高木 (さいたま市)
高木(たかぎ)は、埼玉県さいたま市西区の大字。郵便番号は331-0071[2]。本項では、高木の前身である木之下村(きのしたむら)、阿弥陀寺村(あみだじむら)、北野貝戸村(きたのかいとむら)、法願寺村(ほうがんじむら)についても述べる。 地理さいたま市西区北東部の南北に細長い大宮台地上に概ね位置する。北端は浅間川が流れ、北東から南西に長い区域を有していたが、大宮西部特定土地区画整理事業により区域の中央部が西大宮となったことで南北に分裂している。地区の北部は清河寺・西大宮・中釘と上尾市堤崎に隣接し、南部は西大宮・指扇・指扇領別所・平方領々家・中釘に隣接する。町域の西端は指扇駅から北に500 mほどの距離にある。西の境界は中釘川が、東の境界は滝沼川が流れる。 荒川の河川区域内である川越市と西区との市境付近に大小五ヶ所の飛び地が存在する。これはかつて指扇領内の村々が領有していた入会秣場(草地)などの名残である。 地内は全域が市街化調整区域であり[4]、土地利用として全体的には耕作地の多い農業地域である。南部では高木団地や指扇団地などのまとまった住宅地も見られる。飛地は主にゴルフ場や公園として利用されている。 歴史もとは明治初期より存在した高木村であった。さらに古くは江戸期より存在した指扇領の木之下村・阿弥陀寺村・北野貝戸村・法願寺村に当たる地域であり、これらの村々は1875年(明治8年)の合併により消滅した。 木之下村江戸期は武蔵国足立郡指扇領に属する木之下村(きのしたむら)で、古くは高鼻荘に属していたと云われている[5]。木之下村は『武蔵田園簿』では「木ノ下村」とも記される。村高は正保年間の『武蔵田園簿』では351石余(田146石余、畑204石余、野銭永683文)、『元禄郷帳』では301石余、『天保郷帳』では320石余であった。助郷は中山道上尾宿に出役していたが、正徳・安永年間は日光御成街道大門宿にも出役していた。化政期の戸数は33軒で、村の規模は東西7町余、南北30町であった[6]。村域は高木村の最北部に当たり、木之下村の飛地が最西部に分れていた[7]。地名は小城跡があるところに多く見られる「キ」が用いられている。荒川に流作場を領していた。
阿弥陀寺村江戸期は武蔵国足立郡指扇領に属する阿弥陀寺村(あみだじむら)であった[8]。村高は正保年間の『武蔵田園簿』では128石余(田41石余、畑87石余、野銭永48文)、『元禄郷帳』では88石余で以降増減なし。助郷は中山道上尾宿に出役していた。化政期の戸数は16軒で、村の規模は東西1町半、南北1町半であった[9]。村域は高木村の中央部(木之下村の南側[9]、北野貝戸村の東側)に当たる[7]。地名の起源は阿弥陀寺が当地に建立されていたことから[9]。その阿弥陀寺は火災で焼失し、寺記を失っている[9]。阿弥陀寺そのものは現存する。荒川に入会秣場(入会地)を領していた[8]。
北野貝戸村江戸期は武蔵国足立郡指扇領に属する北野貝戸村(きたのかいとむら)で、古くは高鼻荘に属していたと云われている[10]。村高は正保年間の『武蔵田園簿』では84石余(田49石余、畑35石余、野銭永199文)、『元禄郷帳』では75石余、『天保郷帳』では82石余であった。助郷は中山道上尾宿に出役していた。化政期の戸数は15軒で、村の規模は東西4町、南北4町であった[11]。村域は高木村の中央部(木之下村の南側、阿弥陀寺村の西側、法願寺村および木之下村の飛地の北側[11])に当たる[7]。地名の起源は不明。荒川に下谷原入会地を領していた[10]。
法願寺村江戸期は武蔵国足立郡指扇領に属する法願寺村(ほうがんじむら)であった[12]。法眼寺村とも称された。村高は正保年間の『武蔵田園簿』では27石余(田18石余、畑8石余、野銭永199文)、『元禄郷帳』では22石余、『天保郷帳』では20石余であった。助郷は中山道上尾宿に出役していた。化政期の戸数は4軒で、村の規模は東西2町、南北1町余であった[13]。村域は高木村の南東部(木之下村の飛地の東側、北野貝戸村の南側[13]、福田陣屋跡周辺)に当たる[7]。地名の起源は定かではないが、当地に法願寺が建立されていたと云われていたことに因む[13]。なお今日の日蓮宗法光寺およびその地蔵堂の旧称は法願寺であるが[14]、当村との関係は不明[注釈 1]。
高木村の成立以降
高木村に存在していた小字
世帯数と人口2017年(平成29年)9月1日時点の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
小・中学校の学区市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[26]。
交通鉄道道路寺社・史跡西大宮成立前は地内に「法光寺」や「阿弥陀寺」、「福田稲荷神社」なども所在した。
公園・緑地西大宮成立前は地内に「福田稲荷ふるさとの森」(福田陣屋跡)なども所在した。
施設
脚注注釈出典
参考文献
関連項目外部リンク
|