藤村俊二
藤村 俊二(ふじむら しゅんじ、1934年〈昭和9年〉12月8日 - 2017年〈平成29年〉1月25日[1])は、日本の俳優、声優、タレント、振付師、実業家。神奈川県鎌倉市出身。愛称は「おヒョイ(さん)」。俳優事務所、有限会社O’hyoi & Sons(オヒョイアンドサンズ)所属。 生涯生い立ち実父はスバル興業社長[2]。父は厳格だったが、母はおおらかだったという。 演出家を志して早稲田大学第一文学部演劇学科へ進学するも、理論偏重の教育に飽き足らず中退。 東宝芸能学校舞踊科を第1期生として卒業。 芸能界へ日劇ダンシングチーム12期生として1960年に渡欧し、イギリスやフランスを巡る[3]。このとき本場の芸の水準に驚いて舞踊家の道を断念し、帰国後、振付師に転向。ザ・ドリフターズの大人気番組『8時だョ! 全員集合』(TBS)やレナウン「イエイエ」のCFの振り付けも担当した。 『8時だョ! 全員集合』では、ギャグアドバイザーだったこともあり、「ヒゲダンス」の振り付けを担当したとされる。しかし藤村自身が2008年4月18日放送のNHK-FM『邦楽ジョッキー』や『おしゃれカンケイ』でこれを否定し、『8時だョ! 全員集合』で振り付けたのはオープニング(民謡「北海盆唄」の替歌)の「エンヤーコラヤ ドッコイジャンジャン コーラヤ」の部分であり、「腕・肩を順番に触るだけの単純な動作だが、忙しく踊っているように見える振り付け」と語っている。 かつて代表を務めていた俳優事務所「オフィス・オヒョイ」には自身のほか黒澤久雄や岡崎友紀らも所属していたが、2011年をもって同事務所は解散。滝口順平の死去に伴い2011年から担当していた『ぶらり途中下車の旅』のナレーションも2015年10月24日放送分からは太川陽介や林家たい平、石丸謙二郎らが週替わり(代役)でナレーターを務めた(2016年1月9日放送分から小日向文世が3代目ナレーターを担当するまで)。 晩年2015年12月になって藤村夫人が『女性自身』のインタビューに応じて、藤村について「体調を考慮して『ぶらり途中下車の旅』のナレーションを2015年10月をもって正式降板し、それと共に芸能界から引退した」ことを公表した。血管の状態が思わしくないため、千葉県の病院に通院していたという[4]。一方、有限会社O’hyoi & Sons(オヒョイアンドサンズ)代表取締役で長男の藤村亜実は「単に『ぶらり途中下車の旅』を降板しただけ」と引退発言報道を公式に否定していた[5][6]。 2017年1月25日午後8時45分頃、心不全のため静岡県御殿場市内の病院で死去[1]。82歳没。藤村の死去は2月1日に公表され、藤村の長男が記者会見を開いて「その瞬間を大事に生きていた人」と、父を偲ぶコメントを残した[7]。また、1996年に再婚した28歳年下の女性とは2013年12月頃に離婚。2015年に小脳出血で倒れ、リハビリ生活を送っていたと語られた。 人物容姿長らく細身に黒髪のアフロヘアーがトレードマークだったが、56歳のときに胃癌で胃を全摘出してからは毛染めをやめ、白髪と白い口ひげがトレードマークとなった。 役者・芸風本人によると、もともと振付師志望であったが、番組中にエキストラ出演を頼まれることが多く、画面に映るのが嫌でその場から「ひょい」と逃げていたところ「おヒョイ」のあだ名がついたという(後輩からは「おヒョイさん」と呼ばれていた)。 バラエティ番組などでは、とぼけたキャラクターと自虐とも取れるシュールな冗談を言うなど、飄々としたキャラクターで人気を集めていた。 本人は「タレント」という肩書きを嫌い、「アクター(俳優)」を自認しており、1990年代以降、先述の胃癌を機にした容姿の変化に伴い、老け役としての需要が急増。知的な老紳士・好々爺役が多かったが、複数回起用された三谷幸喜作品ではボケキャラだった。 たびたび「執事役が似合う芸能人」として話題に挙がることもあり、闘病前の姿を知らない若い世代には特にその傾向が強い。漫画『黒執事』に登場する老執事・タナカは藤村をモデルとして作られており、アニメ化にあたっては当の本人を声優として起用し、死去の際には作者の枢やなが追悼文を発表している[8]。また2017年に公開された『劇場版 黒執事 Book of the Atlantic』は藤村にとっての遺作となった。 「ズボンの折り目が嫌い」という理由から、クリーニングから返ってきたズボンの折り目をわざわざ自分でアイロンをかけて消していた。 交友1934年生まれの同い年であった長門裕之、愛川欽也、大橋巨泉、財津一郎、森山周一郎らと1976年に親睦団体「昭和九年会」を結成していた。逝去後に親友の森山や中村メイコがマスコミのインタビューに応じている。 実業芸能界で活躍する一方、東京・南青山でバー「O'hyoi's」(オヒョイズ)を経営していた。店のロゴマークにはオーナーの藤村のシルエットがあしらわれていた。芸能人が経営する飲食店は、いわゆる名義貸しオーナーの形が多いが、藤村は仕事の合間を縫って店に立つなど、実際に現場での経営を行っていた。また、この店では「お客様にサービスするのが当たり前だから」という理由でサービス料は設定していなかった。2010年12月に閉店。 後任・代役藤村の降板、死後、持ち役を引き継いだ人物は以下の通り。
出演作品テレビドラマ
映画
舞台吹き替え洋画
海外アニメ
アニメーション劇場アニメ
テレビアニメOVA
人形劇
ゲーム
ラジオ
ナレーション
バラエティ
ドキュメンタリー
CM
その他
著書
脚注注釈
出典
関連項目外部リンク |