1991年の中日ドラゴンズ
1991年の中日ドラゴンズ(1991ねんのちゅうにちドラゴンズ)では、1991年の中日ドラゴンズにおける動向をまとめる。 この年の中日ドラゴンズは、星野仙一監督の5年目のシーズンである。 概要就任5年目を迎えた星野監督は「もう一度優勝する」と意気込んで広島の長嶋清幸を音重鎮・山田和利との交換で獲得し、さらにシーズン途中にはオリックスの南牟礼豊蔵を川畑泰博で獲得するなど戦力を再編。それ以外では矢野輝弘やスコット・アンダーソンを獲得するなど、落合博満・宇野勝らのベテランと立浪和義・種田仁らの若手を融合させる野球を目指した。 コーチングスタッフには、一軍投手コーチにロッテオリオンズ投手コーチ時代、落合のよき相談相手だった佐藤道郎、一軍内野守備走塁コーチには、阪急ブレーブスOBが多く在籍する中、オリックスを退団した同級生で同期の大橋穣を招聘した。 開幕カードの巨人戦は2連勝で勝ち越したが6月頃までは6月18日の後述のサヨナラホームランを打った彦野利勝が故障離脱するアクシデントもあり、開幕から大型連敗を繰り返した阪神を除いた5球団で首位の入れ替わりが目立つ団子状態から抜け出せないままでいた。7月19日の巨人戦で中村武志の同点満塁ホームランとサヨナラホームランなどで8点差をひっくり返して劇的勝利を収めるなどして勢いに乗り、前半戦を首位で折り返す。8月も15勝11敗と勝ち越して首位の座を守り3年ぶり優勝の声も聞かれていた。ところが、9月1日の広島戦(広島市民球場)に敗れ同一カード3連勝を逃すと、以降は失速[1]。9月10日からのナゴヤ球場での広島戦で3連敗を喫すると首位から陥落し、広島のマジックが点灯した9月24日には星野監督の辞任が発表されると1勝2敗ペースで黒星が増え、優勝をあと一歩の所で逃しシーズンを2位で終えた。投手陣はベテラン小松辰雄と郭源治、若手の今中慎二の奮闘が目立ったが2年連続2ケタ勝利の西本聖が不調だった。打撃陣では新外国人のマーク・ライアル、4番の落合博満、そして彦野に代わって1番に入った立浪が活躍しそれなりの成績を収めた。星野監督の後任にはOBの高木守道が就任した。 チーム成績レギュラーシーズン
オールスターゲーム1991→詳細は「1991年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
出来事
選手・スタッフ表彰選手
ドラフト→詳細は「1991年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)」を参照
脚注注釈出典
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