ロルフ・シュトメレン
ロルフ・ヨハン・シュトメレン(Rolf Johann Stommelen、1943年7月11日 - 1983年4月24日)は、ドイツ・ジーゲン出身のレーシングドライバー。 「ストメレン」とも表記される。F1レース界では希少な眼鏡着用者としても知られている[1]。 来歴F1デビュー前1964年からレース活動を開始。1967年のタルガ・フローリオでポール・ホーキンスと組んでポルシェ・910/8で優勝。翌1968年はデイトナ24時間レースで優勝、ル・マン24時間レースでポール・ポジションを獲得する。 なお、F1本格参戦前年の1969年には、ロータスのF2マシンでドイツGPに出走している[2]。 F1時代1970年、ドイツの雑誌『Auto Motor und Sport』の支援を受けてブラバムからF1フル参戦。オーストリアGPで3位になるなど10ポイントを獲得して選手権11位になる。翌1971年はサーティースへ移籍。ノンタイトルレースのアルゼンチンGPでポールポジションを記録。しかし、選手権では5位と6位が1回ずつと低迷する。1972年にエイフェランド・キャラバンズでルイジ・コラーニがマーチ・721をベースにデザインしたエイフェランド・21をドライブするが、ポイントを獲得する事はできなかった。その後、1973年・1974年はそれぞれブラバム、グラハム・ヒル率いるローラから後半戦のみの出走に留まる。 1975年は前年に引き続きローラ、ヒルから参戦。モンジュイック・サーキットで行われたスペインGPで、首位走行中に突然操縦していたヒルGH1のリヤウイングがウイングステーの破損により[3]脱落。コントロールを失って観客席に飛び込み観客4人が死亡、シュトメレン自身も重傷を負う。 1978年に癌で入院したグンナー・ニルソンの代役として南アフリカGPより新チームのアロウズに加入。しかし、リカルド・パトレーゼの後塵を拝することが多くなりこの年を最後にF1から身を引く。 スポーツカーレースでの活躍1970年から1974年までアルファロメオから世界メーカー選手権に参戦する。1976年以降はポルシェのスポーツカーで活躍。1977年のドイツツーリングカー選手権チャンピオン。1978・1980・1982年のデイトナ24時間で優勝した。1979年のル・マンではポール・ニューマンと組んで2位を獲得する。 事故死1983年4月24日、カリフォルニア州リバーサイドで行われたIMSA・キャメルGTレースで、走行中にモンジュイックの惨劇を再現するかのようにポルシェ・935のリアウイングがリアカウルごと脱落。コントロールを失ったマシンは、バリアに激突した衝撃で横転しドライバーが搭乗する右側面を大破[1]。搬送先の病院で死亡した。39歳没。 レース戦績F1
(key) ル・マン24時間レース
脚注
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