Ju 88 (航空機)Ju 88 Ju 88(Junkers Ju 88 )は、ドイツのユンカース社が開発し第二次世界大戦を通じて主にドイツ空軍で運用された軽爆撃機。 ドイツ空軍の主力爆撃機として戦前から運用され続けたほか、夜間戦闘機や偵察機などとしても運用された。 開発経緯ドイツ航空省は1935年に「戦闘機より速い爆撃機」というコンセプトに基づき、800 kg の爆弾を搭載でき、500 km/h を発揮できる爆撃機の開発を各社に要求した。ユンカース社はこれを実現するため、徹底した空気力学的洗練を図った機体を設計した。この機体を設計したのはW・H・イーヴァースとアルフレッド・ガスナーである。この2人はアメリカで経験を積んでいた[2]。 最初の試作機、登録記号 D-AQEN のJu88 V-1 は1936年12月21日に飛行した。最初の試作機が墜落したので、2機目の試作機でテストが始められた。 試作3号機は1937年9月当時のBf 109戦闘機を 50 km/h も上回る 523 km/h を実現し、実戦配備が決定した(フル装備の量産型は 470 km/h)。一見すると空冷星型エンジンを装備しているようにみえるが、実際は円筒形のカウリングの中にラジエターを環状に配置した液冷エンジンであった。この手法はFw 190のD型などにも用いられている。 また、防御火器として、7.92mm機関銃一丁を備える銃座がコックピット後ろに設けられた。改良型では銃が二丁に増やされたが、それぞれが独立して設置され不便だったため、取り外して運用された例もある。夜間戦闘機仕様では、後部機銃は装備されていない。 実戦量産型の部隊への配備は1939年より開始された。第二次大戦の開戦当時には「戦闘機より高速な爆撃機」というコンセプトは戦闘機の著しい高性能化によって時代遅れとなっており、これはJu 88に関しても例外ではなかった[3]。しかし、同時期に開発された中型爆撃機He 111よりも損害数が少なく、急降下爆撃や雷撃をこなす点は優秀であった。ただし、本機の行う急降下爆撃はJu 87のような急角度のものではなく、実態としては緩降下爆撃であった。 バトル・オブ・ブリテン(1940年 - 1941年)以降は、爆撃機として一線を退いたHe 111の代役を務め、大戦終了までドイツ空軍の主力爆撃機として活躍した。アシカ作戦の取りやめが確定すると、Ju 88を用いた昼間戦闘の中心は地中海での商船狩りとなり、それなりに戦果を上げたが、防御火力が貧弱なため、サンダーランドのような哨戒機との戦闘では撃墜されることの方が多かった。夜間戦闘機としては、当初は小規模な改造程度の機体しかなかったが、1943年から当時の主力夜間戦闘機であったBf 110の生産機数を追い越すようになり、大戦末期には主力機として活用された。また、航続距離の長さを生かして洋上での長距離哨戒や対哨戒機戦闘、艦船防空任務にも使用されている。 こうして様々な戦場で活躍したJu 88だったが、前線部隊では決して性能的に満足のいく機体ではなかった。それにも関わらずJu 88の生産が終戦まで続けられたのは、当時のドイツでは生産ラインを急に変更する事が困難であり、一方で戦線の拡大から兵器の増産要求が高まって行ったことが原因である。そのため、性能的に多少の不足があっても生産を続行させ、前線でも任務に大きな支障が無ければ、それを用いる傾向にあった。 だが、次々と生産される間に、本機の基本構造が実質的に変更されていないことは、原型の設計がいかに優れたものであったかを示している[4]。 なお、大日本帝国海軍も双発急降下爆撃機の研究に用いるべく、1940年末に1機のJu 88 A-4を輸入した[5]。1942年(昭和17年)8月17日[6]、海軍航空技術廠により横須賀で行われた試験飛行の際、木更津飛行場を離陸したあと雷雨の東京湾で行方不明になった[7]。また、連合軍は大日本帝国陸軍がJu 88を運用していると誤認しており、「Janice」というコードネームを与えていた[8]。 ミステル→詳細は「ミステル」を参照
大戦後半のドイツではJu 88 の設計を元にミステルと呼ばれる珍兵器が開発された[9]がこれは全く役に立つものではなかった。これは大型の弾頭を搭載するように改造されたJu 88の上部に、Fw 190またはBf 109戦闘機を結合させたもので、戦闘機の操縦士は目標上空まで無人のJu 88を運んだ後、切り離して突入されるという無理があるものであった。ミステルは終戦までに250機が製造され、艦船や橋梁の攻撃に使われたたものの、結果は散々だった。 ソ連への影響ソ連のA・A・アルハーンゲリスキイ記念試作設計局では、購入したJu 88 A-4を参考に急降下爆撃機Ar-2を完成させた。しかし、欠陥が多いものの速度で勝るPe-2が主力急降下爆撃機に選定され、Ar-2は少数が生産されたに留まった。そのAr-2の大半は、独ソ戦の初期にほとんど失われた。 派生型
データ(Ju 88 A-4)
現存する機体
参考文献
登場作品ゲーム
脚注
関連項目外部リンク
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