ATS・D7
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カテゴリー |
F1 |
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コンストラクター |
ATS |
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デザイナー |
グスタフ・ブルナー |
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先代 |
ATS・D6 |
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主要諸元[1] |
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シャシー |
カーボンファイバー製モノコック |
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サスペンション(前) |
ダブルウィッシュボーン, プルロッド, コイルスプリング |
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サスペンション(後) |
ダブルウィッシュボーン, プルロッド, コイルスプリング |
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エンジン |
BMW M12/13, 1,499 cc (91.5 cu in), 直列4気筒, ターボ, ミッドエンジン, 縦置き |
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トランスミッション |
チームATS / ヒューランド 5速 MT |
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タイヤ |
ピレリ |
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主要成績 |
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チーム |
チームATS |
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ドライバー |
14. マンフレッド・ヴィンケルホック 14/31. ゲルハルト・ベルガー |
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コンストラクターズタイトル |
0 |
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ドライバーズタイトル |
0 |
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初戦 |
1984年ブラジルグランプリ |
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ATS・D7は、ATSチームが1984年のF1世界選手権用に製作したフォーミュラ1カー。デザイナーはグスタフ・ブルナー[2]。ATSにとって最後のマシンとなった。
概要
ATS・D6の改良型として開発し、カーボンファイバーモノコックを採用。エンジンは前年に引き続きBMW M12/13を搭載、ピレリタイヤを装着。ドライバーはマンフレッド・ヴィンケルホックが残留し、第12戦オーストリアグランプリから地元出身のルーキー、ゲルハルト・ベルガーがドライブ。
D7はその強力なBMWターボエンジンのおかげで驚異的なスピードを発揮し、予選では中団グリッドにつく走りを見せるが、マシンの信頼性やチーム内の運営等に問題があり、リタイア数10回を数えた。ベルギーでヴィンケルホックは予選6位に付け、決勝では序盤フェラーリのミケーレ・アルボレート、ルネ・アルヌー、ルノーのデレック・ワーウィックに次いで4位を走行したが、39ラップ目に排気系トラブルでリタイアした。次戦のサンマリノでも予選7位から決勝ではポイント圏内の6位を走行したものの、ターボトラブルでリタイアとなった。
ヴィンケルホックは速いが信頼性に欠けるD7で完走したのは2度のみで、カナダとダラスでの8位であった。ベルガーの走らせたマシンはヴィンケルホックよりは信頼性が増し、エステルライヒリンクでは12位で完走した。第14戦イタリアグランプリでは6位入賞を果たしたが、開幕時点では1台エントリーとなっていたため、2台目のマシンを走らせていたベルガーにチャンピオンシップポイントは与えられなかった(このケースはオゼッラから参戦していたヨー・ガルトナーも同様)。
ベルガーによるモンツァでの6位にもかかわらず、D7は1984年シーズンにポイントを得ることができなかった。BMWは翌シーズンのATSへのF1エンジン供給を取りやめ、ギュンター・シュミットはチームのシーズン終了後のF1撤退を決定した。
F1における全成績
(key) (太字はポールポジション)
‡ ベルガーの獲得ポイントはチームが1カー登録だったため選手権には無効となった。
参照
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創設者 | |
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主なチーム関係者 | |
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主なドライバー | |
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F1マシン | |
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主なスポンサー | |
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