高國輝
高 國輝(ガオ・グォーフェイ、1985年9月26日 - )は、台湾(中華民国)の花蓮県出身の元プロ野球選手(外野手)。旧名は、羅 國輝(ろう こくき)。 祖父は元中華民国国軍の軍人、母はアミ族[1]。弟の羅國華は元中信兄弟所属、羅國龍は統一ライオンズ、高國麟は富邦ガーディアンズ所属のプロ野球選手である[1]。 経歴マリナーズ傘下時代2006年にシアトル・マリナーズと契約、プロとしてのキャリアをスタートさせた。この年はA級でプレーした。 2008年は北京オリンピックの野球チャイニーズタイペイ代表に選出された。中国戦でホームランを打っている。 2010年はマリナーズのAA級まで昇格したが、輝かしい成績を残せないままシーズンを終えてしまった。オフの11月に開催された広州アジア競技大会の野球チャイニーズタイペイ代表に選出された。 義大・富邦時代2012年は、シアトル・マリナーズ傘下AA級チームで目立った成績を残せていないため、ドラフトでCPBLのどの球団からも1巡目で指名されず、2巡目で義大ライノズ (後の富邦ガーディアンズ)に指名をされた。 2013年はリーグ2位の14本塁打、リーグ2位の打率.350、リーグ1位のOPS.977を記録した。 2014年は故障のためわずか52試合の出場にとどまったが、18本の本塁打を放ち本塁打王に輝いた。 2015年は5月15日の統一ライオンズ戦で初のサヨナラヒットを打った。9月11日の中信兄弟戦ではキャリア3本目となる満塁ホームランを放ち、CPBL史上3番目の早さ(96試合)でシーズン30本塁打に到達した。同月26日の統一ライオンズ戦ではCPBL史上最多となる34本塁打マーク。最終的には39本塁打を記録し、2年連続の本塁打王を獲得した。同月30日に2015 WBSCプレミア12 チャイニーズタイペイ代表に選出された[2]。 2016年開幕前の1月29日に「侍ジャパン強化試合 日本 vs チャイニーズタイペイ」のチャイニーズタイペイ代表27名に選出された[3]。シーズンに入ると林智勝と並ぶ34本塁打を記録し、規定により打数の少ない高がCPBL史上初となる3年連続で本塁打王を獲得した[4]。 2017年1月23日に2017 ワールド・ベースボール・クラシック・チャイニーズタイペイ代表に選出された[5]。7月8日のオールスターゲームでは9番・左翼手で先発出場するが、怪我を負っていたため守備だけに就き打席には入らなかった[6]。同月25日に左手の手術が終わり、リハビリを開始した。9月23日の中信兄弟戦で復帰し決勝打を放った。最終的にキャリア最少となる25試合出場に留まった。 2018年4月7日のLamigoモンキーズ戦で左膝を負傷し、登録抹消した。5月5日のLamigoモンキーズ戦ではプロ初のサヨナラホームランを記録した[7]。同月13日のLamigoモンキーズ戦では左翼手で出場し、王柏融のフェンス際の打球にジャンピングキャッチをした際、ボールを弾きスタンドに入れてしまい、ホームランとなった[8]。7月7日のオールスターホームラン競争に選出されるも、左腹部の違和感で出場を辞退した。 2020年7月18日の楽天モンキーズ戦で4番の高國輝がホームランを放つと、5番打者の弟・高國麟が直後の打席でホームランを放ち、CPBL史上初となる兄弟で連続ホームランを達成した[9]。8月12日の楽天モンキーズ戦でCPBL史上初となる代打サヨナラ満塁本塁打を記録した[10]。10月6日の統一ライオンズではCPBL史上7人目かつ史上最速となる通算150本塁打を達成した[11]。最終的には97試合に出場し、4年ぶりの2桁となる25本塁打や70打点を記録しカムバック賞を受賞した[12]。後期に限ってはホームランを17本放った。 2021年4月30日の統一ライオンズ戦で左翼手として打球を追った際に、左脹脛を痛め途中交代をした[13]。翌日に一軍登録を抹消となった[14]。 2023年限りで現役を引退した。 2024年からは、富邦でコーチを務める。 選手としての特徴飛球をよく打ち、フライアウト数は2015年、2016年連続リーグ1位となった[15]。 詳細情報年度別打撃成績
タイトル
表彰
記録
背番号
代表歴
脚注
関連項目外部リンク
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