1973年オーストリアグランプリ (英: 1973 Austrian Grand Prix) は、1973年のF1世界選手権の第12戦として、1973年8月19日にエステルライヒリンクで開催された。
概要
レースは54周で行われ、2番手からスタートしたロータスのロニー・ピーターソンが優勝した。ティレルのジャッキー・スチュワートが2位で最後の表彰台を、サーティースのカルロス・パーチェが3位で初の表彰台をそれぞれ獲得した。
背景
本GPから事故発生時にセーフティカーの導入を義務付けるレギュレーションが施行される[W 2]。
エントリー
フェラーリはマウロ・フォルギエリがF1の技術責任者に復帰し、312B3は大改修された[注 1]。ジャッキー・イクスはチームへの強い不信感によって事実上絶縁状態にあった[注 2]ため、アルトゥーロ・メルツァリオのみが参加した[2][W 3]。
エンサインもN173に改修を施して復帰し、テクノも従来のPA123B(PA123/6とも呼ばれる)で復帰した。オランダGPでロジャー・ウィリアムソンを失ったマーチもジャン=ピエール・ジャリエが戻ってきた。ヘスケスはハーベイ・ポスルスウェイトが独自にマーチ・731の改良を施した[W 3]。
ウィリアムズ(イソ・マールボロ)はアンリ・ペスカロロに代わってジィズ・ヴァン・レネップを再び起用した。LEC・リフリジレーション・レーシングは引き続き欠場する[W 2]。
エントリーリスト
- 追記
- ^1 - ラウダは前戦ドイツGPで負傷した手首の痛みが癒えず、フリー走行で撤退
- ^2 - ワトソンはマシンが準備できず欠場[W 2]
予選
ニキ・ラウダは2週間前の前戦ドイツGPで手首と背中を負傷したが、その痛みが癒えなかったため予選には参加せず、母国グランプリの欠場を余儀なくされた[W 2][1]。BRMはラウダの代走を起用せず、予選以降はクレイ・レガツォーニとジャン=ピエール・ベルトワーズの2台が参加することになった[W 3]。
オランダGPの負傷が癒えたエマーソン・フィッティパルディがポールポジションを獲得し、チームメイトのロニー・ピーターソンとともにフロントローを独占した。2列目はマクラーレンの2台、3列目はカルロス・ロイテマンとアルトゥーロ・メルツァリオが並ぶ。ロータスとチャンピオンを争うティレル勢はジャッキー・スチュワートが4列目の7番手から、フランソワ・セベールは5列目の10番手からスタートする[W 3]。クリス・エイモンはテクノの水平対向12気筒エンジンに不満を抱き、決勝の出場を拒否した[3]。
予選結果
- 追記
- ^1 - エイモンはエンジンの問題により決勝の出走を拒否した[3]
- ^2 - ラウダは手首の負傷によりフリー走行で撤退[3]
決勝
スタートでロニー・ピーターソン(ロータス)とデニス・ハルム(マクラーレン)がポールシッターのエマーソン・フィッティパルディ(ロータス)を抜いていく。ピーター・レブソン(マクラーレン)はクラッチのトラブルによりスタートラインから動けず、マーチのプライベーターであったマイク・ボイトラーもマイク・ヘイルウッド(サーティース)と接触してオイルクーラーにダメージを負って早々にリタイアした[3]。
6番手スタートのアルトゥーロ・メルツァリオ(フェラーリ)は3周目までジャッキー・スチュワート(ティレル)を抑える好走を見せたが、4周目にスチュワートの先行を許し、その後フランソワ・セベール(ティレル)と接触する。セベールはこの接触でサスペンションが壊れリタイアした。E.フィッティパルディは12周目にハルムを抜き返し、ロータスの1-2体制が出来上がる。ハルムはエンジンのプラグが緩んだためピットインを強いられた[3]。
16周目[3]、ロータス陣営はピーターソンに対し、得点上位で2年連続のチャンピオンを目指すE.フィッティパルディ[注 3]を先行させるチームオーダーを出した。ピーターソンはしぶしぶこれに従い、E.フィッティパルディに首位の座を譲った[4]。ロータス勢に次ぐ3位に浮上していたスチュワートはカルロス・パーチェ(サーティース)の猛追を受け始めるも、この順位のままレースは続いていく[3]。
しかし、残り5周となった49周目にE.フィッティパルディの燃料パイプが壊れ、コース上にマシンを止めた。レースはピーターソンが制したが、スチュワートも2位に食い込みポイントを66点とし、E.フィッティパルディとのポイント差を24点に広げて3度目のチャンピオン獲得を確実なものとした[3]。コンストラクターズチャンピオン争いはロータスが首位ティレルとの差を9点に縮めている[W 2]。
3位のパーチェは初の表彰台を獲得した。4位はカルロス・ロイテマン(ブラバム)、ジャン=ピエール・ベルトワーズとクレイ・レガツォーニのBRM勢が5-6位となった[W 2]。
レース結果
- 優勝者ロニー・ピーターソンの平均速度[W 8]
- 215.640 km/h (133.992 mph)
- ファステストラップ[W 1]
- ラップリーダー[W 9]
- 太字は最多ラップリーダー
- 達成された主な記録
第12戦終了時点のランキング
- ドライバーズ・チャンピオンシップ
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- コンストラクターズ・チャンピオンシップ
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- 注: トップ5のみ表示。前半8戦のうちベスト7戦及び後半7戦のうちベスト6戦がカウントされる。ポイントは有効ポイント、括弧内は総獲得ポイント。
脚注
注釈
- ^ マシン名は「312B3S」とも呼ばれた。Sはイタリア語で「実験的な(スペリメンターレ(Sperimentale))」を意味する。
- ^ 前戦ドイツGPはフェラーリの欠場により、イクスはマクラーレンから参加している。
- ^ レース前の時点のポイントはスチュワートが60点、E.フィッティパルディが42点であり、45点のセベールにも先行されていた。
出典
- 書籍
- ウェブサイト
参照文献
外部リンク