことによる[ 48] 。2014年度からは、3市町が連携して、芋煮をPRするイベントの開催や、情報発信を行っている[ 48] 。
山形県中山町
最上川 を利用する船乗りたちが、出航待ちの時間に河川敷で、船荷の棒鱈 と里芋を一緒に煮て酒盛りをしていたのが、芋煮のはじまりとされる[ 48] 。今日では、牛肉を出汁にし、サトイモやコンニャクを醤油で煮込むのが一般的である[ 48] 。
島根県津和野町
古くから、十五夜 の観月会に芋煮の宴を開催して、酒杯を交わす習慣がある[ 48] 。あぶった小鯛の身をほぐして昆布と共に出汁とし、具はサトイモのみの澄まし仕立てで、最後に柚子 を添える[ 48] [ 49] 。
愛媛県大洲市
大洲ではいもたき と呼ぶ。いもたきは、大洲藩 時代から収穫した里芋を肱川 の河原で行っており、現在では秋の風物詩、観光行事となっている[ 48] 。サトイモ、鶏肉、乾シイタケ、コンニャクなどを入れ、醤油ベースの少し甘い味付けが特徴[ 48] 。
その他
NHK仙台放送局 が「芋煮会」が見られるようになった時期について東北地方全232市町村にアンケートを行った。それによると、松方デフレ 期とする自治体が少数派ながらあったが、ほとんどが高度経済成長 期としていた。いずれも景気に依存して農村に余剰労働力が発生し、それらが都市に流入した時期である。
Jリーグ モンテディオ山形 ホームゲームでも芋煮が売られている。
仙台市に仙台風芋煮 をベースとする「豚汁ラーメン 」をメニューの1つとする店がある。
参考文献
黒木衛『山形の芋煮会』山形市観光協会、1991年9月13日。
鳥兎沼宏之『芋煮会のはじまり考』藻南研究所、1981年10月1日。
脚注
注釈
^ 発売当初の名前は「日清のみちのく路 どん兵衛 芋煮うどん」だった。
^ 市長交際費執行状況(平成26年10月分) (喜多方市) … 10月30日の「支出先・内容等(代理出席含む)」の項目に「きのこ山」とある
^ 大鍋本体以外にも、土台の製作費や、諸経費を含む。
^ よみがえれ印旛沼秋祭り in 佐倉(佐倉市):佐倉市ふるさと広場(風車前)で行われる地域イベントにおいて豚肉みそ味の芋煮が振舞われる。
出典
関連項目
外部リンク