1985年の阪急ブレーブスでは、1985年の阪急ブレーブスにおける動向をまとめる。
この年の阪急ブレーブスは、第2次上田利治監督体制の5年目(通算10年目)のシーズンである。
前年日本一こそ逃したものの6年ぶりにリーグ優勝したチームだが、オフに正二塁手だったバンプ・ウィルスが上田監督との対立から退団。バンプの穴埋めとしてアメリカからジョー・ヒックスが加入するが、投手陣・打撃陣ともに前年と不変だった。山田久志・今井雄太郎・佐藤義則の先発陣に加えて、前年までリリーフの山沖之彦がこの年から先発陣に復帰するなど盤石で、連覇を期待されたが投手陣の不調もあり5月まで借金生活が続いた。6月に13勝2敗で大きく勝ち越して借金を返済し一度は2位に上がるものの後半戦以降は再び負けが込み、終盤は持ち直すも最後はロッテに抜かれて1982年以来のBクラスでシーズンを終えた。打撃陣では4番のブーマー・ウェルズをはじめヒックスや松永浩美が打ちまくったが、ヒックスは2割そこそこの低打率と守備や走塁に難があったためこの年で退団。それでも近鉄に次ぐ2位の197本と好調だった。投手陣は最多勝の佐藤をはじめ山田・今井・山沖などがローテーションを守ったが防御率が4人とも4点台に落ち込み(特に今井は4.99だった)、リリーフもこの年引退の谷村智啓を除いて不調に終わり防御率はあわや5点台の4.98のリーグ4位で、2連覇はならなかった。
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30 上田利治
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1936年から1946年までは「阪急軍」(1945年は戦況悪化のため、公式戦を休止。合同チームによる非公式戦のみ開催。)1947年から1988年までは「阪急ブレーブス」1989年から1990年までは「オリックス・ブレーブス」1991年から2004年までは「オリックス・ブルーウェーブ」(2004年オフに大阪近鉄バファローズと球団合併)2005年から「オリックス・バファローズ」
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