1974年のロッテオリオンズでは、1974年のロッテオリオンズにおける動向をまとめる。
この年のロッテオリオンズは、金田正一監督の2年目のシーズンであり、4年ぶりのリーグ優勝と毎日時代以来24年ぶりの日本シリーズ制覇を達成したシーズンである。また、日本野球機構に登記する保護地域についても、暫定的に宮城県に移し、宮城球場を本拠地登録したが、実際は1973年とほぼ日程編成は変わらなかった。
この年は後期ステージ1位からのプレーオフ制覇によりリーグ優勝、その後日本シリーズを制しているが、ロッテはこれ以後、2023年現在まで年間勝率第1位からリーグ優勝・日本一になっておらず[2]、日本プロ野球全12球団で最も遠ざかっている。
チーム成績
レギュラーシーズン
1974年パシフィック・リーグ順位変動
前期
順位
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4月終了時
|
5月終了時
|
前期成績
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1位
|
ロッテ |
--
|
阪急 |
--
|
阪急 |
--
|
2位
|
阪急 |
1.0
|
太平洋 |
2.5
|
ロッテ |
4.5
|
3位
|
太平洋 |
4.0
|
ロッテ |
4.0
|
太平洋 |
6.5
|
4位
|
日本ハム |
4.5
|
近鉄 |
7.0
|
南海 |
7.0
|
5位
|
近鉄 |
5.5
|
日本ハム |
8.0
|
近鉄 |
9.0
|
6位
|
南海 |
6.0
|
南海 |
8.5
|
日本ハム |
12.0
|
|
後期
順位
|
7月終了時
|
8月終了時
|
後期成績
|
1位
|
ロッテ |
--
|
ロッテ |
--
|
ロッテ |
--
|
2位
|
南海
|
南海 |
2.5
|
南海 |
5.0
|
3位
|
日本ハム |
2.5
|
阪急 |
4.5
|
阪急 |
5.0
|
4位
|
太平洋 |
3.5
|
太平洋 |
7.5
|
太平洋 |
10.0
|
5位
|
近鉄 |
4.0
|
近鉄 |
9.5
|
近鉄
|
6位
|
阪急 |
5.0
|
日本ハム |
12.0
|
日本ハム |
15.0
|
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*優勝はプレーオフで決定。2位以下はプレーオフの結果に関係なく勝率順で決定
プレーオフ
1974年 パシフィック・リーグプレーオフ
日付 |
試合 |
ビジター球団(先攻) |
スコア |
ホーム球団(後攻) |
開催球場
|
10月5日(土) |
第1戦 |
ロッテオリオンズ |
3 - 2 |
阪急ブレーブス |
阪急西宮球場
|
10月6日(日) |
第2戦 |
ロッテオリオンズ |
8 - 3 |
阪急ブレーブス
|
10月7日(月) |
移動日
|
10月8日(火) |
第3戦 |
雨天中止 |
県営宮城球場
|
10月9日(水) |
阪急ブレーブス |
0 - 4 |
ロッテオリオンズ
|
年間優勝:ロッテオリオンズ
|
日本シリーズ
1974年 日本シリーズ
日付 |
試合 |
ビジター球団(先攻) |
スコア |
ホーム球団(後攻) |
開催球場
|
10月16日(水) |
第1戦 |
ロッテオリオンズ |
4 - 5 |
中日ドラゴンズ |
中日球場
|
10月17日(木) |
第2戦 |
ロッテオリオンズ |
8 - 5 |
中日ドラゴンズ
|
10月18日(金) |
移動日
|
10月19日(土) |
第3戦 |
中日ドラゴンズ |
5 - 4 |
ロッテオリオンズ |
後楽園球場
|
10月20日(日) |
第4戦 |
中日ドラゴンズ |
3 - 6 |
ロッテオリオンズ
|
10月21日(月) |
第5戦 |
中日ドラゴンズ |
0 - 2 |
ロッテオリオンズ
|
10月22日(火) |
移動日
|
10月23日(水) |
第6戦 |
ロッテオリオンズ |
3 - 2 |
中日ドラゴンズ |
中日球場
|
優勝:ロッテオリオンズ(24年ぶり2回目)
|
オールスターゲーム1974
できごと
- 4月27日:川崎球場の太平洋クラブライオンズ戦4回表、外野フライでホームに走った弘田澄男選手を、太平洋の宮寺勝利捕手が足で引っかけて転倒、怒った金田正一監督は宮寺捕手を蹴り飛ばし、また太平洋のドン・ビュフォード選手が金田監督に飛びついた事から両軍大乱闘。金田監督とビュフォード選手は退場となり、また宮寺捕手は走塁妨害とされ弘田選手の得点は認められる。
- 9月5日:平和台球場の太平洋クラブライオンズ戦7回、守備から帰ってきたロッテナインに、スタンドから酒が降りかけられ、金田監督は激怒のあまり試合続行を一時拒否、31分中断。
- 9月19日:同月5日(先述)のトラブルでロッテ側が試合続行拒否をした事で、パ・リーグの岡野祐会長はロッテ・太平洋の両球団代表に、試合続行拒否は野球規則の誤った適用を強要したことであり、また太平洋球団には球団施設警部の面に万全を期す様に要望書を送った。だが当日の大阪球場の南海ホークス戦7回、ロッテ守備中にスタンドからコップが投げ入れ、岩崎忠義外野手がうずくまるアクシデントが発生、ロッテ側はスタンドに抗議、審判団に「これ以上物が投げ込まれたら、没収試合にしてほしい」と要請し4分中断、要望書は全く効き目が無かった。
選手・スタッフ
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監督 | |
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一軍コーチ | |
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二軍監督・コーチ | |
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投手 | |
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捕手 | |
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内野手 | |
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外野手 | |
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[4]
表彰選手
ドラフト
出典
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1950年代 | |
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1960年代 | |
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1970年代 | |
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1980年代 | |
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1990年代 | |
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2000年代 | |
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2010年代 | |
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2020年代 | |
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1958年開幕直前に大映ユニオンズと球団合併 |
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1950年代 | |
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1960年代 | |
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1970年代 | |
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1980年代 | |
---|
1990年代 | |
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2000年代 | |
---|
2010年代 | |
---|
2020年代 | |
---|
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---|
1950年代 | |
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1960年代 | |
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1970年代 | |
---|
1980年代 | |
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1990年代 | |
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2000年代 | |
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2010年代 | |
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2020年代 | |
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