関忠志 (ボートレーサー)
関 忠志(せき ただし、1950年11月18日 - )は、岡山県出身の元ボートレーサー。 来歴艇界屈指の『インファイター』[1]、かつてはイン奪取率が7割近い『イン屋』[2]で、どんなに深い位置からでもスタートを決められるのが武器[3]であり、厳しいコース取りからのイン逃げを得意としていた。晩年は時代の流れからインまで取り切れることは3割前後[2]と減ったが、その分2コース率が上がり55.7%、インと2コースで85%を超えた[2]。 1994年8月30日に地元児島で開催された第40回モーターボート記念競走でデビュー25年1ヶ月目でのSG初制覇を飾る[2]。 2004年10月6日には津一般「第1回倉田栄一杯争奪安濃津賞」で高山秀則・林貢と共に優出し[4]、初代覇者[5]となる。 2005年6月12日の平和島一般「ビクトリーチャンネルカップ」[6]で全24場優勝を果たし、2014年3月14日にはBOAT RACE振興会より会長賞が授与された[7]。 2008年6月8日の蒲郡一般「競艇マクールカップ」が最後の優勝となった[8]。 2015年5月19日の三国一般「さつき第1戦」で西島義則・田村隆信と共に優出するが、最後の優出(1号艇1コース進入3着)[9]となった。同年8月28日の大村一般「チケットショップ長崎佐々開設記念レース」最終日7R[10]を逃げ切り、9436走目で史上23人目の通算2500勝を達成[11]。 2017年1月14日の浜名湖一般「サンケイスポーツ杯」初日6Rが最後の勝利(3号艇1コース進入から逃げ切り)[12]、同28日の徳山一般「マンスリーBOATRACE杯争奪戦」最終日7R(6号艇1コース進入で3着)[13]が最後の出走となり、同年2月1日限りで現役を引退。 引退後の同年、ボートレース殿堂マイスター入りを果たす[1]。 獲得タイトル
脚注
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