高梨沙羅
髙梨 沙羅(たかなし さら、1996年10月8日 - )は、日本の女子スキージャンプ選手。北海道上川郡上川町出身。日本体育大学卒業。クラレ所属。 冬季オリンピック3大会(ソチ、平昌、北京)日本代表。2013年世界選手権混合団体金メダリスト、個人銀メダリスト。2018年平昌オリンピック銅メダリスト。スキージャンプ・ワールドカップで男女通じて歴代最多の63勝、男女通じて歴代最多の表彰台113回、女子歴代最多のシーズン個人総合優勝4回[1]。2017年にはスキー界で最も権威ある賞の一つであるホルメンコーレン・メダルを受賞[2]。 経歴北海道上川郡上川町出身。実家はセブン-イレブン上川層雲峡店などを経営していた[3]。上川幼稚園、上川町立上川小学校[4]、上川町立上川中学校から旭川市のグレースマウンテンインターナショナルスクールに進み、2014年に日本体育大学へ飛び入学[5]、2018年3月に卒業した[6]。父は元ジャンプ選手の高梨寛也[7]で、兄もジャンプ選手で2015年冬季ユニバーシアード代表、TBS記者の高梨寛大[8][9]。 小学校2年生からアルペン用スキーでジャンプをやっていたが、本格的に取り組むようになったのはテレビの映像で山田いずみ、渡瀬あゆみが飛ぶ姿を見て、地元のジャンプ少年団に入ってからである[10]。 2009/2010シーズン2009年3月3日、蔵王 ( 日本) で行われたスキージャンプ・コンチネンタルカップに初出場 (19位)。2010年3月2日の蔵王大会で初の3位入賞。 2010/2011シーズンラムサウ ( オーストリア) で2月19日に行われたコンチネンタルカップで、国際スキー連盟公認大会での女子選手史上最年少優勝を記録[11][12]。翌20日に行われた大会でも優勝し、2勝目をあげた[13]。2月25日にはオスロ ( ノルウェー) で行われた世界選手権に初出場し、6位入賞[14]。 2011/2012シーズン11月29日にロヴァニエミ ( フィンランド) で行われたコンチネンタルカップで通算3勝目をあげる[15]。スキージャンプ・ワールドカップでは、1月8日の第3戦で初の表彰台となる2位に入り[16]。14日にインスブルックで行われたユースオリンピックで優勝[17]した後、2月にエルズルム ( トルコ) で行われたジュニア世界選手権で個人と団体の2冠を達成 (その後個人は2014年大会まで3連覇、団体は2014年大会でも優勝)[18][19]。3月3日に山形市の蔵王ジャンプ台で行われたワールドカップ第11戦では日本人女子選手として初優勝[20]。ワールドカップシーズン個人総合で3位入賞を果たした[21]。 2012/2013シーズンワールドカップでは、11月24日のリレハンメル大会 ( ノルウェー) でシーズン初勝利をあげたのを皮切りに全16戦中14戦を終えた時点で8勝をあげ、残り2戦を残し初の個人総合優勝を果たした。日本選手のスキージャンプワールドカップ個人総合優勝は史上初であり、16歳4か月での達成はFISワールドカップ史上最年少記録である[22]。直後にヴァル・ディ・フィエンメ ( イタリア) で開催された世界選手権の個人ノーマルヒルではサラ・ヘンドリクソンに競り負けたものの女子スキージャンプ競技で日本人初となる銀メダルを獲得[23]。伊藤有希、伊東大貴、竹内択とともに出場した混合団体では金メダルを獲得。 2013/2014シーズン2013年にクラレと所属選手契約を締結。これにより2013/2014シーズンからクラレ所属として競技会に出場することとなる[24]。 2013/2014シーズンのスキージャンプ・ワールドカップでは、12月7日の開幕戦から2014年1月3日の第4戦まで4連勝を達成し、サラ・ヘンドリクソンが持っていた女子ジャンプ歴代最多勝利数記録の13勝に並んだ[25]後、1月11日の第6戦札幌大会で14勝目を上げて、歴代単独一位となった[26]。1月18日に蔵王で行われた第8戦で104mを飛び、転倒したものの優勝し、葛西紀明に並ぶ日本人最多勝利記録の16勝目をあげると[27]、翌日の第9戦で17勝目を上げて日本人男女通じての歴代最多勝利記録保持者となった[28]。2月1日、ヒンツェンバッハ ( オーストリア) での第12戦でシーズン9勝目 (通算18勝) をあげ、サラ・ヘンドリクソンが2011-2012シーズンに記録した女子ジャンプシーズン最多勝記録に並び[29]、翌2日に行われたソチオリンピック前最後のワールドカップ第13戦でシーズン10勝目 (通算19勝)をあげて記録を更新した[30]。 上記の通り直前のワールドカップで圧倒的な強さを発揮し、金メダル候補の筆頭として臨んだソチオリンピック女子ノーマルヒル ( ロシア) だったが、1回目で100メートルを飛び、124.1点で首位のカリーナ・フォークトと2.7点差の3位につけたものの、2回目は98.5メートルにとどまり[31]、2回目に限れば全体で9位の得点という失敗ジャンプで[32]合計243.0点の4位に終わりメダルを逃す[31]。スキージャンプにおいては、向かい風が有利とされ、追い風だと距離が出にくいため、この有利不利をなくすために、向かい風ならポイントを引き、追い風だと加算する「ウインドファクター」がソチ五輪から導入されていたが、髙梨は1回目がプラス3.1ポイントで、2回目がプラス1.9ポイントと、ともに不利となる追い風[33]、かつジャンパーが恐れる飛び始めが向かい風で、後半追い風になるというパターンだったこともあり、特に2回目のジャンプでは距離が伸びなかった割に、立つのもやっとの着地になった[34]。髙梨本人が「後ろからの風にたたかれて、落ちてしまったと思います」と振り返った追い風の影響で、もともと苦手としていた足を前後に広げるテレマーク姿勢を入れられず、両足をそろえてしゃがみ込むように着地したため、減点が大きくなり飛型点が伸びず、金メダルのフォークトが106点、銀メダルのダニエラ・イラシュコ=シュトルツが103点、銅メダルを獲得したコリン・マテルが111点をそれぞれ出したのに対し、髙梨は1回目51点、2回目50点の計101点に終わった。各選手との総合点差は4.4、3.2、2.2であったため[35][36]、イラシュコは別にして、フォークト、マテルには飛型点の差がなければ負けていなかったことになるが、上位3名の選手と違い、2本ともに追い風を受けたことでテレマークを入れられず、ウインドファクターではカバーしきれないマイナスの影響を被った[37]。試合後のインタビューでは「1本目も2本目も自分が納得いくジャンプが出来なかったのですごく残念」[38]「本当に実力があれば関係はないと思うので、実力が足りなかったのだと思います」[37]とコメントした。 3月1日、ルシュノヴ ( ルーマニア) でのワールドカップ第14戦でシーズン11勝目 (通算20勝) をあげ、2シーズン連続の総合優勝が決定。日本人のFISワールドカップ連覇はノルディック複合・ワールドカップで1992-93シーズンから1994-95シーズンにかけて3連覇した荻原健司に次いで2人目[39]。その後も3月22日の最終戦・プラニツァ大会 ( スロベニア) まで勝ち続け、史上初の7連勝とシーズン全戦での表彰台獲得を達成。最終的にW杯ポイントを1720ポイント獲得し、2位のカリーナ・フォークトには914ポイント差をつけた。女子ジャンプ通算勝利数記録は24勝に、シーズン勝利数記録も15勝まで更新 (男子記録はグレゴア・シュリーレンツァウアーの13勝) してシーズンを終えた[40]。 2014年3月、日本体育大学の飛び入学入試に合格[41]。ただ競技と学業の両立問題を懸念し、一時は入学を保留する[42]。しかしその後の大学側との話し合いにより、同年5月に一転して入学の意向を表明し、通常の1か月遅れで大学に進学することになった[5]。 2014/2015シーズンワールドカップ開幕戦では3位、国内開幕戦の吉田杯ジャンプ大会でも2位に終わっていたが、年明けの雪印メグミルク杯全日本ジャンプ大会で優勝、ワールドカップ第2戦、第3戦 (札幌) で連勝した。第5戦 (蔵王) では天候不良で1本目のみで終了した影響もあり7位に終わり2013年2月3日以来約2年ぶりにワールドカップ表彰台を逃した。その後も10位以内はキープしたが表彰台圏外の試合もあったため、総合3位に順位を下げた。2月8日、ルシュノヴでの第10戦は1本目でトップに立った後に2本目が悪天候で中止になり、7戦ぶりの優勝を達成するとその後3連勝を記録し、総合2位に再浮上。 2月20日、ファールン ( スウェーデン) で開催された世界選手権個人ノーマルヒルは1本目8位の出遅れが響いて4位となり、表彰台はならなかったが、混合団体では女子でトップの得点を記録して銅メダル獲得に貢献した。3月13日、オスロで開催されたW杯最終戦で優勝し、通算30勝目をあげた。シーズン総合は973ポイントで1位のダニエラ・イラシュコ=シュトルツに34ポイント及ばなかったが、総合2位入賞。 2015/2016シーズンサマージャンプのグランプリは5戦5勝で4度目の総合優勝を飾った。 12月4日、ワールドカップはリレハンメルでの開幕戦で2本とも最高得点を記録し、通算31勝目をあげるスタート。12月12日、ニジニ・タギル ( ロシア) での第2戦も1本目はトップに立ったものの、2本目は最長不倒を記録したダニエラ・イラシュコ=シュトルツに逆転され2位となる。翌日の第3戦でシーズン2勝目をあげると、2016年に入り行われた札幌・蔵王での日本国内4連戦に全勝し、自身4度目のシーズン5連勝を記録。1月16日の札幌大会では2本とも他選手より2段低いゲートから飛んだものの、2本ともトップの飛距離を記録して2位に24.3点差をつける圧勝。翌17日も26.4点の大差をつけた[43]。この連勝で札幌開催でのW杯は2013-14シーズンから6連勝となった。 1月30日・1月31日のオーベルストドルフ ( ドイツ) も連勝し、2シーズン前に記録した自己最長の7連勝に並んだあと、2月4日の第10戦オスロ (ラージヒル) で自己記録を更新する8連勝を記録[44]。2月6日、ヒンツェンバッハでの第11戦は2本ともただ一人90m超を記録する圧勝で連勝を9に伸ばしてシーズン10勝目を上げるとともに、通算勝利数も40勝に到達[45]。翌日の第12戦では1回目にジャンプ台記録を更新する98mを記録して連勝を10に伸ばした[46]。 2月13日、第13戦リュブノ大会 ( スロベニア) では2本とも優勝した地元のマヤ・ヴティッチを上回る飛距離を記録したが、飛形点の差で2位に止まり、連勝記録は10でストップ。翌14日の第14戦では1回目首位に立ったものの、2回目で4位に順位を落とし、今シーズン初めて表彰台を逃した (W杯で表彰台を逃したのは8位だった昨年2月1日のヒンツェンバッハ大会以来19試合ぶり[47])。 2月19日、ラハティ ( フィンランド) での第15戦でシーズン12勝目を挙げ、2シーズンぶり3回目の総合優勝が決定した。FIS W杯での3度目の総合優勝はノルディック複合の荻原健司に並ぶ日本人最多記録[48]。その後第16, 17戦も優勝。第18, 19戦が雪不足のため中止となったため今シーズンは17戦14勝の成績、通算勝利数は44勝でシーズンを終えた。 2016/2017シーズンサマージャンプのグランプリは3戦3勝で5回目の総合優勝を飾った。 W杯は12月2日にリレハンメルでの開幕戦で95m、99.5m (最長不倒) の記録で通算45勝目をあげるスタートを切った。2戦目も連勝、第3戦のニジニ・タギル ではマーレン・ルンビに敗れ3位となったものの続く第4戦とラージヒルで行われたオーベルストドルフの第5, 第6戦を連勝し通算50勝に王手をかけたが、第7,8戦の札幌、第9,10戦の蔵王の日本ラウンドでは優勝できなかった。第11戦のルシュノヴでもルンビに敗れ2位となったが、続く第12戦で6戦ぶりに優勝しワールドカップ通算50勝を達成した[49]。ヒンツェンバッハでの第13, 14戦でも安定した飛躍で勝利し、3連勝して、この時点で歴代最多勝利数53にあと「1」となった。第17戦 (リュブノでの第15戦、第16戦は出場せず) の平昌五輪テスト大会の平昌大会 ( 韓国) では、1回目トップに立つが2回目は飛距離が伸びず、伊藤有希に逆転され2位となるが、自身4回目の総合優勝は決定した[50]。続く第18戦の平昌大会は、1回目の2位から逆転で優勝し、歴代最多勝利53に並んだ。 ラハティで開催された世界選手権個人ノーマルヒルでは3大会ぶりのメダルとなる銅メダルを獲得した。混合団体でも2大会連続で銅メダルを獲得した。 2017/2018シーズンサマージャンプのグランプリは6戦5勝で6回目の総合優勝を飾った。 12月1日にリレハンメルで行われたW杯開幕戦、2日の第2戦とも4位。3日の第3戦で3位となりシーズン初表彰台を獲得。このシーズンはノルウェーのマーレン・ルンビ、ドイツのカタリナ・アルトハウスの台頭により優勝から遠ざかり、平昌オリンピック開幕時までの最高成績は1月14日札幌大会での2位だった。 W杯総合ランク3位で迎えた2月12日の平昌オリンピックでは、1回目、2回目とも103.5mでこの種目で日本勢初となる銅メダルを獲得した。 3月24日に行われたW杯個人第14戦のオーベルストドルフ大会で、男女通じての歴代最多54勝目を達成し、翌日の個人第15戦も制し通算55勝目を挙げた。 シーズン個人総合では3連覇を逃したが、総合3位となり、7シーズン連続でベスト3入りを達成した。 2018年3月、日体大を卒業[51]。大学から理事長賞を授与された[52]。 日本体育大学卒業後春ごろから、スポーツ医学研究で実績のある弘前大学大学院の社会医学講座に研究生として在籍する。 2018/2019シーズンサマージャンプグランプリは5戦4勝 (第6戦は中止) で7連覇を達成。 11月30日のリレハンメルでのW杯開幕戦は3位。翌日、同地での第2戦は、前日と同じスーツを着用していたにもかかわらず、規定違反で失格と判定された。2月10日のリュブノでのW杯第15戦で、W杯6連勝中だったルンビを抑えて今シーズン初勝利をあげた (通算56勝目)。シーズン個人総合は、昨年総合トップ2のルンビ、アルトハウスに加え、4勝を挙げ好調だったユリアーネ・ザイファルトに後塵を拝し、4位だった。 ゼーフェルト ( オーストリア) で開催された世界選手権は、女子団体、個人ノーマルヒルは共に6位、混合団体は5位で4大会ぶりにメダルを獲得することができなかった。 2019/2020シーズンW杯第2戦リレハンメルで3位となった。日本開催の5戦中、1月17日の蔵王大会で2位に入り、これが通算99回目の表彰台となった。1月18日以降は5度4位となるなど100回目の表彰台へは足踏みが続いたが、3月9日のリレハンメル大会でルンビを破って優勝 (通算57勝目) を達成し、W杯表彰台獲得回数が通算100回となった。表彰台100回は女子では史上初、男子を含めてもヤンネ・アホネン (通算108回) に次いで2人目である。3月12日以降の大会はコロナウイルス感染症の流行により中止となった。個人総合は2年連続で4位。 2020/2021シーズン10月1日に2年前から研究生として在籍していた弘前大学大学院医学研究科に入学し、大学院生として社会医学講座に在籍する。 同月、全日本選手権女子ノーマルヒルで4連覇を達成。山田いずみと並んでいた通算優勝回数は単独最多の6回となった。 12月18日のラムサウでのW杯開幕戦で3位に入った。2月6日の第6戦ヒンツェンバッハ大会にてシーズン初優勝を達成し、W杯創設シーズンからの連続優勝記録を女子でただ1人10シーズン連続に伸ばした。翌日の第7戦で3シーズンぶりの2連勝を達成した。2月19日のルシュノヴ大会でも優勝し、通算60勝目を挙げた。 オーベルストドルフで開催された世界選手権はノーマルヒルで1本目3位を守り銅メダルを獲得。今大会から採用されたラージヒルでは1本目4位から、2本目で134mを飛んで銀メダルを獲得した。女子団体は4位、混合団体は5位だった。 世界選手権後にニジニ・タギルとチャイコフスキーで行われるロシア・ツアー・ブルーバードで3度表彰台に登り、表彰台登壇回数が109回となり、ヤンネ・アホネンを抜いて男女通じて最多ワールドカップ表彰台登壇を達成した。この結果ロシア・ツアー・ブルーバードで総合2位となった。またワールドカップ総合ランキングでは、高梨とニカ・クリジュナル、マリタ・クラマーが11ポイント差以内で競うの接戦の末2位となった。 2021/2022シーズン全日本選手権のノーマルヒルで史上最多の5大会連続7度の優勝を達成。初めて開催されたラージヒルでも優勝し、2冠を達成した。 ワールドカップでは第8戦まですべて1桁順位ながら表彰台がなかったが、第9戦の、このシーズンからリュブノ ( スロベニア) で年末年始に開催されるシルベスター・トーナメント第2戦でシーズン初優勝となる11シーズン連続61勝目を挙げた。またシルベスター・トーナメントでも総合3位となった。 北京冬季オリンピックの個人戦では、1回目は98.5mで108.7点、2回目は100.0mで115.4点、合計224.1点により4位。佐藤幸椰、伊藤有希、小林陵侑とともに出場した混合団体では、1回目は103.0m飛んで124.5点で暫定首位となったものの、スーツの規定違反により失格となった。2回目は98.5m飛んで118.9点で日本チームは合計836.3点により4位となった。 オリンピック後は3月2日のRaw Air第1戦リレハンメル大会 ( ノルウェー) から復帰し、1本目で130m、2本目で132m飛んで、今シーズン2勝目、通算62勝目を挙げた。さらにオスロ ( ノルウェー) でのRaw Air第3戦で3位、第4戦では1本目で最長不倒の130m、2本目で128m飛び、シーズン3勝目、通算63勝目を挙げた。そしてRaw Airでは総合2位となった。 人物
記録以下の記録は2022年3月6日時点のものである。
主な競技成績冬季オリンピックノルディックスキー世界選手権
FISスキージャンプ・ワールドカップ
総合成績
表彰台
ステージイベント総合3位以内
その他の国際大会
国内大会
CM
テレビ番組関連書籍
注釈脚注
外部リンク
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