飯田貴之
飯田 貴之(いいだ たかゆき、1999年6月24日 - )は、千葉県香取郡東庄町出身の陸上競技選手。専門は長距離走・マラソン。八千代松陰高等学校、青山学院大学総合文化政策学部・総合文化政策学科卒業[1]。 経歴高校時代まで東庄町立東庄中学校で本格的に陸上競技を始める。中学3年時には第20回都道府県対抗駅伝に出場し6区区間10位の成績を残している。 八千代松陰高校1年時の第66回全国高校駅伝では3区区間17位[2]。高校3年時の第23回都道府県対抗駅伝では1区を務め区間13位[3]。 大学時代・箱根駅伝などで活躍原晋・長距離ブロック監督にスカウトを受け、2018年4月に青山学院大学へ進学・同陸上競技部に入部する。 大学1年時の第30回出雲駅伝でメンバー入りを果たすが補欠に終わる。第95回箱根駅伝では8区を担当。序盤から区間記録ペースで追い上げ、区間2位(8区歴代6位)の好走を見せた[4]。結果青学大チームは、往路の6位が響いて箱根駅伝5連覇はならず惜しくも総合2位に留まったが(総合優勝校は東海大学)、5年連続の復路優勝を果たした[5]。 2年時の2019年4月6日、TBSテレビ系列の生放送特別番組『オールスター感謝祭'19春』の「人馬対決・マイルリレー」に、新号健志・生方敦也・鈴木塁人と共に参加。人間側(青学大陸上部員)が競走馬に勝利した[6][7]。 第31回出雲駅伝は補欠[8]。第51回全日本大学駅伝では8区を担当。7区の𠮷田圭太からトップでタスキを受けるも、2秒差でタスキを受けた東海大学・名取燎太に並ばれると4.5kmで引き離され、ゴールでは1分44秒の差をつけられた。ゴール手前では3位駒澤大学・山下一貴にも迫られたが、辛うじて5秒差で逃げ切り2位を死守。しかし区間7位と不本意な結果に終わった[9]。 2019年11月の関東学連10000m記録挑戦競技会では、従来の記録(29分42秒34)を1分近く上回る、28分49秒45の自己ベストを記録した[10]。 第96回箱根駅伝では5区を担当[11]。4区の吉田祐也からトップでタスキを受けると区間記録を大きく上回るペースで突っ込み、中盤以降も安定した走りで山を駆け上がり往路優勝のテープを切った[12][13]。従来の区間記録を14秒更新する1時間10分40秒の区間新記録(区間2位)をマークし、青学大チームは2年ぶり5回目の総合優勝に返り咲いた[14]。 3年時の第52回全日本大学駅伝は補欠[15]。第97回箱根駅伝では9区を担当[16]。前日往路で青学大チームはまさかの12位と大きく出遅れたが、8区の岩見秀哉から暫定5位でタスキを受けると、6.8kmで東海大・長田駿佑をかわし暫定4位に浮上。区間2位の好走でチームの2年振り6度目の復路優勝に貢献した(但し当回の青学大・総合順位は4位に終わり、総合優勝は駒澤大学)[17]。 4年時は1学年先輩の神林勇太から引き継いで、長距離ブロックの主将を務めていた[18]。 10月の第33回出雲駅伝は2区を担当。1区の近藤幸太郎からトップでタスキを受けるも区間7位と苦戦し、5位に後退。チームも2位に終わる。第53回全日本大学駅伝では8区に出走。トップ駒澤大と18秒差の2位でタスキを受けると、序盤は駒澤大の花尾恭輔に追いつき併走するも、ゴール直前で離され、僅か8秒差の2位に終わり、チームは優勝を逃した。第98回箱根駅伝は4区に出走。3区の太田蒼生からトップでタスキを受けると区間3位の走りで後続との差を広げ、青学大チームが往路優勝を達成。翌日の復路も青学大は総合2位の順天堂大学を大きく引き離して、2年振り6回目の総合優勝・復路優勝・大会記録更新(10時間43分42秒)と、記録尽くめの大会と成った。 2022年2月、第70回記念別府大分毎日マラソンへ自身初のフルマラソンに出走。レース序盤から先頭集団についていき、中間点は1時間03分41秒で通過。しかし25Km過ぎ以降で、優勝争いから完全に脱落し、その後終盤では大きくスローダウンしてしまう。結局は男子総合33位・記録も2時間20分台と辛うじて完走するのがやっとであった[19]。 社会人時代大学卒業後は富士通で競技を続行中。 2023年2月26日、『大阪マラソン2023』に出場。総合順位は35位であったが、これまでの自己ベストを大幅に上回る2時間09分57秒で走破した。 2023年5月7日、チェコ・プラハで開催されたマラソン大会で、2時間09分34秒と自己ベストをさらに更新、日本人最高の5位入賞を果たすとともに、同年10月に行われるMGC出場権を獲得した。 2023年10月、MGC本番レースに出場。序盤から独走する川内優輝(プロランナー・あいおいニッセイ同和損害保険)はついていかず、第二集団で待機。然し30Kmの手前で2位争いの集団から完全脱落、青山学院大OBとして横田俊吾に次ぐ2着に入るも、結局38位に終わった[20][21]。 人物・エピソード
戦績主な戦績
大学駅伝成績
マラソン全戦績
自己記録
脚注
外部リンク
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