1991年のロッテオリオンズでは、1991年シーズンについてのロッテオリオンズの動向をまとめる。
この年のロッテオリオンズは、第2次金田正一監督体制の2年目(通算8年目)のシーズンである。また、翌シーズンから本拠地を移転し、チーム名を千葉ロッテマリーンズに変更したため、ロッテオリオンズとしての最後のシーズンである。
概要
本拠地移転が囁かれるなか、老朽化していた川崎球場が改装されて「テレビじゃ見れない川崎劇場」のCMで話題を振りまいた。開幕後も5月中旬までは踏ん張っていたが、以降は下位に低迷した。5月にはかつての首位打者で広島へ移籍していた高沢秀昭が約1年半ぶりに復帰。しかし7月には50敗を喫してしまう。3年目の平井光親が規定打席数ピッタリで首位打者を獲得した。順位は6年連続Bクラス、2年ぶりの最下位に終わった。このシーズンをもって本拠地が千葉マリンスタジアムへ移転することとなり、金田監督は解任、徳武定祐ヘッドコーチ、植村義信投手コーチも退団した。OBであり西武・投手コーチの八木沢荘六が監督に就任することとなった。
チーム成績
レギュラーシーズン
[2]
1991年パシフィック・リーグ順位変動
順位
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4月終了時
|
5月終了時
|
6月終了時
|
7月終了時
|
8月終了時
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最終成績
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1位
|
西武 |
--
|
西武 |
--
|
西武 |
--
|
近鉄 |
--
|
近鉄 |
--
|
西武 |
--
|
2位
|
近鉄 |
3.0
|
近鉄 |
7.0
|
近鉄 |
4.0
|
西武 |
1.5
|
西武 |
1.5
|
近鉄 |
4.5
|
3位
|
日本ハム |
3.5
|
日本ハム
|
ダイエー |
7.5
|
日本ハム |
10.5
|
オリックス |
15.5
|
オリックス |
18.5
|
4位
|
ロッテ |
4.0
|
ダイエー |
10.5
|
日本ハム |
10.0
|
ダイエー |
12.5
|
ダイエー |
19.0
|
日本ハム |
28.5
|
5位
|
ダイエー |
5.0
|
ロッテ |
11.5
|
オリックス |
12.0
|
オリックス |
14.0
|
日本ハム |
19.5
|
ダイエー |
29.0
|
6位
|
オリックス |
8.5
|
オリックス |
15.0
|
ロッテ |
20.0
|
ロッテ |
23.5
|
ロッテ |
30.0
|
ロッテ |
33.5
|
オールスターゲーム1991
できごと
選手・スタッフ
[11]
表彰選手
リーグ・リーダー
|
選手名 |
タイトル |
成績 |
回数
|
平井光親
|
首位打者 |
.314 |
初受賞
|
ドラフト
脚注
注釈
出典
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1950年代 | |
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1960年代 | |
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1970年代 | |
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1980年代 | |
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1990年代 | |
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2000年代 | |
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2010年代 | |
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2020年代 | |
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1958年開幕直前に大映ユニオンズと球団合併 |