齋藤ヤスカ
齋藤 ヤスカ(さいとう ヤスカ、1987年6月29日 - )は、日本の俳優、芸術家(演出、脚本、出演、写真撮影、デザイナー)。本名、齋藤 康嘉(読み同じ)。 神奈川県出身。Li・JOUET(リ・ジュエ)所属。神奈川県立荏田高等学校卒業。 来歴2003年からジュネス企画に所属し、モデルとして活動を開始。2006年には俳優として「スーパー戦隊シリーズ」『轟轟戦隊ボウケンジャー』に伊能真墨 / ボウケンブラック役で出演。その後、ミュージカルテニスの王子様や、ミュージカル聖闘士星矢などに出演。 特技の料理を活かし、レストランでビーフシチューやカレーを提供する有料イベント「王国キッチン」を定期的に開催していた[2][3]。 2011年から写真家・齋藤康嘉として本名名義でも活動を始める。
2013年10月にはエンディア(同年1月設立、前身は写真事務所 Endear Photo Project、詳細は後節)の代表を務めていた。その後、ヒエロマネジメント株式会社への在籍を経て、2014年11月1日からは Li・JOUET(リジュエ)に所属。 2014年12月には撮影スタジオ「スタジオ リ・ジュエ」[5][6]をオープンし、ミュージカル信長の野望や、舞台前田慶次などの写真や宣伝美術を担当している。 2017年9月にはSALON&BAR「DREAMS」をオープン[7]したが、コロナ禍の影響を受け、2019年に閉店。 2020年のリジュエ法人化に伴い、同事務所の代表取締役に就任[5]。コロナ禍のイベント自粛要請を受け、様々なイベントや舞台の中止が相次ぐ中、取引企業のイベントの配信化、舞台配信化を率先して開拓し、2023年、幻冬舎コミックスが提供するスマートボーイズの配信も担当するようになった。 父親の遭難と募金騒動父親は仏教を信仰し、「守護の丘」の主宰、齋藤悠翠(本名:齋藤茂勝)として活動をしていた[8][9]。2013年10月10日、茂勝は新潟県巻機山米小沢を登山中、遭難。二日後の12日には南魚沼署が捜索を開始した[10]が、警察と消防の捜索では動員に限界があるため、民間の山岳隊やガイドらに捜索依頼をする事になった。その際に、齋藤康嘉の事務所で働くスタッフや、ファン有志が捜索費の募金を始めたことから、10人の捜索チームとして一日にかかる費用の上限50万円など(ヘリコプターを使用した場合などはさらにかさむ)を、募金によって工面することを同日中(12日)に自身のブログにおいて発表した。また、集金された金額に余剰が出た場合は、生還時には茂勝の社会復帰のための支援金および新潟県山岳遭難防止対策協議会への募金、死亡時には葬儀・追悼および新潟県山岳遭難防止対策協議会への募金などに使用するとしていた[11]。しかし、これについて新潟県警察から、捜索にかかる多額な費用の詳細を一般に開示することにより、人命救助の活動を営利目的で行っている団体や機関があると誤解を与えかねないと、捜索費の公開を控える依頼が入った。翌13日午後1時6分に募金の受付を終了したとTwitterにて報告し、同日午後3時45分に自身の公式ブログでも同様の報告を行った[12][13][14]。 同月18日午前2時ごろ、これまでに378,273円の募金が集まったと自身のブログで報告し、募金の運用については本人や親族、友人、捜索協力者で構成される『有志齋藤茂勝捜索会』が厳重に管理・使用していく(個人の賃金などでは使用しない)ことを表明した[15]。その後、同月27日にはネット上で多くの批判が巻き起こった今回の騒動についてブログで謝罪を行い、知人も含めた62名から総額583,273円が集まったと報告、その上で使途などについては可能となった段階で改めて報告するとしていた[16][17]。捜索活動は10月12日から10月18日まで行なわれ、調査・証人として依頼した弁護士を通じて全額が南魚沼市山岳遭難救助隊へ支払われたことを確認したとしており[18]、同年12月25日には全額を茂勝の捜索活動のために使用したことを自身のブログで報告した。 2014年4月10日、巻機山を訪れていたスキー客が標高1730メートル付近の窪みで頭蓋骨を発見し、歯の治療痕などから17日までに父親の茂勝の遺体と確認された[注 1][19][20][21][22]。 出演テレビドラマ
舞台
映画
オリジナルビデオ
配信ドラマ
ドラマCD
モデル
CM
その他
作品CD
写真集
映像作品
写真家としての主な活動写真展
舞台作品関連
その他グラビア撮影
スチール撮影
レースクイーン
CDジャケット撮影・デザイン
商品撮影等
脚本・演出・監督としての主な活動
脚注注釈出典
外部リンク
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